少し前にM川に、「最近は哲学系の虚構理論を勉強しているよ」と言った。「それはどういうものか?」と問われたので、「たとえばこのようなことを考えるのだ」と答えた。
以前は「架空の対象について命題の真偽を問うことはできない」と考えられていた。たとえば「ユニコーンについては何を言っても真実とも虚偽とも判定しがたい」云々。しかしこれは厳密に言えば明らかにおかしい。たとえばシャーロック・ホームズについて「明らかに真なる命題」や「明らかに偽である命題」が存在する。前者の例は「シャーロック・ホームズは少なくとも1000歳以下である」「シャーロック・ホームズはコナン・ドイルによって創造されたキャラクターである」。後者の例は「小説『ホームズシリーズ』においてシャーロック・ホームズには9本の足がある」など。
しかもシャーロック・ホームズに関する真なる命題は、テキストに記載があるともかぎらない。たとえばシャーロック・ホームズの物語に「日本の四国」に関する記述は見あたらないが、その世界に日本が存在する以上、「四国に相当する島も存在する」と考えるのが妥当であろう云々(本当に「四国」に関する記述がないかどうかは確認していない)。

M川曰く、「ホームズはテキスト上にしか存在しないので、ホームズについて何とでも新たな記述を増やせるのではないか」。
しかし例えば私が『シャーロック・ホームズは9本足だ』と書いても、「あの」シャーロック・ホームズが9本足だったことにはならないだろう。
その時は以上の主旨だけを答えたが、同時にふと思いついたアイデアがあった。


以上は長い前置きである。
任意にホームズに関する記述を増やすことはできない。そもそもそんなことはドイル自身にもできないのである。シャーロック・ホームズについて何でも好きなことを言えるのなら、ドイルは一度死んだはずのホームズを生き返らせる必要もなかっただろう。
しかしその時考えたのは贋作、パロディ、二次創作のことだった。
ホームズものには、ドイル以外による無数の二次創作的シリーズが存在する。それらの小説における記述が「ホームズに関する事実」として認められることはあるだろうか。
これは一見ありえないように思える。他の作家によるホームズものは「Xによるホームズもの」としてドイルの正典とは別個の世界として扱われがちだ。他者がコナン・ドイルにかわって「ホームズに関する記述」を増やすことはむずかしいのである。

しかし、小説以外のフィクション作品に目を向ければ話は変わってくる。映画やドラマやアニメなど、元々複数の人間によって作成される作品の場合、同じシリーズであっても、スタッフは完全に別であるということもある。ここで以下のような架空の状況を想定してみよう。

20xx年、とあるアニメ制作会社は「○○ガンダムなんかガンダムじゃない」という一部制作スタッフの反発により、「制作チーム1」と「制作チーム2」の2つに分裂した。それぞれのチームは別個にスポンサーを見つけ、それぞれ「1ガンダム」および「2ガンダム」という同シリーズに属する別々の作品を制作した。「1ガンダム」および「2ガンダム」はともに「ガンダムシリーズ」に属する作品であるが、「1ガンダム」と「2ガンダム」には明らかに矛盾する記述が存在する(それぞれ同じ時代を描くが、前者の系列ではあるキャラクターが生きており、後者の系列では死んでいる)。
この時、どちらのテキストを「ガンダム世界に関する正当な記述」とすべきだろうか?

これは決定不可能な状況であると考えられる。喩えで言えば一つの国家に二つの政府、二つの法が存在する状態に似ている。
たとえば、以下のような事例。
「選挙において過半数の支持により、共産主義政権が誕生した。しかし反発した旧来の与党が軍部と結託してクーデターを勃発させた。クーデターは成功し、後者が実効的に政権をにぎり、独自の法を発布。戦いに敗れた共産主義政権は潜伏したものの、やはり独自の法を発布した。この時、ひとつの国家に二つの政体が誕生する。以上の状況において二つの政府・二つの法のどちらが正統なものか?」

