最近お金がないので本を買い控えているわけだが、やけになって三冊買った。

すべてマーケットプレース。


ハイデガーの政治的存在論

ピエール・ブルデュー(著), Pierre Bourdieu(原著), 桑田礼彰(訳)

藤原書店、2000

ハイデガーについてもブルデューについても知りたかったのでちょうどよいかと思った。


分析哲学の起源―言語への転回

勁草書房、1998

値段に躊躇していたが買った。


責任と正義―リベラリズムの居場所

北田暁大(著)

勁草書房、2003

発話行為論とルーマンとの関係について、改めて考えたいと思っているので。

コメント(13)

# a

発話行為論とルーマンの関係は興味を惹かれます。宜しくお願いします。

(2007/04/29 14:47)
# contractio

宜しくお願いします。

(2007/04/29 21:32)
# atakada

一行で言うとデスね。
オースティンの「慣習」がルーマンの「構造」にあたる概念なのです。
...基本的にはそれだけですね。

(2007/04/30 0:19)
# 玉垂葵

えっ……。


・選択の可能性領域を指示してる(=限定作用をもつ)。
・要素と関係のかかわりを前提条件としている(相互依存性)。
・相互依存性は(行為が)選択されることによってのみ成立する。
・限定された中からどれが実際に選択されるかは、先には分からない(事前に、一義的に決定されない)。
・期待が密接に関わる。


ていうところが同じ?

(さらさらっと書きながら、すっきりしないことがいくつかあるけど……)


(2007/04/30 9:30)
# atakada

そこまで一緒だったら、ほとんど完全に同じ概念ですけど。
そういう形で比較していたわけではないですね。

重要な一致点は、
-「やりとりを成り立たしめる構造」
-「発話内行為を成り立たしめる慣習」
という部分です。

また、構造という概念が「可能なこと」「不可能なこと」にフォーカスしたものであるならば、オースティンの遂行的発話が「成り立つとき」「成り立たないとき」という議論は、構造に関する議論としてそのまま読めるものであると思います。

オースティンの慣習概念については、串田秀也さんの『相互行為秩序と会話分析』の一章がきわめて啓発的でした。

(2007/04/30 10:06)
# contractio

ルーマン曰く「構造と作動の関係は、ルールと行為の関係にパラレルだよ」(@『社会の法』)
サール曰く「オースティンのいう慣習ってのはルールのことだよ」

→双方ともに「ルールと行為」の関係が焦点になっているので──構造と慣習を──比較してみよう。

‥‥正しい(すくなくとも間違っていない)道筋だとおもわれますが。

(2007/04/30 13:02)
# atakada

サールが入ってくると、サールとオースティンの違いもあってややこしいですけどね。
大まかな構図で見れば、比較可能な議論を三者ともしていると思います。そして三者とも「ルールが行為を制限する」だけでなく、「ルールが行為を成り立たしめる」という点に関心を持っていたことまでは言えそうです。
『社会の法』はこれからチェックしてみます。

(2007/04/30 15:06)
# atakada

付言。
サールとオースティンを分けたくなるのは、私にはサールの発話行為論がどっかで道を踏み外しているように見えるからですね。


サールよりもオースティンが評価されがちなのは、道半ばして死んだ坂本龍馬に人気が集まる(=判官びいき?)事例のようで、あまり良いことだとは思いませんが、しかし、それでも。

(2007/04/30 16:08)
# contractio

> 私にはサールの発話行為論がどっかで道を踏み外しているように見える

私にもそうみえておりますよ。
(&私のオースティン贔屓は判官びいきじゃありませんw)

(2007/04/30 21:17)
# atakada

もちろん私も判官びいきではありませんw

&教示いただいた『社会の法』の該当箇所は邦訳p42であったようです。「構造と作動(過程)」「規範と行為」「規則と決定」が同格で並べられています。

(2007/04/30 22:15)
# 玉垂葵

>どっかで道を踏み外している

超越論的な構成になっている、とかですかー。
(チョムスキーもそうですが)

(2007/04/30 23:42)
# 玉垂葵

あたし、断じて一回しか投稿ボタン押してないわよ。

(2007/04/30 23:51)
# atakada

> あたし、断じて一回しか投稿ボタン押してないわよ。
ワラタw
一個消しておきます。


> 道を踏み外し
私が気になるのは還元主義ですね。たとえばサールたんは、発話内行為の類型を、「これは自然種だから」と言うのですが、いや、それはおかしいだろ(自然種のはずはないだろう)などと思ったりします。
もっともサールの議論が本当に還元主義になっているのかどうかは、要検討ですが、今のところ、そう見えています。

(2007/05/ 1 4:54)

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