なるほど

ちょっと前に、「ゲーム理論と合理的選択理論と意思決定理論はどういう関係にあるのか」と書いた。


今日、

意思決定理論 = ゲーム理論 + ベイズ統計学

であることを知った。

あと「決定理論」「統計的決定理論」「意思決定理論」などがほぼ同じものを指すらしいことが何となくわかった。



英語圏の哲学者はよくこの意思決定理論について書いているのだが、日本だとあまり聞かないな。


↓あとパラパラWikipediaを見ている内に気づいたが、これは先日のパラドクス会で出てきたパスカルの賭けの話の元ネタだな。


ついでに選択理論。




パターナリズムって悪いことなの?

ときどき非難として使われているのを見るので、悪いことだという扱いなのだろうが、いまいちピンとこない部分がある。

パターナリズム(英:paternalism)とは、強い立場にあるものが、弱い立場にあるものに対して、後者の利益になるとして、その後者の意志に反してでも、その行動に介入・干渉することをいう。日本語では「父権主義」「温情主義」などと訳される。


これって要するにえらい人が、わたしのためを思って何かしてくれるということだよね (わたしが弱い立場にあるとして)。

「過剰な介入はよくない」というくらいの話ならわかる* んだが、「基本的にはよいことなんじゃね?」と思う。できればそうしてもらいたいよ。

* 「過剰」って言ってる時点で「よくない」という意味が含まれているわけだから、「過剰な介入はよくない」というのは当り前だが。


もっと言うと、「何がその人の利益になるかは人によって違う(本人にしかわからない)」という前提から出発するなら、パターナリズムはすべて「悪いこと」であり「余計なお世話」だと思う。しかしこの前提って特に根拠ないんじゃないか。「とりあえずそういう前提から出発すべきだ」というケースがあるのは理解できるが、だからと言っていつもそうすべきだというわけではないだろう。

「利益が万人にとって同じ」というのは間違っていると思うが、「全員バラバラ」と「全員同じ」という2つの極端なモデルを考えるのであれば、「全員同じ」の方が現実に近いモデルだと思うな、わたしは。




独学道 - 受験参考書

もしも「独学道」というものがあるとすれば、

  • 受験参考書を利用せよ

という教えは独学道の必須項目の1つでなければならぬ。

わたしの経験から言って、どの分野についても、大学の先生が書いた教科書よりも受験参考書の方がはるかに親切でわかりやすい場合が多い。

(大学の先生が書いた教科書は、まず問題がついていなかったり、問題がついていても解答がついていなかったり、解答がついていても解説がついていなかったり、全般的にひどいできのものが多い)。

理由は自明で、大学の先生は予備校の先生ほど「教えること」に対して真剣ではないからだろう。まあ彼らは「研究者」として雇われているのであって「教育者」として雇われているわけではないのだから仕方がない。無論その分野の専門家と話が通じるようになるためには、「標準的な本を読む」ことも大切なのだが、受験参考書を導入として利用するのはきわめて有効な勉強法である。


大学院生などは、そのような現実を見ず、受験参考書をばかにしてかかるものが多いが、これは実に憐れむべき謬見であると言える。

その点わたしなどは大学院受験時にこのことに気がついていたため (同時期に公務員試験を受験していたおかげである)、大学院入試にも公務員試験の参考書を利用した。大学院試験は2つ受験し2つとも合格したが、1つの側では、「専門科目はだんとつのできだった」と褒められた。これもすべて受験参考書のおかげである。


しかるに受験参考書の世界でもっとも層が厚いのは大学受験の世界である。ゆえに、大学受験科目に勉強したい分野が含まれている場合は、それを利用するのがもっとも簡便な独学法であると言える。残念ながら大学受験科目に含まれていない場合にも、公務員試験やさまざまな資格試験の参考書、問題集を利用することができる。



...と思い立ち、統計学などは資格試験の受験参考書を利用するのがもっとも良いだろうという結論に達した。

あとわたしは文系なので行列ができないのだが、よく考えればこれも大学受験の問題集を使うのが良いにちがいない。


社会人なのに独学独習に全力を費す諸先輩方を見習い、4月以降もがんばって独学道の奥義を極めるべく邁進したいと考える所存である。




思いつきで恐縮だが、


世間ではこのニュースが話題である。

以下は単なる思いつきな上にニュースと関係なくて恐縮だが、思ったこと。

児童ポルノ法にしろ何にしろ、「誰もが原理主義者と指弾されることを嫌がっている」のは嫌だよねえと思う。

わたしの考える理想の社会のなかでは、この手の出来事が起きた場合、法治国家の理想と原理を信じて止まぬ一千人の軍団が、「そも!法の原理とは!」みたいなうざい議論を仕掛ける一方、対抗する側は現代形而上学の成果を駆使し「なぜ虚構の児童が存在しないと言い切れるのか」というさらにうざい議論を仕掛け、事態がスコラ的に混迷を極めたあげく「もう面倒な議論を聞かされるのはごめんだ!」と怒り狂った騎馬兵の集団に全員が惨殺されて死亡するはずなのだが、現実の日本では誰もが「自分ではなく相手の側が原理主義者だ。おれはリベラルだ」と叫んでいて不愉快である。

コメント(6)

# итОген

>パターナリズムとは、強い立場にあるものが、弱い立場にあるものに対して、後者の利益になるとして、その後者の意志に反してでも、その行動に介入・干渉することをいう。

「意志に反してでも」と言っている時点で価値がバラバラの場合を前提としているのではあるまいか。

>受験参考書

将来もし人間に復帰する事を目指す場合には、この事を記憶に留めて置こう、と思った。

(2008/03/15 20:01)
# at-akada

>パターナリズム
なるほど。

>将来もし人間に復帰
ぜひ。

(2008/03/15 20:12)
# 死に舞

サールと『行為と合理性』にも意思決定理論の話は出てきました。批判する対象としてですが。意思決定理論について勉強したいと思ったんですが、何か良い本って知ってますか?しかし、ベイズ確立がかかわるんですね・・・。難しそう・・・。

(2008/03/15 21:13)
# at-akada

いやー、わたしもこれから (暇があれば) やろうかと思ってただけなので、本は知らないです。
↓とりあえずこの辺は代表的っぽいですが。
「決め方の科学」
http://www.amazon.co.jp/dp/4326502592/ref=nosim/atakadaorg-22
「きめ方の論理」
http://www.amazon.co.jp/dp/4130430173/ref=nosim/atakadaorg-22


あと「受験参考書を利用せよ」という主旨からすると、MBAのテキストやビジネス書とかがわかりやすいのではないかと睨んでいるのです。
↓ビジネス書系の文庫。文庫なのですぐ読めそう。
「すぐれた意思決定」
http://www.amazon.co.jp/dp/4122039614/ref=nosim/atakadaorg-22
↓MBAテキスト
「MBA定量分析と意思決定」
http://www.amazon.co.jp/dp/4478410321/ref=nosim/atakadaorg-22

(2008/03/15 21:57)
# итОген

うざい全員が惨殺された後の世界では皆がリベラルを装う様になりそうな気もしたが、そのうちそのリベラル共も惨殺されると良い。そしてカッとなったら即殺すバラバラな者達の世界となるのである。それが俺の理想世界かな。

(2008/03/18 10:55)
# at-akada

それはまあ暴力と怒りという単一の原理に支配される世界なのでシンプルで原理主義的ではあるな。短期間で無くなりそうだが。

(2008/03/18 11:43)

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