『論考』を読んで自分の間違いに気づいたので訂正します。
↓これはたぶん嘘でした。申し訳ないです。
http://www.at-akada.org/blog/2007/03/1_7.html
三上真司著『もの・言葉・思考』はわたしの書いたような意味では間違ってませんでした。
↓というわけでこっちも嘘です。
http://www.at-akada.org/blog/2007/05/post_203.html
私は、「各個体に名前を1つずつ割り当てたとしても、量化子のスコープ内では同一性記号が意味を持つ」みたいなことを書きました。
で、その後「ウィトゲンシュタインは量化子を体系から排除したから同一性記号なしですませられた?」みたいなことを書きました。
しかしこれは違いました。ウィトゲンシュタインが排除したのは「全称量化子」だけでした。
そして確かに『論考』のウィトゲンシュタインは「存在量化子」を導入しつつ、同一性記号無しですませています。
「量化子の変項の違いで個体の違いを表現するって無理じゃねえ?」と思ったけど、ウィトゲンシュタインがやってるように量化子を「存在量化子」に限定するなら、確かにそれほど難しくなかったです。というわけで三上真司さんの言ってることは間違ってませんでした。
もっぱら、私がわるかったです(´Д⊂ヽ
というか、だんだん自信がなくなってきたけど、全称量化の場合もひょっとしてそれでいけるのかしら?
よくわかんないから勉強するけど、とにかく私がわるかったです(´Д⊂ヽ
これからもの書くときはもうすこし慎重に書くようにします(´Д⊂ヽ
ヽ(`Д´)ノウワァァァン