■ 虚構の人の人権
これは考え出すとそうとう深いテーマなのであまりうまくは書けない。
ちょっとだけ切り口を思いついたのでメモしておく。(このブログはほとんどの場合がそうだけど)あまり他人向けではない。
倫理についてあまり真面目に考えたことがないので、この手のことを考えようとすると語彙の不足と思考の未整理に悩まされがちである。
- 「権利はどのような感情に由来するか」
- 「他人の苦痛や快に対する想像力である」
どれほど認められるかはわからないが、わたしは↑上のような発想をわりと信じている。
また、論証も説得もできないが、わたしは権利に関する事態をおおむね以下のように理解していると思う。
(ここから)
他人の苦痛・快と未来の自分自身の快・不快は似ている。どちら想像のなかにしか無いから。
この両者が同質のものであることを認めるなら、以下も導かれる。
未来の自分の快を招き、未来の自分の不快を避けるように行動できる人は、その能力を他人のために行使することもできる。
「権利」とはこの能力の行使を制度化したものである。
(ここまで)
しかるに、われわれ (の内の多く) が快や苦痛を想像できるのに、現状では権利を認められていないものがある。
その一例が「(人間以外の) 動物」であり、別の一例が「虚構の人」である。
なぜ認められていないのか。いくらでも理由はつけられるだろうが、結局大した理由は無い、と少なくともわたしは思う。
動物の権利については、すでにある程度論じられている。現在はまだ冗談のようなものでしかないが、100年200年の内にはきっと何らかの形で認められるのではないかと思う。
虚構の人のことだけを考える。
無論、生きた人間と同等の権利を与える必要は必ずしも無い。しかし「虚構の人」の「権利に相当するもの」もあるのではないかと思う。
それがどんなものであるかは知らない。しかし、苦痛や快を想像できる以上、何かがそこにあるはずだ、という気がしている。
■ 読書
三浦俊彦(著)
青土社、2007
人間原理とファインチューニングから「輪廻転生」が帰結される、とする異様にスケールの大きいやばい本。「なぜわたしは中国人ではないのか」みたいな話が載ってそうだったので買ってみた。
横尾忠則ライクな表紙はなんと、著者自身の絵らしい。どんな哲学者だよ...。
(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブル
三浦氏の奇人奇才ぶりに恐怖を感じつつも、SF的なおもしろさを感じる。が、ベイズ確率に関する部分を読みとばしていたらだんだんついていけなくなってきた。
せめて記号の読み方を覚えておこう。
P(B) = 事象Bが発生する確率(事前確率, prior probability)
P(B|A) = 事象Aが起きた後での、事象Bの確率(事後確率, posterior probability)
とする。 ベイズの定理によれば、P(A) > 0 ならば、
P(B|A)=P(A|B) * P(B) / P(A)
が成り立つ。
変形すれば
P(A) * P(B|A) = P(B) * P(A|B)
だから、
「Aが起き、その条件の下でBが起きた確率」と「Bが起き、その条件の下でAが起きた確率」が等しいってことかな。
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私は権利というのは
理性的なコミュニケーションによって
発生するものだと考えているので、
動物にも虚構の人物にも権利はないと思う。
動物はたぶん痛みとか感じているが、
「ハムにされるのは痛いのでやめてほしい」
というようなことを
筋道立てて主張したりできないので、
権利は発生しない。
動物の痛みに関する議論は
動物と人間の間ではなく
常に人間同士の間で行われてきた。
動物の痛みを承認する状況について
怒りをもっている人は
「動物にも権利があるはずだ。虐殺するな」
というべきではなく、
「動物の虐殺は私には見るに耐えない。
私の権利を守るために虐殺をとめよ」と
主張すべきなのだと思う。
権利という概念の重要なところは、
こうした主張が一度定式化されると
一種のルールとして
社会機構に組み込まれるところだと思う。
30年前どこかのおばちゃんがいいだした
嫌煙権という言葉は社会の承認を受け
いまでは比較的常識的な権利になっている。
(言葉として使われることはあまりないけど)
一旦ルール化した権利は
普通あまりなくなったりしないので、
