ルーマン(という人)の「複雑性」概念について。
■ 前置き
その 1: http://www.at-akada.org/blog/2007/01/post_35.html
その 2: http://www.at-akada.org/blog/2007/01/_2_1.html
課題図書:
西阪仰「コミュニケーションのパラドクス」
(土方透編『ルーマン/来るべき知』勁草書房、1990)
前回は適当なことを書きすぎたので反省した。いったん忘れて文献に立ち返ってみようと思った。
しかし「複雑性」論文をコピーしに行ったら、センター試験で学校に入れなかった。明日までセンター試験らしい*1。しょぼーん。
■『社会システム理論』(のごく一部)読解
仕方ないので『社会システム理論』「複雑性の問題」を読む。
6 段落までしか行っていないが、今日はもう寝るのでここまで。だんだんおもしろくなってきたところなので残念だ。
『社会システム理論』第1章6節「複雑性の問題*2」
邦訳p36-
■ [6-1]
- 複雑性の問題を取り上げる。
- 複雑性に関する成果を手がかりに、システム/環境-関係の分析を行う。
■ [6-2]
- 複雑性は、最近のシステム研究が経験する問題をもっとも強力に表現する観点。
- しかし定義されずに用いられている。
- そのせいで様々な研究を照合する可能性がさまたげられる。
- われわれは、複雑性を「要素概念」「関係概念」に基づいて定義する。
- この定義については社会学的啓蒙二巻の「複雑性」論文を参照。
- この定義のいいところは、
- 複雑性概念をシステム以外(環境、世界)にも適用できること。
- また、複雑性の概念をシステム概念なしで定義できること。
- このおかげでシステム理論の分析を別な観点から補強しうる。
- ただし、この時要素の規定がシステムに依拠することに注意しよう。
- 要素の規定がシステムに依拠するというこのテーゼは「『編成された複雑性』はシステム形成によってのみ成立する」というテーゼを含意する。
- というのも、「編成された複合性」は、システムの諸要素間の選択的な諸関係を含んだ複雑性のことだから。
- このおかげでシステム理論の分析を別な観点から補強しうる。
【コメント - ここから】
整理すると、
- 複雑性を「要素」と「関係」によって定義する。
- 複雑性自体は、どんな要素にも適用できる考え方である。
- 社会システムの場合は、「要素」と「システム」の規定が相互依存する。
- 「システムの諸要素間の選択的な諸関係を含んだ複雑性」を「編成された複雑性」と呼ぶ。
「システムの諸要素間の選択的な諸関係を含んだ複雑性」って何だろう。「諸要素間の選択的な諸関係」=構造かな? 多分そうだろう。
あと「複雑性」論文が参照されているので、『社会システム理論』の時点と「複雑性」論文の時点で、複雑性に関する基本的な考え方は変わってないと見なしてもよいだろう。
【コメント - ここまで】
■ [6-3]
- 要素/関係の差異から出発するなら次のことが帰結する。
- A) あるシステムにおいて結合されなければならない諸要素の数
- B) および、あるシステムにとってそのシステムの環境として結合されねばならない諸要素の数
- が増大すると
- ☆「それぞれの要素がそれ以外のすべての要素と関係する」ことは可能でなくなる。
- この☆(それぞれの要素が他の全ての要素と結びつくことが可能でない)という状況において、
- 「現に結合している諸要素の集合」を、「複雑的」と呼ぶ。
- ところでこの時、☆が帰結するのは、「ある要素が他の要素と結びつく能力の内在的な限定」のためである。
- 原因が「内在的な限定」であるがゆえに、要素が有する複雑性はシステムにとって自由に処理できない。
- 一方要素の複雑性によって要素の「統一体としての能力」が可能になる。
- そのかぎりにおいて複雑性は複雑性自体を前提とする事態である。
- すなわち、諸要素はシステム形成の高次の水準にとって統一体として機能するために、あらかじめ複雑的なものとして構成されていなければならない。
- しかし諸要素がすでに複雑的であるがゆえに、システムにおける諸要素の連結能力が限定される。
- その反面複雑性がシステム形成のより高次の水準で再生産される。
- 複雑性のこのような自己言及は、システムの自己言及として「内在化」される。
- そのかぎりにおいて複雑性は複雑性自体を前提とする事態である。
【コメント - ここから】
何言ってるのか全然わからんw。
- ☆の下で、結合した要素の集合を「複雑」と呼ぶ。
- ☆が帰結するのは要素の「内在的な限定」のせいである。
- 「内在的」っていうのは「要素に内在的」ということだろうか。
ここまではいいとする。しかし「複雑性は要素の集合に使う」って言ってるのに、どうしてそのすぐ後に「要素の複雑性」の話が出てくるのかがわからない。要素は要素の集合なのか?