もちろん明らかにどちらかが正統なスタッフであり、片方は二次創作にすぎないというように決定できるケースもあるだろう。しかし、「1チームにはトミノヨシユキという本来の原作者がいるが、スタッフのほとんどはガンダムとはまったく関係ない」「2チームの大部分は元々ガンダムに関わっていたスタッフである」という場合など、決定が困難に陥る場合もある。
似たようなことは現実にもある。「小説版とアニメ版で話が違う」とか。あるいはこういった虚構世界の問題から「黒歴史をどう考えるか?」。
この辺をきちんと考えてみれば理論的には色々おもしろいような気もする。実際のところ、虚構論は文学に限定しない方がおもしろいトピックが出てくる。
たとえば、「虚構世界は複数の可能世界を含むのか、それともただひとつの世界からなるのか」という議論がある。この問題をストーリーと選択肢が存在するタイプのゲームに適用するとどうなるだろう。これらのゲームには明らかに複数の可能世界が含まれている。この時ユーザーが享受しているのは、これらの世界すべてを含むゲームの全体系なのだろうか? それともそれらのうちの個々の世界を個々の作品として楽しむのだろうか?




以下追記。
書いた後少し考えてみた。
「同一の虚構世界を舞台とする同シリーズに互いに矛盾する記述があった」としても、誰も困らないかもしれない。こうした意味で「二つの政府」とは意味合いがちがうかもしれない。二つの政府、二つの法が同じ地域に存在する場合、「どちらが正統か?」を決定しなければ困ったことになる。何しろ、両側の法が矛盾する命令を出し、どちらを選んでも必ずどちらかに罰されるというようなケースも考えられるのであるから。この場合「どちらが正統か」は死活問題である。
一方、虚構作品の場合、二つ以上の作品系列が存在することは実はそれほど珍しくない。多数のシリーズからなる作品には「IFもの」という種類の作品が作られることがある。「この作品についてはパラレルワールドと考えてください」といった宣言が制作者によってなされることもある。
これによって何か困った事態が生じたというのは聞いたことがない。というわけで上記エントリであげたような「二つのガンダムが存在する」事態が生じてもファンは苦笑するだけかもしれない。お互いの作品系列のファンがケンカをするくらいならありそうな話だが。
ただし著作権の問題がある。二次創作の著作権が認められないのならば1か2のどちらかは著作権を侵害していることになる。この場合には、どちらが正統であるかを決めなければならないな。

コメント(3)

# MM

あけましておめでとうございます。

 年明け早々「ひぐらしのなく頃に」の最新ソフトをプレイしてました(ファンディスク的なソフトだったのですぐ終わった)。もっとどうでもいい内容のものかと思ってたら、追加エピソードが結構面白かった。今回の記事に関して言うならば、複数の可能世界間の「正統性」の問題が扱われていましたよ。
 
 次回作は「うみねこのなく頃に」でほぼ決定のようす。

 著作権といえば今年は著作権改正論議が注目されますね。なかでも著作権侵害の非親告罪化の改正は最重要。これが通ったら著作者の許可のない著作物使用は「著作権者の告訴なしに」逮捕・起訴されうることになります(「沈黙は承認」の現状が解消)。適用次第ではコスプレ写真をHPにアップしただけで逮捕されかねません。

 まだ不勉強で、予想される波及効果の規模はわかりませんが、とりあえず「発表される可能世界」は激減することになりそう。二次創作という百万規模の人間のコミュニケーションコミュニティが絶滅に瀕すると考えると、なんらかの意見はもっておいてしかるべきかと思います。

長文失礼しました。今年もよろしく。 
 

(2007/01/ 2 10:46)
# akada

おめでとう。
> 今回の記事に関して言うならば、複数の可能世界間の「正統性」の問題が扱われていましたよ。
そうかー。早くひぐらしをプレイしないとなあ。

> なかでも著作権侵害の非親告罪化の改正は最重要。
全然知らなかった。そんなことになっているのか...。著作権の勉強もしなければと思っているのだがね。

(2007/01/ 2 13:09)
# adrbtu rmgpedc

lpuhexk snekryml evcdm qiumezrt dyinjfzov rhlfmsz wgjrlixvm

(2007/03/26 20:36)

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