うう、お金が...。
以下1冊は自然書店 (ネット書店ではないの意) で買った。
J.L. オースティン(著), 坂本百大(訳)
勁草書房、1991
以下2冊はネット書店で買った。
J. L. Austin(著)
Harvard Univ Pr; 2nd版, 1975
原著見ないと無理だと思った。
- 『言語行為の現象学』
野家啓一(著)
勁草書房、1993
やっぱ"speech act"は「言語行為」が定訳なのかなあ...。この本は古い本だから仕方ないけど、最近出たばかりの飯野本も言語行為だったし。"language"は「言語」、"speech "は「発言」、"utterance"は「発話」が美しいと思うがなあ。
なぜ「言語行為」がイヤか。
「発言」→「文」→「行為」の結びつきがオースティン、サールの議論の肝になっているのに、それが見えなくなってしまうところがイヤだ。「言語」っていうのは「日本語」とか「英語」とか「C言語」といったひとまとまりの体系を指すか、あるいは他のもの (この場合は「行為」?) と対比されるかぎりでの「ことば一般」を指す語だと思う。
しかしオースティンの議論のおもしろさは、「言語が行為である」という部分にあるわけじゃない。「言語が行為である」というだけだったら、弁論術とか説得術だってそりゃ「行為」としての言語なわけだけど、オースティンの新鮮さはそこにあったわけじゃない。オースティンが取り上げた「言うことが行うことである」っていう現象のおもしろさは、特定の文を発言すること (ex.「スターリン号と命名する」) が、それ自体として行為のパフォーマンスであるという部分にあるのだ。だから「言語行為」というおおざっぱなとらえ方じゃなくて、「発言行為」というよりフォーカスの絞られた言い方の方がよいと思うのだけど。しかし原著のタイトルも「言葉をもっていかにして事を為すか」だからなあ。やっぱり「言語と行為」という二項対立の方がわかりやすくてキャッチーなのか。
関係ないけど、今思いついたこと。コンピューター言語にも「変数の宣言」のような行為遂行文が存在する。「コンピューター言語の発言行為論 (あるいは語用論)」みたいな研究ってないのかな。あってもよさそうな気がするが、どうなのか。英語圏には絶対あるような気がするが、翻訳がなさそう。
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よく考えると、コンピューター言語の場合ふつうの意味での真理条件的意味論が成り立たないから、「行為遂行文」とか言ってもあまりインパクトはないな。むしろ全部が行為遂行的な文であるような気もする。
』 (2007/05/25 9:52)プログラム意味論というのはあるそうだが、どういうことをしているのだろう。
5Kjqqp
』 (2009/07/14 13:20)