仕方ないので原文にあたってみる(p46)。
"Menge von Elementen" は「要素の集合」ではなく「一定量の要素」でもよさそうだ。
- その場合
- 「要素の複雑性」とは「要素が他のいくつかの要素と結合している」ということ。
- しかし、要素が1個の単位たりえるのは、まさにこの結合のためである。
- だからこそ「複雑性は複雑性を前提する」と言える。
これならわかる。
複雑性のこのような自己言及は、システムの自己言及として「内在化」される。
ここはわからんが、まあいいや。
【コメント - ここまで】
■ [6-4]
- 1)複雑性は選択の強制を含意する。
- 2)選択の強制はコンティンジェンシーを含意する。
- 3)コンティンジェンシーはリスクを含意する。
- 1-3を解説する。
- 複雑的事態は、この事態を構成したり維持したりするための、諸要素間の諸関係を選択することに依拠している。
- 当の諸要素にとって、それ以外の関係づけが可能であるかもしれない。
- いずれにせよ関係の選択によって諸要素は、その関係の中の要素になる。
- 「それ以外の関係が可能」ということは、「コンティンジェンシー」と言う伝統的な用語で表現されてきた。
- 同時にこのことは、失敗の可能性(リスク)を意味する。
■ [6-5]
- 1) 選択の強制や選択の条件付けによって、よく似た単位から、きわめて多様なシステムが構築されうる。
- 2) 従って、世界の複雑性、種と類の複雑性、その中にあるシステムの複雑性はそれぞれ、「複雑性の縮減」ならびに「複雑性の縮減の選択的条件付け」によって可能になる。
- 3) こう考えた場合にのみ、「要素の持続がシステムの自己再生に適合しうる」ということが明らかになる。
【コメント - ここから】
「選択の強制や選択の条件付け」は「要素の関係の選択」のこと。
「要素の関係」=「構造」なのかな? たぶんそうだろう。
この場合、1 の部分を「構造の選択に応じてさまざまなシステムがある」と言い換えることができる。
「複雑性の縮減」=「選択」かな?
だとすると、2 は次のように言い換えられる。「構造の選択によってシステムが成立する。システムが成立しないと世界の複雑性も類と種の複雑性もないから、構造の選択こそが、以上のものを生み出している」
3 は意味がわからない。
こう考えた場合にのみ、「要素の持続がシステムの自己再生に適合しうる」ということが明らかになる。
なんだこれ?
- A「システムは【諸要素-の-関係-の-選択】によって成立する」
- B「要素の持続がシステムの自己再生に適合しうる」
なぜ A の場合そしてその場合のみ B が明らかになるのか。
【コメント - ここまで】
■ [6-6]
- したがってシステムにおける諸要素の複雑的連関に関する抽象的な議論が進展するためには、「進化論とシステム論の統一」が必要。
- 進化論について
- 諸要素の間にいかなる諸関係が実現されるのか、要素の複雑性自体から演繹的に導出することはできない。
- そうした諸関係がいかなるものであるのかは
- 1)システム形成のそれぞれの水準で
- 2)システム/環境 - 差異のいかんによって
- 3)この差異が進化の上で果たすしかるべき役割を実証することで
- 明らかになる。
- そうした諸関係がいかなるものであるのかは
- 諸要素の間にいかなる諸関係が実現されるのか、要素の複雑性自体から演繹的に導出することはできない。
- システム論(複雑性概念)について
- 一方、システム/環境 - 差異の問題は複雑性概念によって解明できる。
- システムにとって環境は自分よりも複雑的である。
- それゆえにシステム/環境 - 差異の創出と維持が問題になる。
- システムには、「必要な多様性」(アシュビー)が欠けている。
- 言い換えればシステムと環境の間の一対一対応はありえない。
- だからこそシステム/環境 - 差異の創出と維持がシステムの問題となる。
- a)システムの複雑性が環境のそれよりも劣っていることは、「選択の戦略」によって埋め合わされねばならない。
- b)システムが選択を強いられるのは、もとはといえばシステム自身の複雑性のせい。
