今市子『百鬼夜行抄(15)』
朝日ソノラマ、2007
■ 感想
慣れてきてしまった感もあるが、相変わらず複雑なプロットを見事にまとめている。
『百鬼夜行抄』を読むたびに思うが、漫画というのは本当に叙述トリックがきれいに決まるメディアだ。改めて考えると『百鬼夜行抄』では時々、かなりアクロバティックな語りのトリックも使っているのだが、意識せずに読んでいるとそれを感じさせない。
私が覚えている例ではたとえば、「律(主人公)が出てきたと思わせておいて、実は開(おじさん)の若い頃だった」というのがあった。こういうのを小説でやるのは不可能ではないが、どうしても作者の手が透けて見える感じというか、作為的にトリックを仕掛けた風になりそうだ。その点、漫画はクールでいいなあ。説明に言葉を使わなくていいのが効いているのだろう。そこは映像でも同じだが、映像でこんな複雑なことをするとわけがわからなくなるだろうから、漫画という「読み返せ、かつ絵で構成できる」形態のメリットはすごくあるにちがいない。
そう言えばドラマ化するそうだが、ほとんど毎回登場する叙述トリックをどう再構成するのかが気になるところだ。幽玄な雰囲気はテレビで真似ようと思っても困難だろうから、むしろ語りのトリックの方を追求してドラマ化すればいいと思った。映像でうまく再構成できれば、おもしろくなるのではないか。テレビがないので観れないのだが、評判がよければ観てみたいなあ。
今回の巻について言うと、新ネタはそれほど見られなかったのでそこは残念だった。「幽霊を怖がっている側が実は幽霊だった」はもうこのシリーズの定番になっているし、「人物を本人の主観の姿で描く」も時々やっているネタだし。おもしろいからいいけど。
あと青嵐がほとんど出てこないのはどうなのか。
■ 知ったこと
なお、ペンネームの「蝸牛」は、幸田露伴の自宅の名称「蝸牛庵」に由来している。また、この「蝸牛庵」は飯嶋家の外観のモデルともなっている。
はじめて知った。
飯嶋蝸牛のモデルは泉鏡花説などもあったように思う。個人的には、外見は折口信夫に似ていると思う。
■ あらすじ
- 迎えにきて
幽霊画の話。
- 鬼の面
嫉妬の話。今回一番救いがなくて怖かった。
- 野に放たれて
生まれ変わりの話。
- 緋い糸
赤い糸が見える人の話。
- 黒天井
古い家の話。
■ 目次
- 迎えにきて
- 鬼の面
- 野に放たれて
- 緋い糸
- 黒天井
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 百鬼夜行抄15
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.at-akada.org/mt/mt-tb.cgi/70

コメントする