■ 東浩紀が
『恋空』の感想を書いていて大絶賛なのだが、そのときに自分は文体の稚拙さとか、人間が書けてない* などの要素は小説を読む上でまったく気にしないって言っていて感心した。想像するに東氏の場合はきっと本当にそうなんだろうと思う。だから清涼院流水とかでも普通に読めちゃうんだろうな。
ある程度、日本語の文章や日本語の小説を読み書きしていれば、稚拙な文章とうまい文章の見分けはつくようになる。センスのある人ならば、さらにそれ以上のことまで (上の文章と特上の文章のちがいなども) 見分けられるようになるだろう。
世間ではそのことをもって「文学がわかる」という能力の一部に数えるように思う。
しかし個人的には、そんな能力って本当に必要なんだろうか、と思うことがままある。
稚拙な文章を見て「アウト」と思ってしまうことが動物的な反射以上のものに思えないのである。
「ハイハイ、そりゃあなたは文学プロパーの人で、そういう趣味を刷り込まれてるからそう思うでしょうね。で、それで?」と。
これは自戒のために書いている部分もあって、わたし自身も稚拙な文章を見ると「ぐわー」と思ってしまうわけだが、それに安住したくはないなあと思う。
■ 読書
ドナルド・デイヴィドソン(著), 金杉武司(訳)
春秋社、2007
最近デイヴィドソンデイヴィドソン言いすぎだと思っている。最近わたしのなかではデイヴィドソンが流行っているのだが、明らかに自分の脳内の一過性のブームなので本当はあまり表に出さない方がいい。にもかかわらず論文にまでぽろりと出してしまいがち。
しかしこの本に載っていたインタビューはおもしろかった。
卒業してから、将来の計画は何もありませんでした。ガールフレンドが車を持っていたものですから、彼女のお父さんが大勢の有名人の代理人をやっているというハリウッドへ向かいました。『ビッグ・タウン』という、エドワード・G・ロビンソンが出ている週一回の私立探偵もののラジオ番組に原稿を書いたりしました。一九三九年の夏の大半は、ただ遊んで、泳いで、馬に乗って過ごしましたよ。その夏の最中にハーバードから電話があり、古典に重きを置いた哲学の奨励金があるが、受ける気があるかと聞いてきました。ちょうど、テシェマッハーという名の人が大金を残して、ハーバードの哲学の大学院生を対象としたフェローを設けたのです。古代哲学に関心のある人なんて、ほかに誰もいません。わたしはそれを受けることにしました。もしそうしなかったら、私はいったいどうなっていたんでしょうねえ。
邦訳p387、強調はわたし。
万事が万事この調子。このインタビューを読むと、若きデイヴィドソンがいかに何も考えていなかったかがよくわかる。何となく進学し、何となくビジネススクールに行き、それもいやになって軍隊に行き、帰ってきてからどうしようもなくなって大学に舞い戻るとか。フラフラしすぎ。まるで自分の人生を見ているようで、感涙を禁じえない。
しかしそんな彼も最後には哲学者として名をなしたわけで、きっとクワインを代表とするさまざまな人との出会いが大きかったんだろうと思う。
実に希望を持てるいい話だと思った。
■ 愛校精神
愛校精神とかうざいのであまり出すとアレなのだが。
わたしだって在学中は、「愛校精神うぜー」「こいつらうぜー」と思っていた。しかし卒業すると良い思い出しか残らない。
たまたま偶然出会った研究者のブログを読んでいたら、「学部1年のときは1単位しか取れなかった」と書いてあり、さらに留年することをほとんど何とも思ってないような記述からして、この人はわたしと同じ大学の出身なのではないかと思った*。やっぱそうだった。
■ 本
『統治と功利 (単行本) 』
安藤 馨 (著)
勁草書房、2007
TeXで書かれているという情報を得る。急に読む気が高まってきた。
論文とか本の最初に、使ったソフトウェアと日本語変換システムとOSを書いてほしい。特に人文書(全然関係ないが、ふだんつかってるエディタとブラウザも知りたい。あとおすすめのアウトラインエディタがあれば...って人文書に何を求めているのかと)。
どんなに素晴しい論文や本であってもMSWordで書かれているところを想像すると萎える。
エディタで書いてるとか手書きとかだったらそれはそれで評価が高まる。
マカーだったらいいという話ではない。ブコウスキーが実はマカーというのは、非常にがっかりさせる話だった。この手の哲学書やハードな人文書がマックで書かれていたら、やっぱがっかりだな。
HTMLで書いてるとか、「え?なぜ?」って話を聞くとその後すぐ本屋に走るかもしれない。
「この本は、PostScriptを手打ちするという血のにじむような努力を経てつくられている」とか。
■ プレゼンス
そういえば論文のプレゼンしないといけないんだった。
というわけでプレゼンツールを調べるが、s6.js以外あるまいという結論に落ち着く。印刷も(1ページずつ)やればいけそうだし大丈夫だろう。
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様式美ってやつかしら。
』 (2008/01/19 0:04)音楽の良し悪しは人によってもっと差があるので面白い。
この前、役者の良し悪しに人によってあまりブレがないのは何故か、
という議論をした。
恋空の話?
』 (2008/01/19 8:25)そういえば、わたしも過剰に稚拙な歌などを好んで聴く傾向にある。これは「歌声などどうでもいい」と思っているせいではなく、「稚拙な歌声たまらんハァハァ」と思っているからだった。
文章も山下清くらいの域に達すると、滅茶苦茶でも「だが、それがいい」という人がでてくるかもしれない。