2007年2月
黙々と発表準備を進めるわたし。時間がない。
今日は、ちょっぴりブレイクスルーがあったので記録しておく。
フィクションの問題は、真偽の問題ではなく知識の問題だと考えることで、ずっと問題がすっきりするように思われた。だが、まだ考え中なのでこれ以上は詳述しない。
Thomas G. Pavel(著)
Harvard Univ Pr; Reprint版, 1989
アマゾンがないと言ったので丸善に注文してみた。
- 『名探偵の掟』
東野圭吾(著)
講談社文庫(講談社)、1999
記録するためにアマゾンを見たら1円で売ってたのでそっちで買えばよかったと思った。
- 『緋色の研究』
コナン・ドイル(著), 延原謙(著)
新潮社文庫(新潮社)、1953
これも1円で売ってる(泣)。どこでも売ってそうな本は新品では買わなくてもいいということか。
ホームズ・シリーズは各社から出ているが、新潮社文庫版の表紙が一番かわいらしくてよいと私は思う。
日能研、1998
文章題はフィクションであるという結論にいたりつつある。
売り上げで見るA地下バー10年のあゆみ
BLACK RIOT は某大学の地下で運営されているバーであった。ついに 10 周年を迎えたそうであった。
おもに某大関係者むけ。
某社の大変めんどうなエントリーシートを提出した。疲れた。
- シモーヌ・ヴェーユ「神への愛のために学校の勉強を活用することについての省察」『シモーヌ・ヴェーユ著作集〈4〉神を待ちのぞむ―ある修道者への手紙』
シモーヌ・ヴェーユの論文「神への愛のために学校の勉強を活用することについての省察」が達成動詞の特徴に基づく議論であることについて、という示せると誰がうれしいのかまったくわからない論点。
これは、ちょっと前にクルターの『心の社会的構成―ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの視点』の、「理解」に関する文法違反についての議論を読んでいて、はたと気がついた。その時は、「ヴェーユの論文も、文法違反じゃん」と思ったのだが、今は気が変わってむしろ達成動詞に関する議論として (無理矢理) 読もうと思ってる。
ヴェーユのこの論文 (というかエッセイ) は、タイトルがおもしろい、という理由で前から結構好きだった。知り合いの神父の生徒のために書いたものであるらしい。
ヴェーユはここで、学校の勉強における理解が受動的なものであることに基づき、美しい筆致で、信仰の受動性と勉強との近さを描き出している。要するに、勉強と信仰は似てるから信仰のために勉強を役立てろって内容。
きわめて貴重な善は探すべきものではなくて、待つべきものだ。というのは、人はそれらを自分の力で見つけることはできないし、それらを探しはじめると、偽りの善にとらえられて、その偽りを識別できないことになるからだ。
(…)
こう考えると、すべての学校の勉強は秘蹟に似ている。
学校のすべての勉強には願望をもって、真理を探さずに、真理を待つ独特のやり方がある。解答を探さずに、真理を待つ独特のやり方がある。解答を探さずに幾何の問題の所与に注意し、意味を探さずにギリシア語のテキストの言葉に注意し、書いているときには、ただ不十分な言葉だけをしりぞけて、正しい言葉がひとりでにペンの下に出て来るのを待つのだ。
p77
で、何に気づいたのかというと、この受動性が単純に達成動詞の特徴だということである。
だから、「到着する」「勝つ」「負ける」「見える」「出会う」……etc. についても同じ議論を構成できてしまう。
わかりやすいのは「勝つ」の場合。勝利についてだって、「勝利を探さずに、勝利を待つ独特のやり方がある…云々」という議論が構成できる。「負ける」でももちろん同様。「見える」については、例えば立体視のやつが見えるかどうかについて、「見えを探さずに、見えを待つ独特のやり方がある…云々」と言えてしまう。
そして以上が何を示唆するかというと、ここで勉強とアナロジーされている (ヴェーユの重要概念であるところの) 「恩寵」についても同じことが言えるという点。つまり、恩寵は達成動詞なのである。
気づいたときは、「えー、がっかりー」と思ったが、むしろポジティブに考え、達成動詞はすべて「恩寵に似たもの」なのだと思い込むことにした。「勝つ」も「負ける」も「到着する」も「出会う」も、すべて信仰に似たものなのであり、神への愛を学ぶのに役立つのである。
ついでに新宿で勉強の本を。
ソール・A.クリプキ(著), 八木沢敬(訳), 野家啓一(訳)
産業図書、1985
実は持ってなかった。可能世界を使った議論の模範例ということで、軽く見ておこうかなあと。
- 『言語と行為』
J.L.オースティン(著), 坂本百大(訳)
大修館書店、1978
実は持ってなかった。こっちも軽く見ておこうかなあと。
高原脩(著), 林礼子(著), 林宅男(著)
勁草書房、2002
サール説を何とかしないと発表がまとまらない気がしてきたので今さら教科書を。会話分析の項目もあるみたい。
ルーマン・フォーラム「来年修論を出す人」の会・第二回勉強会
(M1 会ではなくなったので勝手に改名した)
可能世界意味論初等講座をやった後、「でもこれは必要ないという結論がでました」というと、「いらない部分を載せるのはどうか」と言われる。そりゃそうだとわれながら思った。せっかく勉強したからアウトプットしたかったのだが、そんな理由で修論に載せてはいけないわな。よくよく考えると当たり前のことだが、こういうのは自分ではなかなか踏み切れないので、われに返る機会があってよかった。
「日本の古本屋」にて。
日本の古本屋は雑誌のバックナンバーが比較的見つけやすいと気づく。
- 雑誌「現代思想」vol.23-04
青土社、1995/4
「可能世界/固有名」
- 雑誌「ユリイカ」vol.21-09
青土社、1989/7
「G・K・チェスタトン ―ブラウン神父の世界観」
ウィリアム・エンプソン(著), William Empson(原著), 岩崎宗治(訳)
岩波文庫(岩波書店)、2006
数日前に買って、カウントし忘れていた。上は出たときに買ったけど、下を持ってなかった。
- 雑誌「STUDIO VOICE」vol.374
「「80's カルチャー」総括!」
80年代特集。
ぱらぱら見たが、いまいちな印象。なぜ今80年代なのかというテーマ設定が、ライター群に共有されていないように見える。資料・調査にも突出したものはなさげ。
ハスミン
蓮實重彦(著)
青土社、2006
- エンマ・ボヴァリーとリチャード・ニクソン
- 「『赤』の誘惑をめぐって」
2つの論考のみ目を通す。
なお、「フィクション」をめぐっては、来年二月に刊行予定の『「赤」の誘惑――フィクション論序説』(新潮社)により詳細な議論が展開されることになるだろう。
p365
予告篇だった YO!
ちなみに発売は3月末になったらしい。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-10-304351-5&Sza_id=MM
感想。
小説も哲学論文も関係なく、「赤」というテーマでテーマ論的に横断してしまうハスミンには、「テクスト」概念があればよかったのであって、「フィクション」の概念はまったく必要なかったのではないかと思った。タイトルも対象も、「フィクション」とか「フィクション論」になっているのに、フィクション概念が論考中で何の役割も果たしていない。
↓ハスミン先生はなんでわざわざフィクションを論じようと思ったのかと探していたら、こんなインタビューを見つけた。
http://www.flowerwild.net/2006/12/2006-12-04_102306.php
──どうして今、フィクションという主題で書こうと思われたのですか。
蓮實:ひとつには、いまいったように、まだまとめきれずにいる『「ボヴァリー夫人」論』を完成するにあたってフィクションというものを近代の散文の一形式としてどうしてもおさえておかなければいけないという意識がありました。それには、ミシェル・フーコーのいう「近代」における言語の露呈との関係で「近代小説」をとらえざるをえないということなのですが、現在のフロベール研究はそうした視点を重視してはおらず、かろうじて、局外者のジャック・ランシエールがその種の視点に立っている。言語の露呈とフィクションとの関係を結果としてうまくおさえられたかどうかはわかりませんが、多くの西欧の理論家たちがフィクションを論ずると、論ずる主体が無意識のうちにフィクション化していく。論ずる主体がフィクション化していくってことは、ほとんど自分の言葉を語ることができず、言葉に語らされることで主体が希薄化していくということです。アメリカの言語哲学者のほとんど全員がそれにあてはまっている。それと、いまは「可能世界論」的なフィクション論が盛んなんですが、そうした視点からフィクションを論じようとするひとの大半は、論じている作品が読めていないってことがはっきりとわかる。語っているひとたちは間違いなく存在しているにも関わらず、彼らの言説は対象を欠き、ほとんど存在していないかのような曖昧なものになっていく。ですから、「フィクション論者のフィクション化論」というような話になります(笑)。
「論じている作品が読めていないってことがはっきりとわかる。」
これ、論考のなかでも同じことを言っていた。
すでに見たように、彼らの大半は文学作品の「有名性」に依存しており、テクストを読むことに関しては、「素人」の域を出るものではないからである。
p288
ハスミンが「フィクション」を論じつつ、ここでは読まれる対象が「作品」、「テクスト」となっていることに注意しよう。
私は「フィクション」論のいいところ(の一部)は、すごい読みじゃなくてふつうの人の読みをあつかったところだと思う。「作品」とか「テクスト」という概念と違って、フィクションという概念のいいところは、それが文学的でも何でもない、すごくふつうの概念であるところだと思う。
それに対しハスミンの論考は、ハスミンがあくまでも作品とテクストの人であって、フィクションの人ではないということを劇的に示していて、おもしろいと思った。この辺の対照化はもうちょっとうまく言えそうだが、なかなかむずかしい。
マリー=ロール・ライアン(著), Marie‐Laure Ryan(原著), 岩松正洋(訳)
水声社、2006
前半は虚構論、後半は物語理論。後半の方がおもしろいと見た。しかし物語理論は後回しにする。
いくらか検討した結果、この著者はおそらく可能世界という概念があまりよくわかっていないのだという結論に達した。
簡単にメモ書きしておく。
一番あやしいのは認識に関する可能世界や、義務に関する可能世界や、物語の展開に関する可能世界などなどを同時に与えているところ。「物語は、義務に関する可能世界や認識に関する可能世界...などからなる」と言っているように見える。これはおかしい。これは「人間は、男と女、子供と老人、20歳以上と20歳未満、50歳以上と50歳未満、本州に住む人とそれ以外に住む人などなどからなる」という発言と同じくらいあやしげな表現。つまり、同時に使ってはいけないカテゴリーを同時に使っている。
可能世界意味論は、義務の分析にも、認識の分析にも、物語の展開に関する分析にも、それぞれ使えるものであるが、だからと言って、それらの可能世界を同時に与える必要はない。必要はないどころか、同時に与えてはいけないのだ。なぜなら、「認識の分析に使われる可能世界」、「義務の分析に使われる可能世界」などなどは全部まったく異なったものであり、それぞれまったく違ったフレームを持つのであるから。
この本自体はいい本だと思うけど、「可能世界」をタイトルに関した文学理論書でもこのくらいのもんであるということで私は安心したのだった。
ライアン本1章
マリー=ロール・ライアン(著), Marie‐Laure Ryan(原著), 岩松正洋(訳)
水声社、2006
- 1 虚構の中心移動
読み直し。様相論の基礎を勉強してから読み直すとやはりまったく印象がちがう。
とりあえず1章。
これホントは「可能世界」概念なくてもいいんじゃないだろうか。著者は「テクスト宇宙がたくさんの可能世界からなる」と言うが、それって要するに「テクスト宇宙」と「可能世界」という2つの概念が互いに独立したものだというだけの話だろう。もともと関係ない話がいろいろ混ざっているために、余計にややこしいことになっているように見える。
著者のあげる方針は、まとめると「可能世界概念はわりと役立つ」けど「可能世界を虚構性の分析【には】使わない」ということだろう。その辺がわからないと激しく混乱すると思われる。というか私が混乱していた。
1章でかかげられた方針は解きほぐすと以下のようになるはず。
- 認識・様相について。
- 可能世界は従来通り、様相(必然/可能)や認識の分析に使いましょう。
- エーコその他がやったように、小説内における可能性の分析や認識の分析に使うならば、可能世界の概念は有益なものです。
- 可能世界は従来通り、様相(必然/可能)や認識の分析に使いましょう。
- 虚構性について
- 可能世界=虚構世界ではありません。
