妖精物語の国へ

J.R.R. トールキン(著), John Ronald Reuel Tolkien (原著), 杉山洋子(訳)

ちくま文庫(筑摩書房)、2003

メインのエッセイ「妖精物語について」のみ。

見かけよりずっとむずかしい本だと思った。「魔法」「ファンタジー」「魅惑」などといったよく似た概念がいくつか出てくるが、どう関係するのかわかりにくい。

あまり詳しく述べられてないが、トールキンは、新たな対象を創造することについて、語の新たな組み合わせによって生み出すのだという。これはラッセルに近い説かもしれないと思う。


あらすじ

妖精物語の語源について。妖精物語は妖精が出てくる話のことではない。fairy の語源はむしろ「妖精の国 faerie」であり、妖精の国の方が妖精より大事だ。

妖精物語の起源について。妖精物語の起源が歴史にあるとか神話にあるとか言う人がいるが、実話と物語に同じモチーフが出てくるのは何ら重要ではない。物語には物語独自の文法の蓄積がある(本書では「スープ」と呼ばれる)。だから、そもそも歴史と物語の間で、「同じ」ということに問題がある。

妖精国の創造は、概念の新たな組み合わせによってなされる。たとえば「金」と「羊」から「金の羊」を得る。これを準創造と呼ぶ。これこそ妖精物語の起源である。

子供について。子供が特に妖精物語を好むというのはただの嘘だ。最近では妖精物語に人気がないから、それを子供に押しつけようとしてるだけにちがいない。

ファンタジーについて。創造は概念の組み合わせによってなされる。「ファンタジー」とは、それに現実らしい一貫性を与える技を指す。ファンタジーは、準創造の成果を用いて「第二世界」をつくる。ファンタジーはもっとも準創造的な文学形式である。また、ファンタジーの目的は、魅惑を与えることにある。魅惑とは、とても満ち足りた気持ちを与えるような第二世界をつくる力のことだ。

ファンタジーが理性的でないなどという人がいるが、それは間違っている。ファンタジーは概念の秩序にいたずらをしかけるが、それはむしろ秩序を認識することである。人間と動物の区別ができなければ、人がカエルと結婚する話はおもしろくもなんともない。

ファンタジーの効用のひとつは「回復」である。それはものを見る力を回復させる。ファンタジーは、ふつうの語の持つ不思議な力を改めて認識させる。

効用のもうひとつは「逃避」である。逃避はダメだなどという人は、逃避という言葉の意味をはきちがえている。イヤなものや恐ろしいものから逃げて何がいけないというのかわからん。人が持つ願いはファンタジーの創造の源である。

効用のもうひとつは「慰め」である。ファンタジーはハッピーエンドによって、独特の喜びを与える。

準創造は、現実らしき第二世界をつくる。よくできた第二世界にはリアリティがあるが、第一世界とちがい、独特の喜びに満ちあふれている。しかし、この喜びがかつて現実のものとなったことがあった。キリストの物語は、現実になった妖精物語である。福音書は、歴史と一体になった伝説であり、ハッピーエンドの喜びを現実化したのであった。

コメント(2)

# Qwkghcvk

R2Bp66

(2009/07/14 20:02)
# Qwkghcvk

R2Bp66

(2009/07/14 20:03)

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