日常

雨に降られた。



生活

もう少し就職のことを書きたいが何を書くかの取捨選択がむずかしい。

同期にひとりわりといい感じに野蛮でダメそうな子がいて、マナー研修の際などにも「何のためにそんなことするんですかー?」とか反発しててよいなあと思った。

あと今は研修中なので、会社が手がけているいろんな業種やビジネスの話を聞くのだが、業界・業種による文化や雰囲気の違いなどはおもしろく思う。

また「こういう旧態依然とした状態だったので、こういう点にビジネスチャンスを見出し、こういう新しい技術を持ち込んで、こういう新しいことをしました」といったストーリーをさまざまに聞くのだが、それもなかなかおもしろい。アートは文脈だ、と誰かが言っていたが、それを言ったらビジネスだって文脈だよなあと思う。しごく当たり前のことだが、文脈がわかってくると何でもおもしろいのではないか。


改めて考えると、今のところ淡々と研修を受け、説明を聞いているだけといった風情なので、特筆すべきことは何もなかった。




文系

文系研究者のマッピングについてあれこれ考えている。


  • 理系系

文系のなかでもディシプリンのしっかりした分野。心理学や、経済学や、言語学の一部など。

この手の専門分野にいる人は理系の研究者とほとんど変わらない生活をしていると思う。研究はしばしば国際的なものであるし(国際的というか、要するに主として英語の論文を読み書きするし)、雑誌論文が中心だし、特定の数学分野ができないと話にならない場合が多い。

またディシプリンがしっかりしているかどうかのめやすとして「学説史と方法論が分かれている」という点があると思う。微積分を学ぶためにライプニッツを読む人がいないように、ディシプリンのしっかりした分野では、学説史を知らなくても、原典を読まなくても、教科書を通じて基礎的な方法論を学べる。下手をすれば誰がつくった理論であるかさえ知らないままに学ぶ人が多い。

無論最新の動向やたちいった内容は教科書ではわからないのだが、教科書で基礎を勉強し、さらに専門的な内容については論文で最新の研究動向を押えるのが基本という感じなんじゃないかと思う (やったことないので知らないんだけど)。



  • 人文系

文学部などに在籍する人々の多くは、文献学と歴史の研究をしている。文学研究者は文学史の研究をしているし、哲学研究者は哲学史の研究をしている。いわゆる「人文系」と呼ばれるのはこの手の人たちだろう*。

* 細かく言うと「人文科学」というのは「文学部でやっていること」くらいの意味で使われるので、おそらく心理学や言語学も人文系に入るのだが、「いわゆる人文系」はおそらくちがう。心理学や言語学の人はこのくくりに入らないし、法学部でやっている「法哲学」や「政治思想史」や、経済学部でやっている「経済思想史」などもむしろ人文系に入ると思う。


この手の人々は、博識を広げる訓練と、テキストをひたすら細かく読みこむ訓練と、そこからストーリーをでっちあげる訓練をしている。人文系の場合、雑誌掲載論文もあるものの、いまだに研究は著作中心の傾向があるし、ジャーナリスティックな評論家と専門家の区別がつきにくいし、数学はまるで使わない場合が多い。

学説史と方法論は分かれていないので、原典を読んでいないなら何も知らないと見なされたりする。理論研究というのは実質的には学説史研究のことである場合が多い。

ちなみに、わたしはたぶん人文系である*。

* 歴史の研究も文献の研究もしていないので、ちがうといえばちがうのだが、出身がそうであることは否定しない。


大まかに言うと、大昔のえらいフランス人の名前などをいっぱい知ってそうな感じの人たちである。



  • フィールド系

フィールドに行って、データを採取して論文をまとめる研究をしている人。社会学と人類学とフィールド系の言語学がそうだろう。

ただわたしはひきこもり的傾向の人間であるため、この手の分野にはぜんぜん詳しくない (社会学の研究室にいたはずなんだが)。フィールド系の人はわりと野蛮で雑駁な感じで、一瞬友達になれそうかなと思うが、わたしはどうも基本的な性向が机上の人間であるため、実際にコミュニケーションを取ろうとするとどうも難しさを感じる。



