■ 読書
スティーブン ピンカー (著), Steven Pinker (原著), 椋田 直子 (訳)
日本放送出版協会、1995
おもしろかった。ところで、ピンカーは GNU Emacsユーザーだそうだ。M-x doctor について触れている箇所があった。
■ 日常
学生じゃなくなった。
学生の頃はよかった、とか何とか言ってみたいが、よく考えるとまだ2日くらいしかたってない。
■ 読書
伊藤 邦武 (著)
勁草書房、1997
意思決定理論の解釈の歴史とそこで生じる哲学的問題のアレコレって感じの内容だった。
数式部分はまだあまりきちんと読んでない。これは、もう一回読んでみてもいいかも。
しかし縦書きにまざる数式は大変読みづらいな...。横書きでもよかったんじゃないか。
特に結論は無く、歴史と紹介という感じで手広く紹介しているのだが、内容は結構レアな気がする。
出てくる人は、パスカルとコンドルセ、ラムジーとケインズ、スタルネイカーとデイヴィド・ルイスなど。
デイヴィドソンにも触れてほしかったな...。
ところで、ラムジーはフォン・ノイマンがゲーム理論を考案するよりも以前に、今日の意思決定理論と同じようなものをつくりあげていたらしい (しかし、その理論はあまり一般には知られていなかったそうだ)。ラムジーえらいな。
■ 思ったこと
割れ窓理論が完全に成り立つ世界があり、そこでは、割れた窓の数と犯罪の数が正確に対応するとしよう。
数の設定はどうでもよいが、たとえば割れた窓1つにつき、1週間に1つの犯罪が起きる。
割れ窓世界の誰かがそのことに気がつき、割れ窓理論を考案する。
割れ窓理論の公理は次のようなものである。
C_t = L * BW_t.
C_t は期間 t に起きた犯罪の総数、BW_t は期間 t の間に割れていた窓の総数とする。L は期間 t の長さと対象とする範囲の広さによって決まる。
割れ窓理論によって割れ窓世界の犯罪学は格段に進歩した。
「『犯罪』は曖昧な概念であり、より厳密な概念によって置き換えられねばならない。犯罪の総数を数えることは困難であるが、割れた窓を数えるのはそれよりももっと簡単であり、間違いも少ない。よって今後は『犯罪』を『割れた窓』によって定義することにしよう」
割れ窓世界の犯罪学では、以後、『犯罪』に変えて『割れた窓』の概念が用いられる。ただし割れ窓理論だけは例外である。なぜならば割れ窓理論家は、割れ窓と犯罪の対応を研究しなければならないからだ。
誰かが割れ窓理論を批判する。
「割れ窓理論はトートロジーに陥っている。割れ窓理論は、割れた窓の数によって犯罪の件数を説明しようとするが、『犯罪』を厳密に定義しようとすれば、割れた窓の数に頼るしかあるまい。この理論は結局のところ、割れた窓の総数は割れた窓の総数であると言っているにすぎない」
割れ窓理論家はこれを一笑に付したが、割れ窓世界の人々にとって『割れた窓』と『犯罪』を別々に理解するのは大変な困難だった。
人はなぜ割れ窓理論が存在するのかよく理解できなかった。なぜなら、彼らにとって割れた窓とは犯罪のことであり、犯罪とは割れた窓のことであり、そんな当たり前のことが研究に値するものであるとは考えられなかったからだ。当たり前のことを確認しているだけに見える割れ窓理論家よりも、「犯罪は存在しない」とか「割れ窓など幻想である」などと言っている人々の方がむしろ斬新な主張を述べているように思えた。
しかし、言うまでもなくこの割れ窓世界をもっともよく説明する理論は割れ窓理論である。
つまり、あまりにも理論がうまくいくと逆にそれを理解できなくなってしまう人がいる、という話。
■ 思ったこと
「音楽は五線譜ではない。5本の線は音楽の一部ではないし、音楽にとって何の役割も果していない」
これは当たり前だ。音楽と五線譜を取り違えてはならない。
しかし、だからと言ってそれが五線譜を使わない理由になるわけではない。
依然として五線譜は便利であるし、それでもあえて五線譜を使わないでいようと思うなら、せめて「五線譜なしですませることは、五線譜を学ぶよりももっと大変なことなのだ」ということくらいは知っておいてもよいかもしれない。
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