大黒岳彦(著)
NTT出版、2006
自分にとって「まともなメディア論」とは何か、としばらく考えていた。
結論: セーラー服だからですメディア論は、「機能分析」でなければならないと思った。
(ここで、機能分析という語は、単に「複数の選択肢を比較すること」のつもりで使っている)。
今日はもう寝るので手短に書く。
まず、「マスメディア論」はそもそもメディア論と呼ぶ必要がないと思われるのでおいておく。
それ以外のメディア論は、大まかに2系統に分けられるように思われる。
端的に言うと、「テレビ」のようなレベルで論ずるか、「映像」のようなレベルで論ずるかで話は少し変わる*1。
しかしいずれにせよ、次のことは言えるように思う(論証は省く)。
「テレビ」というメディアをそれ自体として論ずることができるか? 「映像」というメディアをそれ自体として論ずることができるか? できるわけがない。
できるのは、「テレビが可能にしたこと」「不可能にしたこと」をあげることだ。「映像が可能にすること」「映像には不可能なこと」をあげることだ。
そしてこれは、比較の視点がなければできない分析だろう。例えば、会話にとっての音を、それ自体として分析することはできない。できるのは、まず「文章と違って音はすぐ消えるよね」という比較と、だから「会話だとこういうことができないよね、こういうことはできるよね」という方向で議論を進めることだと思う。
- *1: 前者の系列にあるのは、「印刷物」「電話」「映画」...etc. 要するに、技術革新によって可能になったやりとりの舞台のようなもの。後者の系列にあるのは、テレビ番組にとっての「映像」、会話にとっての「音」、小説にとっての「文章」...etc. 要するに、やりとりの必要条件になっている素材のようなもののこと。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 大黒2
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.at-akada.org/mt/mt-tb.cgi/264

コメントする