- しかし、「現実に actual」が指標的 [indexical] な語だというルイスの指摘は、虚構性の分析に役立ちます。
- 虚構とは、「『現実に』の指示先が変わること」、すなわち「中心移動」です。
- 虚構に関する言説について
- ルイスらの言うとおり、虚構作品に関する言説の真理条件を定義するために可能世界を使ってもいいのかもしれません。
- 「可能世界概念を、虚構作品における認識・様相の分析に使う」
- 「虚構性を、中心移動によって定義する」
- 「虚構作品に関する命題の真理条件を可能世界概念によって分析する」
この3つは完全に独立した話なので、混ぜるのは混乱のもと。
ただしバラバラにでてくるなら、どれもまともな方針だと思う。
訳について。
基本的には読みやすいよい訳だ。
豆知識。訳者さんの裏の顔は『文藝ガーリッシュ』。
千野帽子(著)
河出書房新社、2006
ただし数学用語の訳はすこしあやしい。
「秩序づけられた三重対」
p39
原文は見てないが、これは数学用語の「順序3組」だと思われる。
今日はいっぱい論文をコピーして疲れた。
一度にひとつのことしかできないのは私の悪い癖なので勉強をはじめると、あせって勉強ばかりしてしまう。のはよくないので、ほかのことをしようと思ったのでこの本を読んだ。
安藤弘一(著)
ビジネス社、2006
面接やエントリーシートにおいては、ビジネスパーソンとしてのセンスとマインドを持っていることをアピールしなければならないと感じた。
また就職活動っぽい文体を即興で作り出す練習をすべきだと感じた。
私の長所は夢中になってひとつのことに打ち込める点です。学生時代は勉強のほかに youtube に打ち込み、毎朝必ず2時間以上 youtube の動画を見ていました。ところが、あるとき友人に視野を広く持つように指摘され、ひとつのことに集中するだけではいけないと気がつきました。
広い視野をもって物事を比較し、さまざまな選択肢を受け入れていくことは社会人にとってなくてはならない能力だと考えます。そこで友人の薦めにしたがい、youtube にくわえてニコニコ動画も頻繁にみるようになりました。youtube とニコニコ動画を比較検討して楽しむ機会をえたことは幸いでしたが、何よりも視野を広く持つことの大切さを知ることができたのが貴重な体験でした。これからも積極的に周りの意見をとりいれ、多様な選択肢を受け入れる度量をもつようつとめたいと考えます。
疲れたので一個だけ。
メモ。
- 『可能世界の心理』
ジェローム・S. ブルーナー(著), Jerome S. Bruner(原著), 田中一彦(訳)
みすず書房、1998
ブルーナーは1950年代から60年代にかけて起こった認知革命の火付け役として知られ、思考研究や乳児研究においても常に時代をリードしてきた。しかしその後立場を変え、認知科学の動向にむしろ批判的になる。本書はその新しい立脚点と眺望を示す論文集。ネルソン・グッドマンの「構築主義」を手がかりに、一個別科学を超え、ギアーツの人類学、バルトの文学批評、ヴィゴツキーの言語学などと手を携えた文化心理学へと深まった。文字通り、心理学に新しい地平を拓いた、意欲あふれる一冊。
サッチマン『プランと状況的行為』の参考文献にあがっていた。
以下は買った本。
R.C. ホルブ(著), 鈴木聡(訳)
勁草書房、1986
受容美学のその後の展開が紹介されているらしい。
メモしようと思ったら、マーケットプレイスに出てたので買った。
飯田「可能世界」
- 飯田隆「可能世界」
(『新・岩波講座 哲学 (7) - トポス・空間・時間』岩波書店、1985)
■ あらすじ
可能世界の概念とともに、「必然性」「偶然性」「現実性」「本質的」「偶有的」など、伝統的形而上学の概念が分析哲学に復活したのでびっくり。本稿ではこの可能世界概念の紹介と検討を行うよ。
可能世界は様相を説明するのに確かに役立つね。多くの哲学者は、「これはただの説明のためのおとぎ話で」と言いながらおとぎ話を説明に使ってしまう。
しかし、現実には存在しない可能世界が存在するということは矛盾ではないだろうか。
可能世界の概念を採用する哲学者たちは、この矛盾をどう解決するかによって、「可能主義」「現実主義」の二つに分かれるよ。
(1)可能主義
可能主義というのは、可能世界は存在するし、現実世界と同種のものであるという説だよ。代表的な論者はデヴィッド・ルイスだよ。
この説が出会う難点は次の通り。
可能主義は、ある個体がどの世界に属するかをどうやって決めるのか提示できていない。たとえば、この現実世界のなかに、たがいに物理的に触れ得ない複数の宇宙が存在することがありうる。SF でいう平行宇宙などがこれにあたる。可能世界はこのような複数の宇宙とどう違うのか。それを言わなければ、可能世界の存在を主張する説が、「現実世界に関する特殊な主張」に堕してしまうだろう。
(2)現実主義
現実主義というのは、可能世界は存在せず、現実世界だけが存在するという説だよ。現実主義者にとって可能世界はただのお話なのだから、現実世界に存在する部品だけによって可能世界を構成できると言わなければならないよ。
可能世界を構成する部品として、「文または文の集合」「命題や性質のような抽象的存在者」「現実世界の基本的構成要素の組み換えによって得られる配置」があげられてきた。
しかし全部失敗したよ。難点は、この方向でいくと、いくつかの可能世界を排除しなければならなくなること。また、説明すべき「可能性」の概念を使わずにこの種の話をすることが非常に困難だからだよ。
以上のように、可能主義、現実主義どちらも困難におちいる。可能世界によって様相概念が説明できるという仮定そのものがおかしかったのではないだろうか。
本稿の提案は、可能世界が様相の分析に役立ったことは認めつつ、可能世界による意味の理論を断念しようということだよ。様相概念が十分明確化されるならば、様相以外の概念によって様相を説明する必要は必ずしもないはずだよ。その実現は、今後の課題としたい。
■ コメント
著者自身も言うとおり、いくつかの論点は追加されているものの、↓の本の構成はほとんどこの論文と同じ。ただし本の方がどの論点もずっと丁寧なので、とてもためになった。のでこの論文を読んでから本を読むのがよいのではないかと思った。
飯田隆(著)
勁草書房、1995
- 佐々木健一「虚構と真」
(『新・岩波講座 哲学 (3) - 記号・論理・メタファー』)
■ あらすじ
虚構と真はとくに矛盾せず、実は相性がよいことを示す。
虚構の研究として分析哲学における虚構文の研究がある。ここではビアズレー、ウェイツ、サールのものを紹介する。これらはそれなりにおもしろいが、文を単位とするのは、虚構作品の研究としてはよろしくない。ので文をこえたレベルで考えてみよう。虚構作品の本質として「プロットの虚構性」「メタレベルの信」「中間の位相」ということをあげる。
1)虚構の作品において虚構なのは、登場人物およびその行動である。すなわちプロットの虚構性が作品を虚構たらしめるといえる。
2)次に、実話と虚構をわけるのは、テキストに対するメタレベルの信である。すなわち、テキストを読む以前の了解によって虚構かどうかが決まると言えよう。
3)しかしもっと内容に即して考えてみよう。プルーストの『失われた時をもとめて』には、パリと架空の田舎町コンブレーが出てくる。一方、架空の首都と実在の田舎町が出てくるような虚構作品というのは考えがたい。ここから振り返って考えるに、ある程度の時と場所まではわかるが、日付と番地までは特定されないというような中間の位相が虚構の本質なのである。
つぎに虚構作品における報告文について考えてみよう。小説内の報告文はふつうの報告文とは文体からして相当ちがっている。このちがいは結局小説内の報告文が、個性的な把握でありながら、その報告を事実そのものとして提示するということによっている。このような事態について考えるには「真」の概念を考え直す必要があろう。
真という語の語法に注目してみよう。「P」と発話することは、「P は真だ」を含意するが、含意するのと「P は真である」と言うのとはちがう。われわれが「P は真だ」と言うのは、「P」の真偽が曖昧である場合にかぎられる。すなわち「真」とは、「今まで信じられていなかったことを発見しておどろく」というできごと的なものであり、価値的なコミットなのである。
真をこのように考えるなら、それが虚構と矛盾することはない。個性的な把握を事実として提示するという虚構の特性は、存在を真として与えることなのである。
■ 感想
「真」概念の分析はおもしろいが、虚構と矛盾しないのなら、はじめから「真」概念はいらないのではないかと思った。
「中間の位相」は、言い方はちょっとひっかかるがおもしろい。確かに「架空の首都と実在の田舎町」という組み合わせはヘンだ。なぜヘンなのか、もう少し考えてみてもいいような。
エスノメソロジー系の本と言語哲学系の本を交互に読んでいくとなかなか楽しいことがわかった。とりわけ以下の2つの部分はきれいに対照を描いていておもしろい。
『プランと状況的行為―人間‐機械コミュニケーションの可能性』
ルーシー・A. サッチマン(著), Lucy A. Suchman (原著), 佐伯胖(訳), 水川喜文(訳), 上野直樹(訳), 鈴木栄幸(訳)
産業図書、1999
表現の意味はいつも実際にいわれていることをこえているゆえに、表現の解釈はその慣習的な、あるいは定義的な意味やある前提の集まりだけではなく、語られないその使用状況にも依存している。(…)哲学者は、この事実を命題の真理条件にかかわる問題であると思い込んでいた。つまり、ある主張が真である条件は、常に背景に関係しており、そしてこの背景は文そのものの意味内容の一部を形成しているわけではないとしていたのである(Searle, 1979)。さらに、原理にかかわることとして言語哲学者を悩ませてきた同じ問題は、いま認知科学者にとっての実践的問題になっている。(…)背景の仮定を意味内容としての叙述に含めようという実際の試みは、しかしながら与えられた叙述の基礎にある仮定の定まった集合はないという事実に遭遇した。結果として、背景的仮定の精緻化は、基本的にその都度なされるものであり、また恣意的なものなのである。そして、原則として仮定のそれぞれの精緻化は、精緻化されるべきさらなる仮定を無限に導入するのである。
邦訳p59-60
背景の仮定を列挙するのは無理ですよ。
パースは、サインの意味がそれが指示する出来事や対象に依存しているだけではなく、サインが実際、指示対象の構成要素であることを"インデックス"という言葉で表した。それで、状況に埋め込まれた言語は、より一般的にはその使用状況に係留されているだけではなく、大いにその使用状況を構成しているのである。エスノメソドロジーはこの言語の構成的機能をさらに行為にまで一般化する。(…)「"文脈一般"なる概念が存在しないだけではなく、例外なくすべての"文脈"の使用はそれ自体本質的にインデックス的であるとしたならば、文脈的行為 (action-in-context) の分析可能性をもたらすのは、まさにこれらの実践なのである」(Garfinkel, 1967; p.10)
邦訳p61
言語(および行為)は文脈に依存するだけでなく、文脈を構成しますよ。
意図の形式を一組の必要十分な観察データで正確に定義できるような、文脈と独立した何らかの行動の意図を認定するための論理の公式は存在しないし、また特定の文脈の固有事実を行動の記述に結びつけるような認識アルゴリズムなるものもない(Coulter, 1983; pp. 162-163 を見よ)。
行為の解釈のための普遍的ルールが存在しないとすると、エスノメソドロジーのプログラムは、特定の状況におけるドキュメンタリー的方法の使用を研究し、また記述することである。
邦訳 p63
だから、むしろ特定の状況から出発し、そこにおける方法を記述しましょう。
一方、この本いわく、
飯田隆(著)
勁草書房、1995
モンターギュの例がひとつの典型とみなせるが、自然言語に対する論理学者・哲学者の態度は、一九六〇年代から一九七〇年代にかけて大きく変わった。それにはいくつかの要因が挙げられるが、そのひとつは、様相論理の意味論をはじめとする、標準的論理以外のさまざまな論理に関する研究が、一九六〇年代以降いっせいに開花したことである。これらの研究は、形式意味論、もっと限定して言えば、モデル論と呼ばれる分野に属する。形式的取り扱いを拒否すると考えられていた自然言語の特徴、とくに文脈依存性が、非標準的論理の意味論において開発された手法のもとで手なずけることができることの発見は、なかでも重要である。この成功に気を良くして、自然言語の「論理的欠陥」の現れとして、これまでの論理学では意識的に排除されてきた特徴を、形式的に扱おうとする試みがさまざまになされた。たとえば、非形式論理学の必要性の根拠としてライルが挙げた表現のほとんどすえてが、こうした形式的取り扱いの対象となった*。そして、こうした発展のいわば頂点にあるのが、モンターギュ文法である。
* Cf. N.U.Salmon, Reference and Essence. pp.26f.
