ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む

野矢茂樹(著)

ちくま学芸文庫(筑摩書房)、2006


書店で購入。

ちょっと文庫本(論考)を一冊読むだけだと思っていたら、結局細かいところが気になってきて、ついこんなものまで買ってしまった。


今日は、人のキャリア・プランの話をしていたら影響されたので、ウィトゲンシュタインのキャリア・プランを勝手に考え直すことにしたい。もう遅いけど。

とりあえずウィト君は、財産をきちんと相続して、哲学の研究を続けるべきだったと思う。良い師匠にも、才能にもめぐまれていたのだし、本を一冊書いただけであっさり辞めて小学校教師になったのは最悪の選択だった。そもそも協調性もストレス耐性もコミュニケーション能力も無いので、少し考えれば小学校教師に向いていないことは自分でもわかったはずだ。教師よりは技師に向いているようだから、昔取った杵柄で、飛行機関係の職を探した方がまだましだったと思う。

学者になる場合、職のために論文をがんばって量産したり、自分を売り込んだりというのはできないタイプに見えるから、その点がネックになるかもしれない。しかし、財産さえ相続すれば金のことは気にせずに自分のペースで研究をつづけられたのだから、辞める理由は無かったはず。自分でも後から気がついたように、「哲学の問題はすべて解決した」というのは妄想だったわけだし、研究をつづけてさえいれば、新たな動機付けを獲得するのは時間の問題だっただろう。


そしてキャリア・プランの選択を誤った結果、彼の人生はどうなったのか。

厳しいことを言うようだが、心を鬼にして評価するに、結果は厳しいものとなった。第二の主著『哲学探究』を完成させることはできなかった。『探究』は『論考』を越えたと評価する人もいるが、影響力を比較した場合、『探究』のウィトゲンシュタインは、『論考』のウィトゲンシュタインに結局は勝てなかったのだと思う。

少し前までは、私も『探究』の方が優れていると思っていた。いまだに、どちらが好きかと聞かれれば『探究』と答えるかもしれないが、成功したのは『論考』だと思う。『論考』は哲学研究のひとつのスタンダードをつくった。論理実証主義は消えていったけれど、その中の多くのものはカルナップに受け継がれ、クワインに受け継がれ、デイヴィッドソンに受け継がれた。また、様相論理の可能世界意味論だって、カルナップを介し、間接的には『論考』の影響下にあると言えるだろう。それに対し、『探究』は果たして何を残せたのだろうか? いくつかのスローガンと、いつまでも一致しない無数の解釈をのぞけば、結果は寒々しいものではないか。

もちろん、ウィトゲンシュタインが研究をつづけていれば、よりすぐれた『探究』を書けたという保証はどこにもない。しかし、ここはひとつウィトゲンシュタインの人生を反面教師とし、キャリア・プランの選択がいかに大切かという問題をかみしめておきたい。

コメント(5)

# 玉垂葵

『探求』を読むと、子供たちに数学を教えたり、子供たちがどうやって方法を使えるようになるかを見てきた経験が、彼の哲学的思索に無視し得ない示唆を与えたようにも見えますけれども。


(2007/06/11 7:19)
# 玉垂葵

『探求』を読むと、子供たちに数学を教えたり、子供たちがどうやって方法を使えるようになるかを見てきた経験が、彼の哲学的思索に無視し得ない示唆を与えたようにも見えますけれども。


(2007/06/11 7:24)
# atakada

それはその通りでしょうね。

しかし...
すごく簡単に言うと、ここには
-今の『探究』はダメだ
という趣旨のことが書いてあります。

それに対し、
-今の『探究』には教師時代の影響がある
と言われましても、言わんとしていることがちょっとよくわからないです。

(2007/06/11 8:27)
# MM

 「俺、戦争が終わったら親の財産相続して哲学の研究するんだ」よりも「小学校の先生になるんだ」のほうが良い選択に思えたんだろう。向いてなかったのは不運だけど、「自分に何が向いているか」よりも「どんなことをしたいか」が重要に感じられる瞬間ってものがあるんだよきっと。
 哲学者としては回り道したんだろうけど、本人は面白い人生を送ったと密かに思っていたと妄想したいね。「何かひとつの大きなことを成し遂げる」というのはキャリア・プランの一種に過ぎないのではないだろうか。というわけで 

>そしてキャリア・プランの選択を誤った結果、彼の人生はどうなったのか。

の「彼の人生」は、「彼の哲学的業績」くらいが適当なのでは、と思うよ。 

 ところで、ケンブリッジに舞い戻ったウィトゲンシュタインと会見したケインズが、「さて、神が到着した(Well,the God has arrived.)」と妻に書き送ったという記事がwikipediaにある。この言語センスに不適切にも親しみを感じてしまうのは私だけではないはず。

(2007/06/11 20:22)
# atakada

いや、実際のところ、ウィトゲンシュタインは自分の分野でめちゃくちゃ大きな (大きいどころか歴史に残るような) 仕事を成し遂げ、良き師匠や弟子や仲間にも恵まれ、ありえないくらい幸せな人生だったと思いますよ。ふつうはそんな人生送れないし、ほとんどの人はウィトゲンシュタインに比べれば、はるかにはるかに小さなことしか成し遂げられずに死んでいくのだから。
というかそもそもウィトゲンシュタインの人生を否定することに目的があるのではなく、「選択の大切さ」に私が恐れおののくために、こういうことを考えているので、まあどちらでもよいのです。どのみち今から何を言ってもせんのないことだし。


>本人は面白い人生を送ったと密かに思っていた
おれだったらそう思うけど。あと、実は「庭師時代が最高だった」とか「建築やってるときが一番充実していた」とか思ってたらおもしろいけど。


>ネ申到着――(゚∀゚)――!!
その発想はなかった...

(2007/06/11 22:06)

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