権利はだんだん増えていく傾向にある。
私はもう今以上にあまり権利は
増やさないほうがいいのではないかと考えている。
社会は割りと十分快適なものなっているからだ。
というようなことで
』 (2008/03/18 1:19)私は動物の権利には非常に反対している。
なにか、大変危険なことをいっている気がするのだ。
とりあえず、「動物には理性がない」って言われたときに必ず反論として持ち出されるテンプレートは、
「ではなぜまだ意識のない赤子や、知的障害をかかえた人にも権利を与えているの?」だな。
しかし、わたしは動物の権利を主張している人ではなく、「きっといずれ認められるんだろうなあ」という観測をしているだけの人なので、テンプレートは持ち出さず、「なぜいずれ認められると思うのか」という予測的な内容を書く。
わたしには、
>「動物の虐殺は私には見るに耐えない。
> 私の権利を守るために虐殺をとめよ」
と言うのと「動物に権利がある」と言うのと、両者がそれほど違ったことを言っているように思えない。
「見るに耐えない」→「あってはならないことが起きている」
というのを、法と倫理の言葉で表現すればまさに「権利が侵害されている」になるんじゃないか。
「見るに耐えない」という主張をする人が、
「動物には権利はないがわたしには権利がありわたしはいやなので動物の虐待をとめよ」
などという迂遠な語り方を選択しつづける、などということは想定しづらい。
よって、いずれ「権利がある」という語り方の方が主流になるだろう、と思う。
また技術が進歩することを考えれば、動物の権利を認めることは、時が経つにつれより簡単になっていくと推測される。
(現在すでに主張している人は、「すでに実行可能である」と判断しているのだと思われるが、わたしはまだ時間がかかると思っている)。
合成食物が進歩すれば畜産による食料生産は必要がなくなる。合成皮が進歩すれば動物から皮をとる必要はない。
シミュレーションの技法が進歩すれば動物実験は必要なくなるかもしれない。
そして「動物を殺すことを必要としているのは一部の (合成肉ではなく自然肉にこだわるような) 物好きだけ」
「比較的簡単な法整備だけで動物の権利を認められる」という状況になったとき、
「それでもあえて認めずにいよう」と選択しつづけるだけのモチベーションがあるだろうか。
「無い」という風にわたしは判断している。
>私は動物の権利には非常に反対している。
>なにか、大変危険なことをいっている気がするのだ。
危険なことは言っているかもしれない。実際われわれの倫理と世界観を大きく変えることになるのだから、その意味では危険だろう。
しかし一度権利を認めてしまえば、「法制度で認められておらず、ほしいままに権利が侵害されている」状況の方がよほど危険だろう。
しかも「嫌煙権」などとは違い、この場合権利ホルダー(っていうのか?)の範囲を拡大することが目的なのだ。
たとえば、
>社会は割りと十分快適なものなっているからだ。
という主張をするとき、快適さを享受するアクターとしてshimが想定しているのは「現状権利を認められている人」だけじゃないか。
』 (2008/03/18 7:45)よってこの手の憂慮は、権利を主張する人に対する反論にはなりづらいだろう。
付言(普賢)。
「あんまりいろんな権利を認めると社会が窮屈になっていくよね」
というくらいの話であれば、理解できないでもない。
』 (2008/03/18 8:01)その場合は新たなフロンティアを探しに行けばよいだろう。
コーヒーにマシュマロを入れる(消費のなかの新たな差異を追求)、とか。
宇宙に出る(無理だったら想像をする)、とか。
人間原理について考える(想像のなかにひろがるワンダーランド)、とか。
My point of view may differ from the other’s, but anyway I have may things to say on this subject. First, everything here is true. Second, check the information first, then comment it
』 (2008/04/ 7 3:31)It's a pain in everyone else's butt. Lets just stop discussing this crap, the topic is too questionable.
』 (2008/04/ 9 20:00)