p173-174
(強調はわたし)
EM のひとたちは、「文脈の形式化は無理」だが、「形式化できなくても別に困らん」という言ってるように見える。他方、ある種の哲学者(および言語学者)が、形式論理を拡張して文脈的要素を扱おうとするのは、「文脈を形式的にあつかえないと困る」とおそらく思っているからなのだろう。
いうなれば、「特定の状況から出発し、そこにおける雑多な論理と方法をとらえようとする人々」と、「形式論理の拡張によって個別の状況にせまろうとする人々」となるのか。両者の中間にライル(と、たぶんウィトゲンシュタイン)がいるというのもなかなかおもしろいことである。
どちらの人々についても初学者以上の者ではない私には、これ以上あまり何も言えないのが歯がゆいところだが。後者に関して素朴に疑問なのは、「拡張しすぎると結局日常言語になるのでは?」というか「日常言語になるまで拡張しないのならば、結局、出てきた論理を個別の状況とどう関係づけるのかという問題が生じるのではないか?」という点。この点については結局勉強するしかないのだろうけど、とりあえずメモしておく。
本を買いすぎる男参上。
以下は近所の新刊書店にて購入。
『エンターテイメント映画の文法―ヒットを約束する脚本からカメラワークまで』
純丘曜彰(著)
フィルムアート社、2005
研究の必要上、この手の本はもっと読むべきだと感じているのだが、どうしても後回しになってしまう。願わくば3月までに理論的な部分の結構をまとめ、4月からはネタ探しに奔走できるようにしたいのだが。
以下五冊は古書店にて。
西垣通(著)
筑摩書房、1990
立松弘孝(訳)
みすず書房、1965
- 『情報』
川合慧(編)
東京大学出版会、2006
ミルン(著)、三輪滋、神宮輝夫(訳)
あかね書房、1964
- 『ふしぎな足音 - 少年少女世界推理文学全集 No.5』
チェスタートン(著)、前川康男(訳)
あかね書房、1964
チェスタートンの方はアマゾンになかった。
小笠原正仁(著)
明石書店、2001
これも古本屋で買った。
5日くらい前に CD をツタヤに返さないといけなかったらしいが、忘れていた。結構なお金を払わされたのだが、これはどう考えても無駄な出費だったので反省。
図書館でもよく返し忘れるので、なんとかせねばならない。これからものをレンタルしたときは、じぶんにメールをして、返すまで未読箱に入れておくことにする(←ライフハック)。
W(ダブルユー) "Robo Kiss"
意味もなく貼っておくが、この曲が好きだ。
「すきすきす キスはわかるわ/すきすきす ロボットだっても」のとことか。
ロボットがでてくれば何でも好きなんじゃないかという気もしないでもない。
たとえば、以前も貼ったが、榊原郁恵の "ROBOT" という曲が本当に好きだ。
http://www.youtube.com/watch?v=lnEOveMAsWc
(なぜか18禁になっているので youtube のアカウントがないとみれない)
アシモフは、ロボットものの小説には2種類あると言った。ひとつはロボットが人間に復讐する「脅威としてのロボット」だ。フランケンシュタインや、チャペックの『R.U.R』など、ロボットの恐怖を描いた、古典的なロボットものの多くがこれにあたる。もうひとつは人間に忠実なロボットの哀歌である「哀れなものとしてのロボット」だ。ロボット版忠犬ハチ公といってもいい。悲しきヒーローである鉄腕アトムなんかはこっちなんじゃないかと思う。
榊原郁恵の曲は後者だ。そして私は哀れなものとしてのロボットストーリーが致命的に好きなのだと思う。アイドルが自分を忠実すぎる哀れなロボットになぞらえて歌う、というこの曲の倒錯した部分も含めて好きだ。しかし、「このこころーもてあしーもおもうままにうごくわー」と、うら若きアイドルたちが水着でロボットダンスを踊るこのビデオの倒錯っぷりは尋常じゃあない。頭がくるくるするやばさだ。
書いてから気づいたが、前半のレンタル CD の話とロボットはなにも関係がなかったな。
John Woods(著)
Walter De Gruyter Inc, 1974
買った?
紀伊国屋のサイトで。届くかどうかわからない系。
"Verbal Icon Studies in the Meaning of Poetry"
William K. Wimsatt(著)
Univ Pr of Kentucky, 1967
マーケットプレイスで購入。「意図への誤信」が入ってる本。
いわゆるニュークリ(ニュークリティシズム)系。
今、コピーしにいきます
メモ。じぶん用。
○は図書館にあるもの。
追記:
図書館しまってた...。
- 西阪仰「普遍的語用論の周縁」○
『ハーバーマスと現代』
新評論, 1987
- 「参与フレームの身体的組織化」○
『社会学評論』43(1)
1992
- 「現代思想」○
1995/4
「可能世界/固有名」特集
- 「信念のパズル」○
Saul Kripke 著 ; 信原 幸弘 訳解説
「現代思想」
1989/03
「他者とは何か--コミュニケーションと意味」特集
- 飯田隆『虚構世界の存在論』書評○
「科学哲学」vol.29
理想社、1996
- "The Possible and the actual : readings in the metaphysics of modality"
ed. Loux, Michael J.
Cornell University Press, 1979
- "Reference and modality"○
ed. Linsky, Leonard
Oxford University Press, 1971
- 戸田山和久「ウィトゲンシュタイン的科学論」○
新田義弘編
岩波書店、1994
- 安川一「"ヴィジュアル"の"わかりづらさ"――ヴィジュアル表現の社会学へ(上)――」○
『言語』27(8): 10-16.
大修館書店、1998
- 安川一「"わかりやすさ"の陥穽――ヴィジュアル表現の社会学へ(中)――」○
『言語』27(9): 10-15.
大修館書店、1998
- 安川一「ヴィジュアル文化の読み解き方――ヴィジュアル表現の社会学へ(下)――」○
『言語』27(10): 10-15.
大修館書店、1998c
- 安川一「マンガの情景――ヴィジュアルの循環――」○
『メディアの現在形』
香内三郎(著), 広瀬英彦(著), 安川一(著), 林利隆(著), 真鍋一史(著), 花田達朗(著), 小玉美意子(著), 山本武利(著), 吉見俊哉(著), 田村穣生(著), 古賀豊(著)
新曜社、1993
- 前田泰樹「行為の記述・動機の帰属・実践の編成」○
『社会学評論』56(3)
2005
本を買いすぎる男参上!
古本屋にて。
- 雑誌「現代思想」vol.18-3
1990/3、青土社
「ロボット - 思考なき知性」
- 雑誌「現代思想」vol.22-12
1994/10、青土社
「天使というメディア」
鈴村和成
洋泉社、1991
単行本扱いになっているようだが、見た目は雑誌だった。
■ de re
「de re 様相 (でれようそう)」と「ツンデレ」を絡めて何か (一発ネタ的なギャグが) 言えないかと思ったが、念のために検索したらすでに言われていたので残念だった。
でもせっかくだから復習ついでに書いておく(←おぼえたばかりの言葉を使いたくてしかたがない男参上)。
述語「T(x)」を「x がツンデレである」とする。
「∀x□T(x)」は「すべての x について、ツンデレであることが必然である」。
「□∀xT(x)」は「すべての x がツンデレであることが必然である」。
前者の場合、必然は「ツンデレ」という「性質」にかかっているので、これを de re (事柄についての) 様相と呼ぶ。後者の場合、必然は「x がツンデレである」という「文」にかかっているので、これを de dicto (語られたことについての) 様相と呼ぶ。
可能世界論の文脈ではこの二者がそれぞれ、以下のように言い換えられる。
「この世界に存在するすべての x は、この世界から到達可能なすべての世界において、ツンデレである」
「すべての到達可能な世界において、すべての x はツンデレである」
問題を引き起こしやすいのは、前者のような de re 型の文。ここでは、「この世界に存在する個体が」「ほかの世界において」、ツンデレという性質を持つかどうかが問題になっている。そのため「ひとつの個体が複数の世界に属しうるか」という貫世界的同定の可否が争点になる。当然ながら、貫世界的同定を認めるかどうかによって文の真偽も変わる。
ちなみに、三浦『虚構世界の存在論』では、「虚構のキャラクターが複数の世界にまたがって存在しうる」という説を「de re 説」、「複数の世界に応じて、複数の虚構キャラクターが存在する」という説を「de dicto 説」と呼んでいた。
だから、ツンデレが複数の世界にまたがって存在するならば、「ツンデレが de re 的に存在する」(べ、べつにアンタのために貫世界的に存在するんじゃないんだからね!)。
■ カリスマ
「カリスマ店員」、「カリスマ保険員」などの用法にならって、めざましい活躍をし、ほかの同業者のあこがれであるような独裁者のことを「カリスマ独裁者」と呼んだら(本末転倒気味で)いいのではないだろうか。同様に、全世界の教祖の憧れの対象である教祖のことを「カリスマ教祖」と呼ぶことにしたい。たとえば、釈迦やキリストはカリスマ教祖である。
- 『文学的芸術作品』
ローマン・インガルデン(著), 滝内槙雄(訳), 細井雄介(訳)
勁草書房、1998
いずれ必要になりそうだったので買った。Amazon マーケットプレイスにて購入。
以下3冊は古本屋で買った。
- 雑誌「ku:nel」vol.11
2005、マガジンハウス
「ミシンで、だだだ。」
- 雑誌「大航海」vol.48
2003、新書館
「会社とは何か?」
- 雑誌「デザインの現場」vol.16
1999、美術出版社
「文字を組む。」
よく見ると「大航海」には、"DANCE MAGAZINE 別冊" と書いてある。そういう位置づけだったのか。
あとこれも最近知った知識だが、クウネル系の雑誌のことを「ほっこり系」というらしい。2ch にスレもたってた。そのスレによるとワンカップ大関がほっこり系らしい。
ちらっと見ただけだから違うかもしれないけど、
ワンカップ大関のCMもほっこりテイストになってたような。
空いたワンカップに何かの道具か花かいれて、横で縫い物してるみたいな。
カップ酒ブームとは言ってもなあ。パンダや鹿の絵柄のならともかく。
いや、あの質実なデザインだからいいのか。
もうわけわからんなw
ワンカップ大関がほっこり系でいいなら、私も積極的にほっこり系を名乗っていこうと思った。
三浦俊彦『可能世界の哲学』
三浦俊彦(著)
NHK ブックス (日本放送出版協会)、1997
* 目次
- 序 「何でもあり」の世界観~可能世界へようこそ
- 第1章 可能世界に何ができるのか
- 第1節 哲学と様相
- 第2節 様相と量化
- 第3節 「もしもかりに...」
- 第4節 法則と因果
- 第5節 意味と外延
- 第6節 虚構と価値判断
- 第2章 可能世界のネットワーク
- 第7節 飽和する世界
- 第8節 到達できる世界、できない世界
- 第9節 現われては消える個体
- 第10節 諸世界を貫く個体
- 第11節 名指される個体
- 第3章 可能世界とは何なのか
- 第12節 クリプキ型とルイス型
- 第13節 可能主義―有りうるものは有る
- 第14節 様相主義―悪循環の患い
- 第15節 自然主義―神の心か、時空点か
- 第16節 現実主義の限界
- 第17節 虚構主義―実用という真理
- 第4章 可能世界は本当に有るのか
- 第18節 カミソリを研ぎすませ
- 第19節 帰納法を正当化せよ
- 第20節 ニヒリズムを回避せよ
- 第21節 平行宇宙を分離せよ
- 第22節 世界の個数を決定せよ
- 第5章 自然科学と可能世界
- 第23節 なぜ、量子の揺らぎが
- 第24節 なぜ、この宇宙に生命が
- 第25節 なぜ、「この宇宙」なのか
- 第26節 なぜ、あなたは存在するのか
- 第6章 可能世界の外側
- 第27節 不可能世界?
