マリー=ロール・ライアン(著), Marie‐Laure Ryan(原著), 岩松正洋(訳)
水声社、2006
前半は虚構論、後半は物語理論。後半の方がおもしろいと見た。しかし物語理論は後回しにする。
いくらか検討した結果、この著者はおそらく可能世界という概念があまりよくわかっていないのだという結論に達した。
簡単にメモ書きしておく。
一番あやしいのは認識に関する可能世界や、義務に関する可能世界や、物語の展開に関する可能世界などなどを同時に与えているところ。「物語は、義務に関する可能世界や認識に関する可能世界...などからなる」と言っているように見える。これはおかしい。これは「人間は、男と女、子供と老人、20歳以上と20歳未満、50歳以上と50歳未満、本州に住む人とそれ以外に住む人などなどからなる」という発言と同じくらいあやしげな表現。つまり、同時に使ってはいけないカテゴリーを同時に使っている。
可能世界意味論は、義務の分析にも、認識の分析にも、物語の展開に関する分析にも、それぞれ使えるものであるが、だからと言って、それらの可能世界を同時に与える必要はない。必要はないどころか、同時に与えてはいけないのだ。なぜなら、「認識の分析に使われる可能世界」、「義務の分析に使われる可能世界」などなどは全部まったく異なったものであり、それぞれまったく違ったフレームを持つのであるから。
この本自体はいい本だと思うけど、「可能世界」をタイトルに関した文学理論書でもこのくらいのもんであるということで私は安心したのだった。
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