〈メディア〉の哲学 ルーマン社会システム論の射程と限界

大黒岳彦(著)

NTT出版、2006


読むには読んだものの、何を言えばよいのかよくわからない。

とりあえず、しょうもないことを書く。


著者は、身体は (ルーマンの言う)「意味」じゃないけど、(ルーマンの言う)「メディア」だよと言っている。ルーマンは言語的な意味観にとらわれているので、そのことに気がつかなかったのだそうだ。

しかし、ルーマンのメディア概念は、意味概念の下位概念にあたるものであるはずだ。

「意味」と呼ばれるのは、諸可能性からの選択というかたちになっているもの一般のことだ。そのなかでも、限定された諸可能性からの選択になっているものをルーマンは「メディアと形式」と呼ぶ。「言語」(メディア)とそこから選択されてできた「文」(形式)などがこれにあたる。

だから、「意味じゃないけどメディアだ」というのは、「動物じゃないけどメメクラゲだ」みたいなテーゼであり、なぜそんなことが言えるのかがよくわからない。


本当は、「観察」概念の話をしたいのだが、『近代の観察』が見つからないので困っている。

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