- 第28節 哲学的必然性?
- 第29節 無限個の論理空間?
- 第30節 混沌の中の意識?
- 付 可能世界ブックガイド
- あとがき
■ あらすじ
「必然」とか「可能」といったことを様相と呼ぶよ。必然とか可能を扱う論理学のジャンルが様相論理だよ。哲学は昔から、必然性とか可能性に関心を抱いてきたけどいまだにどう扱ってよいのかよくわからないんだよ。
でも可能世界を持ち出すと、様相を量化(「すべてのX」とか「あるX」とか)と同じ仕方で扱えるようになるよ。「Pが必然」とは「すべての可能世界でPが成り立つ」という意味だよ。「Pが可能」とは「Pが成り立つ世界が存在する」という意味だよ。量化は論理学では昔からおなじみのものなので、こんな風に変換できるとすごくうれしい。ほかにも、可能世界の概念はいろんな議論を整理するのに役立つ。反実仮想の分析にも使えるし、命題や法則や性質の定義にも使える。
「必然的に可能である」とか「可能的に必然である」とか二重の様相をどう扱うかというのは昔から難問だったよ。でも、可能世界と複数の世界の到達関係を持ち込むとそれもすっきり整理できるよ。到達関係がどうなっているかに応じて、様相論理には5つの公理系があるよ。
可能世界というものがそもそも何なのか、というのは難しい問題で結論が出ていないよ。可能世界は本当にあるっていう人もいるし、ただのお話だよという人もいるよ。どの立場にもそれなりに難しい点があるよ。可能世界は本当にあるという主張は一見とっぴなようだけど、意外と反論するのがむずかしい説だよ。
可能世界がおもしろいのは、すべての恣意性をそれで説明できることだよ。たとえば人間原理というのがあるよね。「複数の物理法則その他が少しでもちがっていれば人間は生まれ得なかった。にもかかわらず、どうしてこの宇宙では人間のような生命体が生まれたのか」といった感じの説だね。可能世界を使うとこれにあっさり答えられるよ。「もちろん、宇宙のあり方はほかであってもよかった。実際に、それらすべての可能な宇宙が実現しているのだ。ただしその中で、人間を含む宇宙の中でだけ、人間原理のような疑問が生まれるのだ」。こんな感じで「私はなぜ私なのか」などの疑問にもあっさり答えていきたいなあと思うよ。
* 感想
可能世界論は、いろいろ形而上学的に突き抜けていておもしろい。この本の後半もめちゃくちゃなことになっていてすげーと思った。
しかし、可能世界というのは結局、それを使って演算するとうれしいという意味で、虚数とか負数みたいなものなのかと思った。なので、「可能世界は実在するのか」という問いが、「マイナスの数は実在するのか」「複素平面は実在するのか」というのと同じような不毛な問いに見えて仕方がない。
可能世界は「リンゴがそこにある」というのと同じ形で存在するわけではない。可能世界は定義上、手にとってさわったり、みることができるようなものではない。なのにわざわざ「可能世界は物理的に実在する」という変な言い方をすることによって、あたかもそれが、リンゴのような(触れることができるような)形で存在するかのように思わせるのは、文法違反ではないかもしれないが、かなりずるい言い方だと思う。
たとえば、「虚数は物理的に実在する」といわれれば、多くの人は「え?」と思うだろう。だからといって「虚数が存在しない」わけでもない。虚数を使った計算や証明に特におかしいところがあるわけではない。単に「物理的に実在する」という言葉をそういう対象には使わないというだけだ。
「可能世界は物理的に実在する」のような言い方が可能になるのは、「物理的に実在する」という言葉の使い方を勝手に変えてしまっているからだと思う。「可能世界は本当にあるのか」という問題は、そういう言葉のトリックで成り立っている議論ではないか。
まったく別の話だが、人間原理に可能世界で答える議論はおもしろいと思った。「どうしてこの世界はこのようであるのか(ほかであってもよかったのに)」という形で、恣意性に神秘を見いだす人に対して、「もちろんほかであってもよかったし、実際すべての可能性が実現しているのだ」と答えるのは、何かがひどい切り返しですばらしい。
変なファイラーを使ってるせいか、時々ファイルが壊れて削除できなくなることがある。解決方法はもうわかっていて、コマンドで削除を試みてみて、それでも削除できないときは、アドミニストレータでログインして、無理やり削除するしかない。
今日もやっぱりそんなことがあって、デスクトップにあったファイルが削除できなくなったので、例の黒い窓を開いて、「del」とか何とか打っていた。そしたらコマンドを打ち間違え、あれあれ? ファイルが消えていくよ...。ゲと思って、あわててドス窓閉じた。調べてみると、デスクトップが空になり、スタートメニューも空っぽになってしまった。それ以外はなんともなさそうだったので、スタートメニューだけなんとかして、しばらく後に再起動した。しかし、どうもシステム系のファイルが削除されてしまったらしく、再起動できない。パソコンが起動できない、イコール生命活動を絶たれたも同然なので、あわてて Windows XP を探したが、見つからない。
しかたなく結構本腰を入れて探したが、やはり見つからない。ほかにもやることがあったのだが、それらの用事もパソコンがないとどうしようもないのでとにかく探した。この段階で、「XP を探す」が至上命題になったので、泣きながら二時間くらいかけて部屋を片付けた。よくある「神様、私何か悪いことしましたか」的な、泣きそうな窮地だった。必要なものをひたすら探す、というのは、どこまでやれば解決するかもわからず、終了まで何の目安もなく、少しも先行きが見えないという点で、非常に精神に悪いことだと思った。ないないないないと喚いているうちに、なんとか見つけたが、その後どうしたらいいのかわからなかったので資料を探しに出かけた。
『[わかったブック 2] 根本的解決!どうして起こる?パソコンのエラー』
唯野司(著)
技術評論社、2004
この本を買った。試行錯誤した挙句、CD から起動し、XP を再インストールした。はじめての再インストールはヴァレンタインデー♪、みたいな。ファイルが消えなかったのは救いだったが、時間はかかるし、ネットの設定を一からやりなおし、ドライバは入れ直し、で恐ろしく面倒だった。忘れていたが、あとで ATOK を入れなおさないといけないし。一応書いておくが、上の本は非常に役に立った。
一応今は解決し、こうしてネットにもつなげられているのだが、どうも画面の様子がおかしい。ブラウザの表示が異常に大きい。アイコンが大きくなっているように見えるし、ページの表示もいつもより明らかに大きい。ミクシが画面からどーんとはみだしている。秀丸エディタの表示も大きくなっているようだ。XP のフォルダやシステム関係の表示はふつうなので、解像度をあげると XP がちいさくなりすぎる。DPI を変えたら全体的に小さくなって、いくらかましにはなったが、やっぱり XP とほかのアプリケーションのバランスがおかしい。メッセージボックスなどだけが小さくなって、ページの描画は大きいままだ。
以上の症状について誰か何か知ってたら教えてください。具体的にいうと、特定のアプリケーションの解像度だけをあげたい。あるいは解像度はかわらなくても表示を小さくしたい。実家に帰ったときおみやげで買ったチョコがあまってるのであげますから。
3冊買った。
なんか不安になってきたので必要になりうる本を早めに買っておくことにした。
G. E. Hughes(著), M. J. Cresswell(著)
Routledge, 1996
小野寛晰(著)
日本評論社、1994
"Mimesis As Make-Believe: On the Foundations of Representational Arts"
Kendall L. Walton(著)
Harvard Univ Pr; Reprint版、1993
三上真司(著)
東信堂、2007
1冊追加。
論理学小まとめ。
まとめと言ってもまだ終わってないわけだが、勉強していてわかったことで、今後も見解が変わらなさそうなことだけ書いておく。
論理学の構成。
古典論理は命題論理と述語論理からなる。そこにプラスアルファで、様相論理や直観論理や多値論理などの非古典論理学がつけくわわる。また、それぞれの論理について構文論と意味論がある。つまり、ふつうの古典論理は「命題論理/述語論理」×「構文論/意味論」で4つのジャンルからなる。
意味論は論理式の「意味」を扱う。ただしここで意味と言ってるのは、真理条件のこと。たとえば「P∧Q は P、Q がともに真のときのみ真」とかそういうことを扱うのが意味論。つまり、「左と右が両方真のときだけ真だよ」というのが、「∧」の意味であるわけだな。
一方、構文論は公理系をあつかう。公理系とは自動お絵かきプログラムのこと。公理系がするのは、あらかじめ決められた変形規則を使って、記号を並べることだけ。構文論では並べられた記号の意味はまったく考えないので、これは本当に絵を描くだけだ。しかもたいていの場合、架空のお絵かきプログラムだから、「このプログラムでこの絵は描けるのか」などと架空のソフトについて議論するわけわからん人たちみたいになる。
論理学の仕事。
論理学は人工言語をつくり、それについて調べる学問だ。
人工言語は日常の論理的推論や論証を「モデル」にしたものではあるが、日常言語からは完全に独立に定義されている。目的はちがうが、人工的に語彙と文法を与えられた言語という意味では、C言語とか PHP とか Ruby などのプログラミング言語みたいなもんだと思う。要するに、論理学者はその人工言語についてあれこれ調べることで、「C言語でうんぬんしてたら、ソートが少し速くなった」みたいなことをやってる。
言い換えれば論理学は論理そのものを扱っているわけではない。やってるのは論理に少し似た人工言語をつくったり調べたりすることだけ。人工言語を「モデル」として用いることで、日常の論理について考えることは、もちろんできる。でも、それはもう哲学やら言語学者やら何やらの仕事であって論理学者の仕事ではない。論理学の範囲は人工言語をつくってその性質を調べるところでおしまい。だから論理学は「論理」の学ではない。正確に言うと、論理をモデル化した人工言語の学だ。
したがって例えば、論理学の言語が日常言語に似ていないからまちがっているというのはおかしい。「似ていない」ことが問題になるのは、人工言語を日常論理に対するモデルとして使う文脈でのみありえることだ。人工言語自体は基本的に日常言語からは独立したものなので、他のことに使ってもまったくかまわない。ふつうの推論から恐ろしくかけ離れた言語をつくってもかまわないし、そのことによって論理学における定理の価値が下がるわけではない。「似ていないから使えない」というのはあくまでも論理学ユーザーの視点。論理学者がユーザーの視点に立ってものを言うことももちろんあるけど、例えば、証明の妥当性は、日常の論理に似ているかどうかとはまったく無関係に判断される。
だからして、論理学の定理が、日常の認識や判断について何か重要な意味を持っているかのように言うのもおかしい。重要な意味を持ちうるのは、「人工言語をモデルとして使うことで引き出された仮説」であって、論理学の定理それ自体ではない。C言語がどんな性質を持とうと、それによってC言語に無関係な人が影響を受けることはまずない、と思う。それと同じように、論理学の定理について、それが論理に関する新たな発見であるかのように言うのも基本的にはおかしい、と思う。
logic2007/02/12b
名古屋大学出版会
私が『論理学をつくる』で論理学の勉強をする。
11章まで終わった。ヽ(・∀・)ノ ヤター
とりあえず当初の目標だった様相論理まで(2日遅れで)終わったので、しばらく論理学はお休みにするよ。『論理学をつくる』はまだ12章が残ってるが、それはまた暇なときにでもやる。愛らしい論理式のみんなに会えなくなるのはさびしいけど、おれさまの修論のためだから...。しばらくは寝る前に野矢本を読んで復習するくらいでがまんしておく。
直観主義論理のクリプキ・セマンティクスはクリプキが23歳のときにつくったものだと知った。23歳でこんなヘンテコなものを思いつくなんて、変態だーと思った。しかし、様相論理の可能世界意味論は、高校生の頃につくったものだと聞き、私のなかでクリプキの評価が変態からド変態に格上げされた。
10章 シンタクスの視点から論理学のゴールに迫る
■ 10.2 シンタクスとセマンティクス
- 10.2.1 論理的帰結の2通りの捉え方
- 10.2.2 シンタクスにおいて捉えた矛盾の概念
- 10.2.3 完全性がなぜ重要なのか
■ 10.3 命題論理の公理系の完全性証明
- 10.3.1 完全性定理とヘンキンによる証明の利点
- 10.3.2 ヘンキンの証明のアウトライン
- 10.3.3 補助定理 44-1 の証明
- 10.3.4 補助定理 44-2 の証明
- 10.3.5 完全性定理からすぐに導かれること
11章 めくるめく非古典論理の世界にようこそ
■ 11.1 古典論理は神の論理である―2値論理と排中律のいかがわしさ
■ 11.2 多値論理
- 11.2.1 ウカシェヴィッツの古典論理批判と3値論理
- 11.2.2 ファジー論理
■ 11.3 直観主義論理
- 11.3.1 直観主義論理学の成立
- 11.3.2 直観主義論理のための自然演繹
- 11.3.3 ND では provable だが NJ ではそうではない式
- 11.3.4 2重否定除去と同等な規則
- 11.3.5 直観主義論理のセマンティクス
■ 11.4 古典論理の拡張としての様相論理
- 11.4.1 古典論理への代替案か古典論理の拡張か
- 11.4.2 様相論理には公理系が山のようにある
- 11.4.3 様相論理のセマンティクス
- 11.4.4 論理式と到達可能性関係との対応
- 11.4.5 様相論理の公理系の完全性
名古屋大学出版会
私が『論理学をつくる』で論理学の勉強をする。
今日は9章(自然演繹法)の後半と10章前半(APL)をやった。今日中に10章を終わらせて明日で11章まで終えるつもりだったが、このペースだとちょっとむずかしそうだ。
タブローもパズルだと思ったが、自然演繹法はもはや完全にパズルなので楽しい。ゲーム化したら人気が出るのではないだろうか。一方 APL はいまいちやり方がよくわからないので楽しめない。書き方もめんどくさいし、あまり好きではない。
■ おまけ
http://www.bu.edu/linguistics/UG/course/lx502/local/tarski.html
戸田山『論理学をつくる』のブックガイドでも紹介されている論理学学習ソフト "Tarski's World" の Java Applet 版。要するに上のグリッド部分がモデルになっていて、式を書くとモデルから真偽を判定してくれるというものらしい。「∧」が「/\」、「∨」が「\/」「→」が「=>」、「∀」は「A」など。述語は Square(x) とか。Applet をダウンロードして、ローカルで使うと、モデルや式を保存することもできる。
しかし、これだけだとあまり遊び方が思いつかないなあ。どういう風に使えばいいのだろう。
■8章 自然演繹法を使いこなそう
■ 9.1 自然演繹法をつくる
- 9.1.1 evaluation から construction へ
- 9.1.2 形式化への第一歩
- 9.1.3 演繹規則をたてる
- 9.1.4 →導入規則と→除去規則
- 9.1.5 演繹の攻略法
- 9.1.6 演繹・定理・証明
■ 9.2 他の結合子のための推論規則
- 9.2.1 ∧の導入と除去
- 9.2.2 ←→の導入と除去
- 9.2.3 ¬の導入と除去
- 9.2.4 連限は簡単だったのに選言はややこしい
- 9.2.5 最後の手段としての間接証明
■ 9.3 矛盾記号を導入した方がよいかも
- 9.3.1 超絶技巧の演繹?