あと歴史学や法学のコアの部分はまたちょっとちがうと思うんだが、その辺は全然わからないや。

また教育とか会計とか、実務系はだいぶ雰囲気がちがうと思うんだが、その辺は学問的な内容ではなく雰囲気がちがうだけのような気がする。


ところで、いま突然思いたったが、「文系だからコミュニケーションやマネジメントが得意」というのはひょっとしてフィールド系の研究をイメージして言ってるんだろうか。

...よくわからんが、たぶんちがうだろう。




役に立つかどうかについて

研究者に対してしばしば「その研究って何の役に立つんですかー」というような質問がなされる。

人文系の研究者などは、この手の質問をされると特に何とも答えられず「ククク...」とつらい思いをしながら泣き寝入りをするのが通例であり、結果としてやたらとひねくれ世をすねた人格を身につけてしまったりしがちで、かわいそうだなあと思うのだが、それはそれとして。


わたしになりに「役に立つ」ことについてはいろいろと考えてみたことがある。

まず「役に立つ」というのはどういう意味かというと、ふつうは工学的な応用が効くという意味なのである。

大体どんな研究でも同僚にとっては役立つものなので「カントの晩年の認識論の発展について知るために非常に役立ちます」みたいな役立ちがあるはずだと思われるのだが、おそらくそういった答えは期待されていないし、あまりそういった答えを返す人もいない。

ふつうの人はおそらく、「何の役に立つんですか」と質問をしたら、遺伝子について研究したおかげで不老不死の薬ができましたとか、宇宙の研究をしたら宇宙船ができましたとか、そういう答えを期待しているのだと思われる。

また社会科学であれば、政策決定にかかわるかどうかが重要である。「今すぐ通貨量を2倍にすれば恒久的な世界平和が訪れます」みたいな研究であれば、多分胸をはって答えられるんだろう。これもまた制度の設計にかかわるという意味で、広い意味での社会工学に含まれると言ってもよいかもしれない。


そして大半の人文系研究者が答えにつまる理由もわかる気はする。

なぜかと言えば、人文系の人の大半は歴史や過去の文献の研究をしているからだ。わたしの知るかぎり、歴史を使った工学というものはまだ存在しないので、だからこそ人文系研究者に「何の役に立つんですか」は禁句なのであろう。


しかし考えようによっては、人文系研究の方が役に立つんじゃないかと思うんだ。

大半の科学的な科学の研究というのは、ふつうの人が学んで役に立つものではない。なぜならば、世のなかの大半の人はエンジニアでも研究者でも技術者でもないからだ。そんな人にいきなり科学的な方法論を教えてもほとんど何の役にも立たない。いや、勉強するのは楽しいし、本人が楽しめればそれでよいとわたしは思うんだが、使いどころが無いんじゃないかと思うんだ。

それよりは歴史的な事例や知識をたくさん仕入れた方がよっぽどものを考える助けになるのではないか。

たとえば経営。ふつうの経営者にとっては、数理的な経営学の理論をいきなり学ぶよりは、経営史や現代史の知識を身につける方がよほどためになるんじゃないかと思う。

(もちろん実務にかかわることを勉強した方がさらにもっと役に立つわけだが、それは置いておいて)。


大体において、科学的な理論というものは、実はそれほど「知識」を重んじない。たとえばミクロ経済学やマクロ経済学をいくら勉強しても、経済史の知識はほとんど手に入らない。なぜならば科学的な理論は、個別的な事情にかかわらず成り立つような法則の発見を目指しがちであり、個別的な事例については何とも教えてくれないからだ。その点で知識を身につけることからは離れていくように思う。

しかし、ふつうの人にとって、役に立つのは理論を身につけることじゃなくて、知識を蓄えることではないかという気がした。

無論本当に役に立つのは、知識でも理論でもなくて、抽象的で曖昧でオカルティックな響きなのであまり好きな言い方ではないが、考え方のセンスのようなものであったりするわけだが、知識を蓄えることの方がセンスを身につける助けになるのかもしれないと思った。

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