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みずからの政治的アティテュードを表明すべく、たまに社会派っぽい発言をしてみる。


デリケートな問題に触れるので、最初に弁明をしておく。

わたしは右翼が好きで、街宣車を見ると胸がどきどきする派の人だ。なぜ好きかというと、声高に正義を唱える人が好きだからだ。じぶんは日常生活で声高に正義を唱えることはまずなく、周りの人が唱えるところもあまり見たことがないので、正義の快楽にうちふるえる機会に飢えているのだと思う。なんの根拠もなく断定するが、人はたまに体を動かすのと同様、たまに正義の快楽にうちふける方が体にいいのではないかと思う。右翼の人を見ると、正義を疑似体験できるので私は好きだ。

さらにバランスをとる発言をしておく。私は声高に正義を唱える人一般が好きなので、左翼も好きだ。


さて、本論にはいる。

わたしは、天皇制は即時撤廃すべきだと思っている。

理由は、はずかしいからだ。じぶんが属している国が土俗宗教の教祖さまみたいなのをエンペラーとして仰いでいるかと思うと、はずかしていてもたってもいられなくなるからだ。

浅田あきらに「土人テラワロスw」と言われてもまったく仕方ないと思う。だってその通りだから。日本人にはときどき「日本人は無宗教で...」などと言う人がいるが、教祖さまからいただいた暦を大半のやつらがありがたく使ってるくせに、どの口でそんなことを言うかと思う。


そもそも「天皇制」を存続すべきだという人は、何が好きなのかがよくわからない。

周知のように「天皇制」というのはコミンテルンがつくった言葉で、そもそも「天皇」は制度ではないというのが伝統的な見解だったはずだ(日本共産党は、「天皇制」というこの語を使ったがために大弾圧にあったのではなかったか)。

天皇の本義からすれば、それが制度であって良いはずがない。制度であるということは、他の公的制度同様に、日本国憲法およびその他の法律によって規定されたものであるということだ。つまり、日本国憲法を改正したら、なくなっちゃうかもしれないよーということだ。また、憲法による規定を受け入れるということは、万世一系の正統性よりも、憲法の手続き的な正当性を上におくということになる。

ゆえに、天皇を崇拝する観点からしても、現在の象徴天皇制はちっともよろしくないものだ。「天皇制」が伝統的なものだから残すべきだなどと言っているやつは、何がしたいのか。何がどう伝統なのかもよく知らないが、なんかふるいっぽいから残しておいた方がよいということだろうか。その気持ちはわからないでもない (わたしもものとか捨てられない方だから) が、ちょっとちがうんじゃないかと思う。


わたしが天皇制撤廃論者である理由は、主に「はずかしい」という点につきるので、国政と土俗の習俗が分離されればそれで満足する。憲法の前の方が改正され、象徴天皇制を撤廃し、天皇が「伝統芸能みたいなもの」になれば、速やかにそれを受け入れる。皇室ファンになることも辞さないつもりだ。

ちなみに、土俗の習俗が残っていること自体はとくに悪いことだとは思わない。むしろこのましいことだと思う。

この「このましさ」と「はずかしさ」の対比は、たとえでいうと、以下のようになる。


  • じぶんの会社の敷地に古い稲荷がある。

→わあ素敵


  • 社長がその稲荷を信仰し、社員にもそれを強制している。

→わあはずかしい

コメント(4)

# zucasa

すごい。わかりやすい。

(2007/05/ 2 16:22)
# atakada

む、そうか。福音書にもある通り、たとえはやはり偉大だ。

(2007/05/ 2 19:17)
# Hrfulbgk

eDuk23

(2009/07/14 7:31)
# Hrfulbgk

eDuk23

(2009/07/14 7:31)

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