- 9.3.2 矛盾記号の導入
■ 9.4 述語論理への拡張
- 9.4.1 ∀除去規則と∃導入規則
- 9.4.2 ∀導入規則
- 9.4.3 ∃除去規則はさらに面倒
- 9.4.4 ド・モルガンの法則に挑む
■ 9.5 同一性記号を含む自然演繹
10章 シンタクスの視点から論理学のゴールに迫る
■ 10.1 公理系という発想
- 10.1.1 論理的真理をすべて数え上げる
- 10.1.2 命題論理の公理系
- 10.1.3 公理系に関して定義される諸概念
- 10.1.4 仮定からの演繹
- 10.1.5 演繹定理
- 10.1.6 deduction 中での theorem の利用と派生規則
- 10.1.7 自然演繹も公理系の一種である
名古屋大学出版会
私が『論理学をつくる』で論理学の勉強をする。
IPL(同一性を含む述語論理)。8章は短い。
同一性記号を使うと、「○○先生の作品が読めるのはジャンプだけ!」を記号化できる。「○○先生の作品が読めるのはジャンプだけ!」を記号化できるのは IPL だけ!(←だけじゃない)
Rxy: x では y が読める a: ○○先生の作品 j: ジャンプ
Rja ∧ ¬∃x(¬(x=j) ∧ Rxa)
(ジャンプでは○○先生の作品が読め、かつ、ジャンプ以外で、○○先生の作品が読めるものは存在しない)
あるいは、
Wxy: x が y を描いた a: ○○先生
として、
Ex(Rjx ∧ Wax) ∧ ¬∃x∃y(¬(x=j) ∧ Rxy ∧ Way)
(ジャンプで読める○○先生の描いたものが存在する。かつ、ジャンプ以外で、○○先生の描いたものが読めるものは存在しない)
右半分は「∀x∀y((Rxy ∧ Way)→(x=j))」(a 先生の描いたものが読めるならば、ジャンプである)でもいいはず。
8 章 さらにさらに論理言語を拡張する
■ 8.1 同一性を含む述語論理 IPL
- 8.1.1 同一性記号を導入する
- 8.1.2 論理式の定義とセマンティクスの手直し
- 8.1.3 同一性をタブローで扱う
■ 8.2 個数の表現と同一性記号
- 8.2.1 「~個ある」を表現する
- 8.2.2 確定記述句の理論
"Introduction to Mathematical Logic"
Crc Pr I Llc; 4版、1997
"Introduction to Mathematical Logic" というゴツそうな論理学の教科書がある。戸田山『論理学をつくる』のブックガイドでは、「いっちょ, 本格的に論理学をきわめてみようかな, という人が読むべき定番とも言える書物」として紹介されている。値段もそれなりで、こちらのハードカバー版は 11,198 円となっている。
しかしよく見ると、古いペーパーバック版が 578 円だった。一応まだ売っていることになっているので購入してみた。
Van Nost. Reinhold、1964
「通常3~5週間以内に発送」。実際にお金を払うのはだいぶ先だし、本当に買えるのかどうかはあやしいところだ。
4冊買った
- 『社会の法〈2〉』
ニクラス・ルーマン(著), Niklas Luhmann(原著), 馬場靖雄(訳), 江口厚仁(訳), 上村隆広(訳)
法政大学出版局、2003
あまそんが「ねーよ」と言ってきたので生協で購入。
飯田隆(著)
勁草書房、1995
以下2冊は古書店にて
ティンダル(著)、田崎淑子(訳)
篠崎書林、1975
- 『論理学』
野矢茂樹(著)
東京大学出版会、1994
以下3つはコピーした論文
- 石黒ひで「可能世界と現実世界」
(『新・岩波講座 哲学 (4) - 世界と意味』岩波書店、1985)
ライプニッツと現代の可能世界論の関係をしれるのではないかと甘い考えを抱いて。
- 飯田隆「可能世界」
(『新・岩波講座 哲学 (7) - トポス・空間・時間』岩波書店、1985)
『言語哲学大全3』の入門にいいらしいと三浦俊彦が書いていたので。
- 佐々木健一「虚構と真」
(『新・岩波講座 哲学 (3) - 記号・論理・メタファー』)
こんな論文があったのは知らなかった。言ってくれれば早く読んだものを。
というわけで、やっぱ論文も探さなきゃダメだなと思い、「佐々木健一不完全著作リスト」に共著および論文を追加した。
名古屋大学出版会
私が『論理学をつくる』で論理学の勉強をする。
論理学をはじめてから体調がよい。夜は眠れるし、朝も7時半には起きている。外食の回数も減った。これまで面倒くさがっていた洗濯などもまめにするようになった。論理学って実は健康にいいんじゃないだろうか(←妥当でない推論)。
今日は PPL (多重量化)。無理矢理 1 日で終わらせた。話としては難しくないが、非常にややこしい(「すべての x は、すべての y について、y が愛するような z が存在するならば y を愛する」とか)。計算もむずかしい。「タブローを書き間違える→計算つまる→やりなおし→また間違える→1時間経過」という、このパターン。
7 章 さらに論理言語を拡張する
■ 7.1 MPL の限界
- 7.1.1 MPL にとっての難問
- 7.1.2 MPL の限界はどこにあるか
- 7.1.3 個体と個体の関係を表現するには
- 7.1.4 多重量化
- 7.1.5 あ・れ・も・愛, これも愛―愛の論理学
- 7.1.6 言語 PPL の定義
■ 7.2 PPL のセマンティクス
- 7.2.1 愛の世界
- 7.2.2 モデルの定義の手直し
- 7.2.3 真理の定義の手直し
- 7.2.4 述語論理のセマンティクスについて成り立ついくつかの定理
■ 7.3 PPL にタブローを使ってみる
- 7.3.1 マリンバに挑む
- 7.3.2 タブローを活用して関係を科学する
- 7.3.3 タブローの信頼性
- 7.3.4 「閉鎖タブローが生じたら矛盾している」の証明
- 7.3.5 「矛盾した集合から出発するタブローは閉鎖タブローになる」の証明
■ 7.4 論理学者を責めないで―決定問題と計算の理論
- 7.4.1 PPL の決定不可能性
- 7.4.2 決定問題
- 7.4.3 アルゴリズムの概念とチャーチの提案
様相論著作一覧不完全版
そのうち補完する。
■ 前置き
↓この本のブックガイドにあがっていたもの中心。
三浦俊彦
NHK ブックス(日本放送出版協会)、1997
- 2007年2月10日
『論理学をつくる』のブックガイドから何冊か追加。
名古屋大学出版会
■ 様相論理系
神野慧一郎(著), 内井惣七(著)
ミネルヴァ書房、1976
戸田山本より。可能世界意味論?
内田種臣(著)
早稲田大学出版部、1978
戸田山本より。直観主義論理とか、義務論理に触れているらしい。
G.E.ヒューズ(著)、M.J.クレスウェル(著)、三浦聡[他](訳)
恒星社厚生閣、1981
代表的教科書。ちょっと古いらしい。
G. E. Hughes(著), M. J. Cresswell(著)
Routledge, 1996
上の本の続編。可能世界意味論の登場にあわせ記述を刷新したらしい(?)。
- 『論理学的思考』
菅原道明
北樹出版、1991
三浦氏おすすめ。様相論理の練習?
Graeme Forbes(著)
Oxford Univ Pr, 1993
「様相論理の自然演繹について練習したい人」におすすめらしい(戸田山氏いわく)。
小野寛晰(著)
日本評論社、1994
戸田山本より。直観主義論理とか様相論理とか。
- 『日常言語の論理学』
オールウド(著)、アンダーソン(著)、ダール(著)、公平珠躬(訳)、野家啓一(訳)
産業図書、1996
三浦氏おすすめ。様相論理の練習?
■ 歴史っぽいの
- 『古代形式論理学』
J.M.ボヘンスキー(著), 岩野秀明(訳)
公論社、1980
『パルメニデス』
井上忠
青土社、2004
レビューによると、パルメニデスの詩を七五調で訳しているらしい。
■ 哲学っぽいの
ソール・A.クリプキ(著), 八木沢敬(訳), 野家啓一(訳)
産業図書、1985
基本図書。
坂原茂
東京大学出版会、1985
反実仮想と可能世界。
野本和幸(著)
岩波書店、1988
三浦氏、戸田山氏ともにおすすめ。飯田本より専門的?
