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伝統的論理学と三段論法について。
現代論理学は、経験的な学問ではない。現代論理学は、人工言語をつくり、その性質を調べる。その成果はたとえば、「かくかくのように言語を設定したら、しかじかの性質を持った」という形をとる。ここで、「しかじか」というのは、「かくかく」という言語に対する発見であって、自然言語に対する発見ではもちろんない。ただし論理学のユーザーが、日常言語に対する数学的モデルとして人工言語を使用することはある。言語学、言語哲学にとっての論理学の役割は、物理学にとっての数学の役割と同じ。しかし、物理数学が物理的事実を述べるものではないように、論理学自体は、経験的な事実を述べるものではない。すなわち、それは、われわれが日常用いる「論理」を対象とする学問ではない。
しかし一方、伝統的論理学はそうではないように思われる。「三段論法がいかなる形のときに妥当となるか」という伝統的論理学のテーゼは、「われわれが論証を行う方法」に関する経験的な事実と見なされうる。従って、現代論理学の成果と伝統的論理学の成果は、まったく性質を異にする。現代論理学が、あくまでも方法の精緻化にたずさわるものであった一方、三段論法の整備のような、伝統的論理学の仕事は、経験的事実の「発見」と見なされるべきものだ。それは論理学的・数学的というより、社会学的ないし言語学的(あるいは修辞学的)研究の成果だろう。
このように考えるとき、アリストテレスによる三段論法の分類は、その規模の大きさと明確な法則性からして、実に希有な仕事だ。現代の人文系学者の仕事で、これに匹敵しうるものがどれほどあっただろうか...。
...などということを考えていたのだが、伝統的論理学についてもう少し調べてみないと、あまり明確なことは言えないなあ。
とりあえず、伝統的論理学の問題は、アリストテレス以後、ほとんど誰も、それに匹敵する同じような性質の仕事を残せなかった点にある、ということは確かだろう。
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