■ 生活
社会人マナー講習会を受けたりしている。「名刺のわたし方なんてファックオフ!」と言っているとパンクな感じで素敵だが、意外とおもしろくて、「あーおれ、こういうの好きかも」と思える瞬間があったので新鮮だった。席順とか名刺のわたし方とか、まったく何の意味もないのに隅々まで仕様が定められていると思うと何だかワクワクしてくる。やっぱりわたしは慣習や仕様が好きなんだなあと改めて感じた。
- 別にどの文字に、2進数のどの数字をわりあててもいいんだけど、統一した仕様を決めておかないと困る
- => 文字コード策定
- => 一度普及した文字コードの仕様は、残存しつづけるよう圧力がかかる
- どっちの席順が目上であるかなんて、べつにどれでも変わらないけど、正しい方法がわからないと困る
- => 昔からやっているやり方を、正しいやり方として受け入れる
- => 一度普及したマナーは、残存しつづけるよう圧力がかかる
理由はよくわからないがたぶんこういう現象が好きなんだと思うんだ。
目上とか目下とかも、現実の上下関係だと思うと腹だたしいが、あまりに無意味に仕様が定まっているので、現実とは無関係な社会人マナー理論という特殊な理論のなかの理論的概念のような気がしてきた。「ミクロ経済学的には価値0」って言っても実際に価値がゼロであるとはかぎらないのと同じように、「マナー理論的に目下」ってうのは、理論のなかだけの話に思える。まあ実際「訪問者が目下」などの規約は、社会的威信や収入などとはほぼ無関係に決まるわけだし。
■ わたしが独裁者になったあかつきには
わたしが独裁者になったあかつきには、文字コードはユニコードに統一する予定である。
キーボード配列も変える。
世の中にはもっと合理的な仕様が他にあるのに、なかなかそちらに以降しないものというのがさまざまにある。
キーボード配列とか。暦とか。
思うに物事には「仕様が1つに定まっているべき」というのと「合理的にすべき」という2種類の側面があって、前者が優先されるような物事の場合、しばしば変なところで均衡が成立し、まずい仕様が定着してしまうのだろう。本当は仕様を変更した方がよいのだが、仕様の変更に大きなコストがかかるので、変更されないまま変な慣習が存続していく。
わたしはこの手の現象が好きなのだが、一方で、合理的な仕様に変えたいという欲望も持っている。
もし万が一独裁者になったら、いろんな仕様を一番合理的なものに統一したい。始皇帝もこんな気持ちだったのだろうかと想像するが、違うかもしれない。
■ 買った本
- 『心の概念』
ギルバート・ライル(著)、服部裕幸(訳), 宮下治子(訳),
みすず書房、1987
勉強用。『ジレンマ』も買うかなあ。
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