- 飯田隆「可能世界」(『新・岩波講座 哲学 (7)』)
岩波書店、1988
飯田[1995]の導入によいらしい。
レイモンド・スマリヤン(著), 長尾確(訳), 田中朋之(訳)
白揚社、1990
認識論理学。
- 『実在論と理性』
ヒラリー・パトナム(著), Hilary Putnam(原著), 飯田隆(訳), 佐藤労(訳), 山下弘一郎(訳), 金田千秋(訳), 関口浩喜(訳)
勁草書房、1992
3章に可能世界論批判。
飯田隆
勁草書房、1995
■ 論理学教科書など
杉原丈夫(著)
槇書店、1975
- 『記号論理学の原理』
ハンス・ライヘンバッハ(著), 石本新(訳)
大修館書店、1995
論理と日常言語の関係を丁寧にあつかっているそうだ。著者はウィーン学団の人。
- "Introduction to Mathematical Logic"
Elliott Mendelson(著)
Crc Pr I Llc; 4版、1997
論理学を「本格的にきわめてみるか」と思ったときに読む本らしい。
ペーパーバック版がやたらと安いのだが、本当に買えるのだろうか。
- 『数理論理学』
松本和夫(著)
共立出版(復刊版)、2001
1970 にでたものの復刻。様相論理の基礎をふくむ。LF について学べるのが売りらしい。
http://www.microsoft.com/japan/windows/products/windowsvista/default.mspx
Windows Vista のサイトやポスターを見たときに感じるそこはかとない違和感について。考えていたら答えがわかったので報告する。
違和感の正体は、地味な画面と大げさなコピーのミスマッチだ。
"Wow"
想像以上の驚きを、あなたにも
Windows Vista にびっくり 100 回
Windows Vista の広告を見たときに感じる白々しさは、とっても無表情な顔つきで「ひゃっほー」などと言われた場合に感じるであろう白けた感覚に近い。
このような寒々しさを表現する広告はあまり見たことがないので、さすがマイクロソフトは違うな(いい意味で)と思った。
名古屋大学出版会
私が『論理学をつくる』で論理学の勉強をする。
論理学ばっかりやってても論文が進まないことおびただしいので、2/10 あたりで一旦論理学にはケリをつけようかと思った。しかし、10日までに、目標である様相論理まで終わりそうにない(今6章が終わったとこ。様相論理は11章)。
とりあえずペースを早めるために、ブログで復習するのは後回し。
メモ。
むすかしかったのは、「6.2 セマンティクスとモデル」。
ここでは、アサインメントを使わない方法 (方針 T) と使う方法 (方針 S) の2種類が解説される。アサインメントを使わない場合 (方針 T)、そもそも開いた論理式については考えないので、モデルだけあればいい。アサインメントを使う場合 (方針 S)、モデルとアサインメントを与えることで、開いた論理式の真偽についても考えることができる。
「6.3 存在措定と会話の含意」。
「すべての日本人が体罰を容認する。従って、体罰を容認する日本人が存在する」は妥当な論証ではない、というのがおもしろかった。なぜ妥当ではないかというと、「日本人が存在しない」場合、「すべての日本人は体罰を容認する」が、「体罰を容認する日本人は存在しない」から。この論証は、「日本人が存在する」という条件を織り込んだ場合のみ、妥当な論証となるそうな。
「6.4 伝統的論理学をちょっとだけ」。
伝統的論理学では、妥当な三段論法を九九のような覚え歌で覚えていたらしい。これもおもしろかった。
第6章 おおっと述語論理のセマンティクスがまだだった
■ 6.1 述語論理のセマンティクスをつくらなければ
- 6.1.1 論理式の真偽は解釈で決まる
- 6.1.2 翻訳から世界の直接描写へ
■ 6.2 セマンティクスとモデル
- 6.2.1 数学の助けを借りて形式化をすすめる
- 6.2.2 モデル
- 6.2.3 モデル M のもとでの論理式の真理をきっちり定義しよう
- 6.2.4 方針 T に基づいて「M のもとでの真理」をきちんと定義する
- 6.2.5 方針 S に基づいて「M のもとでの真理」をきちんと定義する
- 6.2.6 方針 S における真理の定義
- 6.2.7 矛盾・論理的帰結・妥当式
- 6.2.8 反証モデル
■ 6.3 存在措定と会話の含意
- 6.3.1 同じ論証が妥当になったりならなかったりする怪
- 6.3.2 食い違いの原因はどこにあるか
- 6.3.3 会話の含意
■ 6.4 伝統的論理学をちょっとだけ
- 6.4.1 4つの基本形とその相互関係
- 6.4.2 伝統的論理学はどのように論証関係をあつかったのか
名古屋大学出版会
私が『論理学をつくる』で論理学の勉強をする。
ギリシア文字について。本書では、図式記号などにギリシア文字を使っている。本ブログではこの方針に従ったり従わなかったりしてきたが、そろそろギリシア文字の分量も増えてきたので方針を決めることにしたい。
- メタ記号に対象言語と同じ種類の文字を使いたくない、という方針は理解できる。
- しかしギリシア文字なんか Web で使いたくない(論理記号を使っている時点でどうかという話はあるが)。
よって以後本ブログでは戸田山の記述を以下のように置き換えるものとする。
- ギリシア小文字については、日本語のカタカナを使う。しかも、小文字であることを示すためになるべく「ャ、ュ、ョ」など小さい文字をあてることにしたい。
- ギリシア大文字については、日本語の漢字を使う。「甲乙丙」など。
5章は一気に終わった。むしろ6章の述語論理のセマンティクスがむずかしい。
第5章 論理学の対象言語を拡張する
■ 5.1 なぜ言語の拡張が必要なのか
- 述語論理(predicate logic)
- 命題の内部構造を問題にする論理だよ。
- 命題論理(propositional logic)
- これまで学んできたような、単純命題の内部構造を問わない論理だよ。
■ 5.2 述語論理での命題の記号化
- 5.2.1 命題の内部構造とは?
- 5.2.2 個体指示表現を主語とする文の記号化
- 5.2.3 普通名詞が主語になっている命題の記号化
- 5.2.4 もう1つの量化子
- 5.2.5 翻訳練習をたっぷりやっとこう
命題のことを、「●は■である」という構造をもったものだということにするよ。
●は主語(subject)、■は述語(predicate)と呼ばれることがあるね。
主語になることができる表現には個体指示表現(singular term)、一般名辞(general term)などがあるね。
個体指示表現にはいろんなものがあるけど、代表的なのは次の3種だよ。
- (1)固有名(proper name): 「吉田戦車」など。
- (2)確定記述句(definite description): 「日本で一番長い川」など。
- (3)指示詞(demonstrative): 「これ」など。
(2)と(3)はむずかしいから、ここでは扱わないよ。
命題は次のように記号化するよ。
[Interpretation]
D: は映画監督である s: スティーブン・スピルバーグ Ds: スティーブン・スピルバーグは映画監督である
- 個体定項(individual constant)
- 命題のうち、個体指示表現を記号化したものだよ。小文字のアルファベットをあてるよ。
- 述語記号
- 命題の述部を示す記号だよ。大文字のアルファベットをあてるよ。
述部は個体定項を入れないと完成しないよ。未完成であることを示すために、とりあえず一般化した記号を入れて、Dx などと記号化することにするよ。
Dx は x に個体定項を入れると命題を返す関数だよ。
- 命題関数(propositional function)
- 個体の集合から命題の集合への関数のことだよ。述語は命題関数だよ。
- 全称記号/全称量化子(限量子)/普遍量化子/universal quantifier
- ∀のことだよ。すべての x について Dx ということを「∀xDx」と書くよ。すべての x について Dx→Mx は「∀x(Dx→Mx)」だよ。
- 存在記号/存在量化子/existential quantifier)
- ∃のことだよ。「Dx であるような x がある」ということを「∃xDx」と書くよ。
- ド・モルガンの法則
- (同値は「==」で表すことにした)
- ∀x¬Px == ¬∃xPx
- ¬∀Px == ∃x¬Px
つまり、「すべての x について Px でない」==「Px である x は存在しない」。「すべての x について Px であるわけではない」==「Px でない x が存在する」。
これを使えば、∃で∀を表現することも、∀を∃で表現することもできるよ。
翻訳の際の注意。
「●だけが△する」は「△するのはすべて●」として記号化する。
■ 5.3 述語論理のための言語をつくる
- 5.3.1 言語 MPL の定義
- 5.3.2 量化子の作用域と変項の自由な現れ・束縛された現れ
述語論理を展開するための人工言語を定義しよう。この言語を MPL(Monadic Predicate Logic)と呼ぶよ。
【MPLの語彙】
- (1)項(term)
- 個体定項: a, b, c, ...
- 個体変項: x, y, z, ...
- (2)述語記号
- P, Q, R, S, ...