- c)システムの諸要素の関係づけにおいて、どんな秩序づけが選ばれるのかは、環境 - 複雑性とシステム - 複雑性の差異による。
- d)このことのゆえに、システム諸要素の関係の秩序付けと、環境 - 複雑性とシステム - 複雑性の差異は分析的にしか類別できない。
- e)ところがこの二つの事態は同一の事態の二つの側面を形成している。
- f)というのも、諸要素の関係の秩序付けを選択することによってのみ、システムは複雑的になるのだからである。
- 一方、システム/環境 - 差異の問題は複雑性概念によって解明できる。
【コメント - ここから】
「進化論は構造の問題を扱う」という論点は『社会の社会』でもでてきた。
後半は「システム論は複雑性の問題を扱う」と言っているように見える。
しかし、まず「環境はシステムより複雑」というのがどういう意味だかよくわからない。
いわゆる「複雑性」の話は何となくわかったが、それが社会システムにおいて(意味の次元において)どうなるのかがよくわからない。なかなか経験的な話に落とし込めない(落とし込もうとすると例のオレ様解釈になる)。
a-f は重要そうだが意味がわからない。
- c) システムの諸要素の関係づけにおいて、どんな秩序づけが選ばれるのかは、環境-複雑性とシステム-複雑性の差異による。
お! これは、西阪氏の引用にあった私の疑問箇所と同じ内容だ。
文脈からして進化の話だなあ。
前後をいちいち言い換えてみよう。
- a)システムの複雑性が環境のそれよりも劣っていることは、「選択の戦略」によって埋め合わされねばならない。
- b)システムが選択を強いられるのは、もとはといえばシステム自身の複雑性のせい。
- c)システムの諸要素の関係づけにおいて、どんな秩序づけが選ばれるのかは、環境-複雑性とシステム-複雑性の差異による。
=> a) 複雑性の落差は「構造の選択」が埋め合わせるよ。
=> b) しかし「構造の選択」が必要なのは、システムが複雑だからだよね。
=> c) 「構造の秩序づけ」は複雑性の落差によるよ。
どういうことだろう?
- 「複雑性の落差」→「構造の選択」←「システムの複雑性」
- 「複雑性の落差」→「構造の秩序づけ」
c) は a) を言い換えただけだな。
- d) このことのゆえに、システム諸要素の関係の秩序付けと、環境-複雑性とシステム-複雑性の差異は分析的にしか類別できない。
=> d) だから「構造の秩序づけ」と「複雑性の落差」は分析的にしか類別できない。
「このことのゆえに」というのは、「構造の秩序づけが複雑性の落差に依存するから」ということか。両者が依存の関係にあるから切り離すことは本来できない、と。
- e) ところがこの二つの事態は同一の事態の二つの側面を形成している。
- f) というのも、諸要素の関係の秩序付けを選択することによってのみ、システムは複雑的になるのだからである。
=> e)「構造の秩序づけ」と「複雑性の落差」は同一の事態の裏表である。
=> f) なぜならば、構造の秩序づけこそがシステムの複雑性を生み出すのだからである。
ややこしくなってきた。
- 構造の秩序づけは複雑性の落差に依存する。
- ところで、構造の秩序づけはシステムの複雑性を生み出す。
- システムの複雑性がなければ複雑性の落差もない。
- 従って構造の秩序づけが複雑性の落差を生み出すとも言える。
- だから両者は同じ事態の裏表だよ。
なるほど。
これでようやく問題が何だったのかがわかってきた気がする。
↓こんな感じか?
- 「複雑性は観察図式である」
- 「構造は、システム - 複雑性と環境 - 複雑性の落差によって決まる」
- ルーマンはこの両方のことを言っているが、なんでこんなことが言えるのか?
【コメント - ここまで】
- *1: http://www.dnc.ac.jp/center_exam/19exam/kijitu.html
- *2: 邦訳では「複合性」となっているがここでは「複雑性」を採用
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