- (3)論理定項
- 結合子: →、∧、∨、¬
- 量化子: ∀、∃
- (4)補助記号
- (, )
【MPLの文法】
(1)1つの述語記号の後ろに1つの項をおいたものは論理式だよ。これを原子式と呼ぶよ。 (2)A, B を論理式とすると、(A∧B)、(A∨B)、(A→B)、(¬A)はおのおの論理式だよ。 (3)A を論理式、「ャ」を個体変項とすると、∀ャA, ∃ャA はおのおの論理式だよ。 (4)(1)(2)(3)によって論理式とされるもののみが論理式だよ。
これは帰納的定義だよ。帰納的証明が使えるよ。
図式文字について。
本書では個体変項を表す図式文字にギリシア小文字を使っている。
(1)x、y、z などの個体変項を表すために、クシー、ゼータなど。これについて、本ブログでは、「ャ、ュ、ョ」など日本語のカタカナ小文字をあてる。
(2)a,b などの個体定項を表すために、アルファ、ベータなど。これについて、本ブログでは「ァ、ィ、ゥ」など日本語のカタカナ小文字の最初の方をあてる。
(3)項(個体変項 + 個体定項)を表すために、タウ。これについて、本ブログでは「ヵ」をあてる。
上記の文法は下のような不自然な論理式を許容してしまう。
(a)∀xPy など量化子の個体変項と述語記号の後ろの個体変項がずれているもの。
(b)∃yQa など量化子がついているが述語記号の後ろに個体変項がないもの("a" は定項)。
(c)∃x∀xPx のように余分な量化子がついているもの。
これらに対しては、認めてしまう「おおらか路線」と、認めないように定義を縛る「神経質路線」の2つがありうる。本書ではおおらか路線を採用し、これらの論理式を認めることにする。
現れ/作用域などの定義
- (1)個体変項ャの現れ(occurrence)
- ∃ャPャ∧Qャ や ∃ャ(Pャ∧Qャ) のように同じ個体変項が何カ所にも現れることがある。このそれぞれの出現箇所を、個体変項ャの現れというよ。ただし量化子直後のもの(∃ャの「ャ」など)はのぞくよ。
- (2)量化子の作用域(scope)
- 形成の木において、その量化子が結合する相手になった部分論理式のことだよ。∀xDx→Mx において、∀の作用域は Dx。∀x(Dx→Mx)において∀の作用域は(Dx→Mx)だよ。
- (3)ャを束縛する量化子
- ∀ャや∃ャのように量化子の直後にある個体変項がャであるとき、その量化子はャを束縛する量化子であるという。例えば∃x の∃は x を束縛する量化子。
- (4)個体変項の自由な現れ(free occurence)
- 個体変項ャの表れが自由である ⇔ その表れがャを束縛する量化子のなかにない。
- 現れが自由でないとき、束縛されている(bound)と言う。
- (5)閉じた式と開いた式
- 閉じた式(closed formula)とは、個体変項のいかなる自由な現れも含まない論理式のことだよ。そうでない論理式を開いた式(open formula)というよ。人によっては閉じた式を文と呼ぶけれど、本書ではその言い方は採用しないよ。
- (6)量化子の空虚な現れ(vacuous occurrence)
- 量化子の現れ∀ャまたは∃ャが空虚である ⇔ その量化子の作用域に変項ャが自由に現れない。
■ 5.4 タブローの方法を拡張する
- 5.4.1 具体例からヒントを得る
- 5.4.2 展開規則とその使い方
述語論理についてもタブローを使えるようにするよ。
量化子の展開規則。
量化子の作用域に、個体定項をガンガン代入してやったらいいんだよ。
∃について。
∃の展開規則を、存在例化(EI: existential instantiation)というよ。
- EI
- ∃ャA
- ↓
- A[ァ/ャ]
- (ただし、ァはその経路にこれまで現れていない個体定項)
- (A[ァ/ャ]は、論理式 A に含まれる個体変項「ャ」の自由な現れに一斉に個体定項「ァ」を代入した結果得られる式のことだよ)
∀について。
∀の展開規則を、普遍例化(UI: universal instantiation)というよ。
- UI
- ∀ャA
- ↓
- A[ァ/ャ]
- (ただし、ァは任意の個体定項とする)
- [UI]は同じ式に何度も繰り返し適用される。つまり、新しい個体定項が現れるたびにその定項を代入したものを書き足さねばならないよ。
- 【攻略法】
- [EI] はなるべく [UI] の前に適用すること。そうすれば何度も個体定項を代入する手間も省ける。
- 『ふしぎの国のアリス スペシャル・エディション』
チェシャ猫のテーマソング "I'm odd" など未収録映像をふくむスペシャル・エディション。
また、マッドハッターが案内役を務めるユニークなゲーム「バーチャル・ティーパーティー」もお勧めです。最先端の技術を使った楽しい特典で、アニメーションのキャラクターたちだけでなく、実写の子供たちともゲームをやりとりして、自分だけのバーチャル・パーティーを楽しむ事が出来ます。オーケストラを指揮したり、お誕生日じゃない日のケーキのキャンドルを吹き消したり、マッドハッターのなぞなぞに答えたり、と盛り沢山のアクティビティが含まれています。
な...! 「オーケストラを指揮したり、お誕生日じゃない日のケーキのキャンドルを吹き消したり、マッドハッターのなぞなぞに答えたり、と盛り沢山のアクティビティ」...! ほしい。
しかしレビューいわく。
やっぱりアリスは本当に最高!!!しかし☆3つの理由はどうしても昔から慣れ親しんでいる吹き替えが印象強くやっぱり馴染めないんです!大好きなんですけど、何故吹き替えかえてしまったんだーって言いたいです┐('ー`)┌
吹き替えかわってるのかよ...。
ルイス・キャロルの古典を映画化した、想像力に富んでいるが、やや寒々としたこの1951年のディズニー作品は、ほどよくシュールではある。
内容紹介が妙に辛辣だ。嘘つけ、『不思議の国のアリス』がディズニーの頂点に決まってるじゃねえかよ。
いっそ朝 youtube を貼るのを義務にしてみたらどうか。
- 「なんでもない日の歌」『不思議の国のアリス』
フランス語、ドイツ語、ヘブライ語バージョンなどもあげられている。
- "I'm Odd - The Cheshire Cat"
http://www.youtube.com/watch?v=h6V3q7VN5A4
チェシャ猫の歌。日本語版はなかった。
-> 間違えた。これは『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の歌をチェシャ猫に歌わせている動画だった。「なんかナイトメア・ビフォア・クリスマスみたいだなー」って思ってたら本当にそうだった。
-> さらに間違えていた。これはチェシャ猫の歌であってた。
劇場発表時未公開だったチェシャ猫のテーマソングらしい。
とりあえず「これがハロウィン」の日本語版を貼っておく。
- 「これがハロウィン」
「ジャックだー」「俺たちの支配者だー」。
こういう素晴らしい映像をもっと見たいので、ミュージカル映画を日本で配給するときは、ミュージカルシーンの日本語訳をつくるというのが義務化されてほしい。
- 「不思議の国の全ての精子は神聖なり」
モンティ・パイソンのローマ・カトリック賛歌「全ての精子は神聖なり」不思議の国バージョン。↓本家の完成度が高すぎて、ちょっとやそっとのパロディではおよびもつかんという部分はあるが、こういうのをつくりたくなる気持ちは理解できる。
- 「全ての精子は神聖なり」
- マサ子さん "雨にヌレテモいーや"
元ナゴムのマサ子さん。
ナゴムレコードの人たちはわれわれに、「何かヘンなことがしたいけど、さしあたり技術も才能もない人たちは、とりあえず何をしたらいいのか」という問題を投げかける。とっても切実。それはまったく他人ごとじゃない。というかそれが切実だと思うから私はナゴムとか好きなんだろうとか何とか。
...などということを、マサ子さんを聴きながら考えていたら切なくなってきた。考えすぎだ。
マサ子さんのボーカル、マユタンは現在でも精力的に活動しているようだ(「花子さんがきた!!」の主題歌とか)。ぜひ応援したくなってきた。
↓原曲もみつけた。
某社の説明会だった。
行くつもりだったのだが、例によってだらだらしていたらギリギリの時間になる。あわててご飯を食べずに出ようとしたら、ワイシャツが見つからない。探しているうちに遅刻決定の時刻になり、行くのをあきらめた(遅刻入場不可だった)。
我ながらひどいと思った。遅刻癖を直すよう努力したい。
最近早起きの習慣がつづいていていいことなのだが、朝 Youtube を見る習慣も止まらない。
- 有言実行三姉妹シュシュトリアン
なつかしいなあと思ってみていたのだが、よく見たら麿赤兒が出ていた。なるほど。ふだんはこういう仕事をしているのか。
- andreas dorau "fred vom jupiter"
Youtube 貼りすぎかなあ。
名古屋大学出版会
私が『論理学をつくる』で論理学の勉強をする。4章終わり。次からようやっと述語論理。
■4.2 タブローの信頼性
- 4.2.1 なぜ信頼性を確認しなければならないか
- 4.2.2 タブローの決定可能性
- 4.2.3 閉鎖タブローが生じたならば矛盾している
- 4.2.4 矛盾した集合はいつでも閉鎖タブローを生む
タブローが信頼できるためには、次のことが必要だよ。
(1)決定可能性(decidability):有限集合からはじめたタブローが有限のステップで手続きを終了させる。
(2)どのような論理式の有限集合を出発点としてタブローを書いても、閉鎖タブローが生じたならばその集合は矛盾している。
(3)どのような論理式の有限集合を出発点としてタブローを書いても、それが矛盾した集合ならばいつでも閉鎖タブローが生じる。
これを証明していくよ。
- 【定理22】
- タブローの方法は決定可能である。
証明省略。書き足される式が段々短くなることを利用する。
- 【定理23】
- 式の有限集合Τからは閉鎖タブローが生じる ⇒ Τは矛盾している
証明省略。次の2つの補助定理を使う。
- 【補助定理23-1】
- タブローのある経路(途中でも可)が充足可能可能なら、その経路は閉じていない。
対偶を示して証明する。
- 【補助定理23-2】
- タブローの展開規則はすべて次の性質をもっている。
- (1)枝分かれのない規則: 上段の論理式が真理値割り当てVのもとで1であるならば、下段の論理式もVのもとで1である。
- (2)枝分かれのある規則: 上段の論理式が真理値割り当てVのもとで1であるならば、下段の論理式のうち少なくともどちらかがVのもとで1である。
これは結合子の展開規則により明らか。
定理23を証明するには、2つの補助定理を使って対偶を示してやればいい。
(Τが充足可能なら、Tを充足する真理値割り当てVが存在する。経路は閉じていない。23-2より、経路の一本はVのもとで1となる、云々)
- 【定理24】
- 式の有限集合Τは矛盾している ⇒ Τからは閉鎖タブローが生じる
やっぱり対偶をしめせばよい。
対偶をしめすのは簡単だが、ここでヒンティッカ集合を使う。
- ヒンティッカ集合(Hintikka set) / モデル集合(model set)
- 次の条件を満たす論理式の集合Kのことだよ。
- (¬) :いかなる原子式Pについても、Pと¬Pの両方がKに属することはない。
- (¬¬) :¬¬A∈K ⇒ A∈K
- (∧) :A∧B∈K ⇒ A∈K かつ B∈K
- (¬∨) :¬(A∧B)∈K ⇒ ¬A∈K かつ ¬B∈K
- (¬→) :¬(A→B)∈K ⇒ A∈K かつ ¬B∈K
- (¬∧) :¬(A∧B)∈K ⇒ ¬A∈K または ¬B∈K
- (∨) :A∨B∈K ⇒ A∈K または B∈K
- (→) :A→B ⇒ ¬A∈K または B∈K
- (←→) :A←→B ∈K ⇒ (A∈K かつ B∈K) または (¬A∈K かつ ¬B∈K)
- (¬←→) :¬(A←→B)∈K ⇒ (A∈K かつ ¬B∈K) または (¬A∈K かつ B∈K)
これらの条件は、結合子の展開規則に対応している。タブローを書くと、開放経路はヒンティッカ集合になる。つまり、タブローを書くとは、論理式集合の部分論理式を書きだし、もとの論理式を包含するようなヒンティッカ集合へと拡大する作業であった。
- 定理25
- いかなるヒンティッカ集合も充足可能である
ヒンティッカ集合は原子式がすべて1のとき、充足される。これは帰納法で証明できる。
- 連想メモ帳
http://www.vector.co.jp/soft/win95/personal/se399951.html
ドザー向け。
すごく簡易的なアウトラインプロッセッサ。たくさんのテキストファイルを手軽に扱える。
本来の用途とは違うが、ブログの下書きに便利。以前もブログ用に使っていたが、最近またブログの記事を書くのに使っており、改めて便利だと思ったので紹介する。
今日は楽しいコミティア。最近ヲタクづいている M 川に誘われて行った。
コミティアはコミケと違ってオリジナル限定なんだよ。向かう途中(例によって電車を間違えたりして遅れた)、「二次創作」/「オリジナル」を判別する方法について考えていたが、そもそも読み方が違うのでそんな問題は生じないのかもしれないと思った。二次創作にはまった経験がないのでよくわからない。
結構たくさん買ってしまった。漫画は見ただけで色んなことがわかるので話が早いなあと思った。
買った本を全部書くことにしていたのを途中まで忘れていたが、それほど恥ずかしいものを買わなくて良かった。
- 『ティアズマガジン』79
Comitia
いわゆる「カタログ」。
- 『雨のち晴れ』
ジャポニカ自由帳
- 『宇宙日和』
Matatabi Mix
- 『ComiComic』11 「まんがのソト側」特集
こみこみっく
- 『薇頭』
ゼンマイアタマ
http://zenmaiatama.seesaa.net/
荏本朋「ふたりとも」/あらいあき「円盤イクコ」
- 『Mattari』笹生那実(島田菜穂子)個人誌・4
笹生那実(島田菜穂子)
http://hitsujiza.blog23.fc2.com/
「『風と木の詩』の読み方」など
- 『愛弟子日和』愛弟子シリーズ1
- 『愛弟子の小冒険』愛弟子シリーズ4
まつかさ師匠の沈黙工房(柳田ポン)
http://matukasabeya.web.fc2.com/
- 『漫世』1
『漫世』実行委員会
http://www015.upp.so-net.ne.jp/Shimpei/
- 『ヲタク的国会図書館ガイド 2006年度版』
動画35+
昨日(http://www.at-akada.org/blog/2007/02/post_63.html)も書いたけど、しつこく繰り返すけど、"MajiでKoiする5秒前" の広末↓がオザケン。特にボーダーシャツ着て自転車乗ってるとこ(最初の方と最後)。
というかこのビデオすごく懐かしい感じがするんだけど、90年代のミュージックビデオってこういうの多かったよね。色合いとか小道具の使い方とか。
http://www.youtube.com/watch?v=Lo3Ro_eoR5g
それはそれとして、今日の発見。
広末ってヒロマツじゃね?と思った。検索したら↓を見つけた。
エンコードを Shift-JIS にする。
http://web.archive.org/web/20020204062516/http://waseda.netjoy.ne.jp/~execute/member/m-n.htm
メモしてたら分量が増えた。ミステリ百科事典とハリウッドのやつはよさげ。
小学館、1997
↓で薦められていた。
http://hiki.cre.jp/write/?BookOfHowToWrite
学校で出される課題作文や読書感想文に困ったとき、書き方がパッとわかる、とっても便利な「作文トラのまき」。作文名人へのポイントを、ドラえもんのまんがでおもしろ解説。
ドラえもんはどれくらい出てくるのか。
セイブル・ジャック(著), Sable Jak(原著), 廣木明子(訳)
フィルムアート社、2005
- 島田荘司『島田荘司のミステリー教室』
南雲堂、2007
文芸社、2002
- 間羊太郎『ミステリ百科事典』
文春文庫、2005
ストーリーアーツ&サイエンス研究所、2002
クリストファー・ボグラー(著), Christopher Voglar(原著),岡田勲(訳), 講元美香(訳)
リンダ・シガー(著), Linda Seger(原著), フィルムメディア研究所(訳), 田中裕之(訳)
フィルムアンドメディア研究所、2000
http://hiki.cre.jp/write/?YumeWoKataruGijyutu
シリーズものらしい。
論理文法って何かしらー。とりあえず引用だけしておく。
コンチェルトの例が何だかわからん。
『心の社会的構成―ヴィトゲンシュタイン派エスノメソドロジーの視点』
ジェフ クルター (著), Jeff Coulter (原著), 西阪 仰 (訳)
新曜社、1998
■ その1
心にかかわるふるまいの諸概念・諸述語が論じられることになるわけだが、その分析にあたり、まずは日常的な情況においてことばが、どのようにしかるべきしかたで使用されているかを、丹念に調べることから出発しなければならない。それぞれの概念は一定範囲の他の諸概念とは有意味な・理解可能なしかたで結びつくのに、別の諸概念とはそのように結びつくことがない。様々な概念について、それぞれの概念がどの概念とどう結びつくのかを示すこと、これが論理文法分析の目標である。論理文法は、「弁別的」とか「必要にして十分」とか「本質的」といった諸特徴の一覧表にしたがって、名〔もしくは概念〕を対象に結びつける、というものではない。それは、むしろ、
「〔その当の (クルターによる挿入)〕概念に様々な概念を関係づける。ある人がある概念(たとえば、本とか鳥という概念、ことばの意味という概念、なにかを知っているというのはどういうことかということ)を習得しているといえるためには、その人はその概念を、他の諸概念と関係づけながら使用することができなければならない。つまり、その当の概念と有意味な結びつきがあるのはどの概念で、そのような結びつきがないのはどの概念か、をその人は知っていなければならない。それだけではない。当の概念と有意味に結びついている諸概念は様々である。そして、その様々な諸概念をそれぞれどのようなコンテクストで使用するべきかは、その諸概念がどのような種類の概念と一緒に使用されるかに応じて、そのつど異なってくる。それがどういうふうであるかも、その人は知っていなければならない」*。
* Stanley Cavell, 'The Claim to Rationality: Knowledge and the Basis of Morality', Unpublished Doctral Dissertation(Harvard University, 1961-2)
引用者(赤田)註: 改訂されて↓これになったらしい。
p11
■ その2
たとえば、「本」という概念を把握するためには(本とは何かを知るためには)、その概念が、たとえば、「神」「背」「読書」「繕う」「文字」といった諸概念と、それぞれ違ったしかたで、またそのつどのコンテクストに応じて、どのように関係し合うか、を知らなければならない。「破る」という概念を把握するばあいには、こんどはその概念が「本」「約束」「平和」のいずれと関係づけられるかに応じて、それぞれどのような事態を表すことになるか、を知らなければならない。
p12
■ その3
多くのばあい、概念的誤謬とは、概念どうしを誤ったしかたで結びつけることにほかならず、またそこからさらに、どのような事態が表されるかについて誤った推論をおこなうことにほかならない。もちろん、それぞれの概念についてどの範囲での使用なら理にかなっているとみなされるかには、いつも一定の幅がある。しかしたほう、この幅はやはり規範的に限定されているのである。この点について、カヴェルが簡単な例を示してくれている。「もしかりに、こんなことを言い出す者がいたとしたらどうだろうか。あの人はヴァイオリンのパートだけしか弾かなかったのだから、まだブラームスのコンチェルトを全部演奏しきっていない、と。そのときわたしたちは、この者の『コンチェルトの演奏』という概念はちょっと奇異だ、などとは思わない。むしろ端的に、こいつはそのような概念をもっていないと思うだろう」**。
** Ibid., p244 カヴェルは、変則的な言語使用のうまい例をいくつか挙げている。通常の表現がどのような事態を表わすかは、規範に依存している。この規範に反して言語がもちいられると、いかに奇妙なことになるか。これを、カヴェルは巧みな例で示している。
日常言語は、規範的に組織されているのであって、決定論的なしかたでコントロールされてはいない。じっさい、もし望むなら、あるいは無知のゆえに、わたしたちはそれを濫用したり誤用したりできる。ところで、ある概念が誤用されているのかどうかを判断するとき、もちろんちょっと見ただけですぐわかるばあいもあるけれども、実際にそれがどのような情況でもちいられているのかを注意深く丹念に分析しなければならないことも、しばしばある。このことは、ごく標準的な表現のばあいにもいえる。つまり、カテゴリーや表現がどのような情況で使用されるかということ、このことは、カテゴリー・表現の論理文法の一部なのである。
p12-13
■ その4
〔概念の〕擬似的革新には二とおりある。(i)概念を構成することが、それ以前から使用されている概念の論理文法を侵害しているばあい。(ii)概念を構成するとき、その概念構成の前提としてもちいられている概念が、新たな「革新的」主張と真っ向から矛盾する内容をもつばあい。
p19
■ その5
分析家たちは、わたしたちの心的概念の論理文法(この種の概念の使用機会ならびに使用様式)を明らかにしようとするとき、たいてい、ありきたりの社会状況から例を拾ってくる。
p71
■ その6
ところで、この解明作業にさいして、かれらは、たいてい、以前から哲学者たちが概念の「論理文法」と呼び慣わしてきたものについて、論じている。つまり、動機というカテゴリーが理にかなったしかたで適用できるための、ア・プリオリな条件について、論じている。
p110
名古屋大学出版会
私が『論理学をつくる』で論理学の勉強をする。
(↑やっと Youtube をやめた)
タブロー描きは楽しいなっと。
第4章 機械もすなる論理学
■4.1 意味論的タブローの方法
- 4.1.1 機械的な判定法を作ろう
- 4.1.2 タブローのルーツ
- 4.1.3 機械的方法にしてゆくためのヒント
- 4.1.4 タブローを汎用的な方法にする
- 4.1.5 閉鎖経路と閉鎖タブロー
- 4.1.6 人間らしくタブローを描こう ― タブロー構成の攻略法
- 4.1.7 妥当性、トートロジー性、論理的同値性の判定とタブロー
妥当性、矛盾、トートロジーなどを判定する決定手続き(decision procedure)はアルゴリズムでなければならないよ。
- アルゴリズム(algorithm)
- 次の条件を満たす手続きのことだよ。
- (1)明確性。次の操作が1つに決まるよ。
- (2)汎用性。どのような論証や論理式に対しても使えるわ。
- (3)有限性。手続きの実行が有限数のステップで終わらなければならないよ。
- 真理の木(truth tree), 意味論的タブロー(semantic tableau), 分析タブロー(analytic tableau)
- 真理表よりも使いやすいアルゴリズムだよ。ヒンティッカのモデル集合の考え方を応用し、スマリヤンらが広めたんだって。
- タブローの書き方
- (1)はじめに、チェックする論理式を縦に列挙してね。
- (2)∧で結ばれた論理式は縦に並べる。∨で結ばれた論理式は2つに分岐するよ。
- (3)¬Aはそのまま書いてね。
- (4)他の結合子は∧∨¬の組合せで表現するよ。結合子をタブロー上に表現する方法を展開規則というよ。
- (5)ある経路にAと¬Aがともに現れた場合は末端に×をつけてね。この経路は矛盾するの。
- 経路(path)
- タブローのてっぺんからひとつの末端までをたどり、そこに含まれる論理式を集めてつくった式集合のことだよ。
- 閉鎖経路(closed path)
- 末端に×のついた経路だわ。双でない経路は「開放経路(open path)というわ。
- 閉鎖タブロー(closed tableau)
- すべての経路が閉鎖経路であるようなタブローのことだよ。また、そのタブローは閉じて終わる、というよ。
- 適用可能な展開規則をすべて適用し終わった段階で、まだ1つでも開放経路が残っているタブローを開放タブロー(open tableau)というの。またそのタブローは開いて終わる、というの。
- 判定基準(矛盾)
- 論理式の集合{A1, A2,...,A3}が矛盾している ⇔ A1, A2, ..., An を縦に並べてはじめたタブローが閉鎖タブローになるんだって。
- 判定基準(妥当)
- 前提 A1, ..., An から結論 C を導く論証が妥当である ⇔ A1, ..., An および ¬C を縦に並べたものからはじめたタブローが閉鎖タブローになる。
- 判定基準(トートロジー)
- 論理式 A がトートロジーである ⇔ ¬A からはじめたタブローが閉鎖タブローになる。
今日のようつべ、つづき(←1時間でやめられなかった)。
探したら、アンドレアス・ドラウ関係がいっぱいあった。言葉の意味はわからんが楽しげである。
- Andreas Dorau "Demokratie"
http://www.youtube.com/watch?v=RQKlel-CUIs
- Die Doraus & Die Marinas "Die Welt ist schlecht"
http://www.youtube.com/watch?v=i93B3VeTx84
- Der Plan & Andreas Dorau "Junger Mann"
http://www.youtube.com/watch?v=TtR5yjw-mnQ
- Buggles "Video Killed the Radio Star"
http://www.youtube.com/watch?v=npxcf9rc1OM
ラジオスターの悲劇も見つけた。
- The Broad Band "Internet Killed The Video Star"
ビデオスターの悲劇も見つけた。
しばらく早起きにつとめることにした。しかし早起きするとなぜか Youtube を見てしまう。Youtube は一日一時間!
戸川純 "レーダーマン"
http://www.youtube.com/watch?v=RuYmvPYW_k8
ギミックカコイイ。しかしどう見ても不審な人だなあ。
戸川純 "バージンブルース"
http://www.youtube.com/watch?v=KwazWVw0li8
戸川純 "好き好き大好き"
http://www.youtube.com/watch?v=CkXIOdOwGTE
イントロが何かに似ているのだが、どうしても思い出せない。
広末涼子 "マジで恋する5 秒前"
http://www.youtube.com/watch?v=Lo3Ro_eoR5g
何か90年代のやつも探そうと思って↑これを見つけた。
というか大発見! 広末がオザケンに見えるよ!
うしろゆびさされ組『うたの大百科 その1 うしろゆびさされ組』
ポニーキャニオン、2004
DVD『マジカルうしろゆびツアー』がついてるらしい。
監督は堤幸彦らしい。
ほしいけどうしろゆびさされ組に5000円も払っていいのかなあ。
おまけ:
ゆうゆが大好きな安室奈美恵さん(小学校6年生)
ちょっと早起きしたので、ようつべで、昔のアイドル歌謡を発掘してしまった。早起きするとろくなことがないな。
うしろゆびさされ組 "うしろゆびさされ組"
「趣味がわるいねーとまわりの友達は言うわ♪」
こんなのばかり聴いてるから...。
うしろゆびさされ組 "バナナの涙"
なにこれ? うしろゆびさされ組は色々ひどいなあ。
真鍋ちえみ "ねらわれた少女"
アングラ。怖いなー。
キララとウララ "センチ・メタル・ボーイ"
曲、歌詞、服装、ふりつけ、特殊効果...どこからつっこんでいいのかわからない完璧な境地。これはすごい。
榊原郁恵 "ROBOT"
いろいろと複雑な思いを喚起する名曲。なぜか18禁あつかい。水着だから? あるいは、メッセージ性を吟味した結果かもしれない(その場合、実に適切なしょちであるといえよう)。なのでアカウントがないとみれないらしい。
























![[わかったブック 2] 根本的解決!どうして起こる?パソコンのエラー [わかったブック 2] 根本的解決!どうして起こる?パソコンのエラー](http://images-jp.amazon.com/images/P/4774119423.09.MZZZZZZZ.jpg)





























