■ アイデア
少し前に「なぜxxxなのか」という疑問形のタイトルを冠した新書が流行った。最近は、否定命令形「xxxするな!」や「xxx力」というものが多い(もはや下火かもしれないが)。
次のバリエーションとして、「なぜxxxなのか」という疑問形の変形なのだが、誰も疑問に思ってないのに勝手に断定するというものが流行ればよいと思った。
例.
- 「さおだけ屋はなぜ永遠の繁栄を約束されているのか」
- 「仕事ができる人はなぜ服を着ないのか」
- 「若者はなぜ3年でセミの幼虫になるのか」
■ 感想『崖の上のポニョ』
ポニョ見ました。とりあえず「変な話だなあ」というのが第一印象。
ひとまず、わたしは宮崎駿の絵でクラゲが舞っているところを観られればそれで満足なので開始5分でもう元は取れた感じ。妄想を膨らませるとどうも宮崎駿もそう思っている節があって、
「おれのアニメーションで宮崎駿的な世界観とスペクタクルとファンタジーとハッピーエンドを観せればそれでいいんだろ? 映画の7割の部分まではそれでつくるよ。興業的にもそれで十分成功するだろ?」
「だが、そこから先は好きにやらせてもらう」
などと考えていそうだ。
基本的な筋は人魚姫で、海の世界で魔法でファンタジーで、ちょっとリベラルな家庭がでてきて、みんな幸せになりましたというストーリーなので、まったくもって難しい話ではないんだが、はしばしで、すっきりしないもやもやとしたものを感じる。
たとえば、「ラピュタ」とか「トトロ」って構成がすっきりしていて、まっすぐハッピーエンドに向かうシンプルな話じゃないか。観客が納得するお話と演出を提示するという仕事をほぼ完璧にこなしていると言ってもいいと思う。
でも「もののけ姫」以降の宮崎駿ってなんだかすっきりしない。構成がおかしかったり、演出がおかしかったり。筋が通っていない部分が混ざっている。
ずっと「これってなんなのかなー老いたのかなー」と思っていたのだが、今回のこれで、「わざとなのかー」という確信が深まったかもしれない。
たとえば、「崖の上のポニョ」でも、途中で「このままでは世界が滅びてしまうー」っていう展開になるんだけど、その部分の描写が完全におかしい。だって世界が滅ぶ危機だって言ってるんだけど、誰も慌ててない。本来の話の筋からすれば、「すごい危機を魔法と勇気で解決する」みたいな描写になるはずなのに、そうしない。
街が洪水で海にのまれてるのに、出てくる人はみんなボートに乗って楽しそうなんだ。子供連れの若い夫婦が船に乗っている平和な光景が描かれていて、「これ死んだ人?」って一瞬思うんだけど、そういうわけでもないらしい。あと街の人が集団で大漁旗をいっぱいつけた船を漕いで「わっせわっせ」って言ってて、なぜかそこだけ夢の中みたいな描写になる。
だってふつう、「世界の危機だ!」っていう場面で、赤子を抱いた若い夫婦が平和にボート乗っている場面は出さないよなあ。宮崎駿がそれを理解していないとも思えないので、わたしのなかでは「たぶんこれはわざとやっているんだろう」という結論に達した。なんでそんなことがしたいのかはよくわからないが。
でも考えてみると、これが宮崎駿じゃなくて、諸星大二郎とかだったら、「このシュールな演出! さすが諸星大二郎!」と思うかもしれない。だからひょっとすると宮崎駿のイメージに捕われずに観ると、「これが彼のやりたかったことで、彼はこれができて満足」ということなのかもしれないと思った。
でも諸星大二郎の漫画に、宮崎駿的なファンタジーやメルヘンやハッピーエンドが出てきたりはしないじゃないか。それが出てくる一方で、何やらシュールな演出が混ざっているので、すごく変な感じがする。6、7割はふつうに宮崎駿のエンターテイメントなんだけど、残りの3、4割の部分に変な演出や筋の通らない説明が混ざっている感じ。
あと個人的には、ポニョのお父さん(フジモトさん)がよかった。ポニョのお父さんは悪い魔法使いなんだが、「かっこいい変態」という印象。
あまり説明されていないが、どうも自分で遺伝子を改造して人間をやめたみたいな感じらしい。カンブリア紀だかデボン紀の海を取り戻すために研究をつづけていて、海の時代が回復した後に生きる新しい人類を造り出すために、ポニョやその兄妹をつくっているようだ。「チョコレート工場のひみつ」の工場長などと同種のタイプらしく、「人間はいまわしい!」みたいな香ばしい発言が多く、なかなかの好人物だった。
「崖の上のポニョ」はshimと一緒に観たのだが、見終わったあとしばらくこの「デボン紀の海」が流行っていて、「フジモトさんは目標に向って行動していてえらいなあ」とか「きみも自分なりの『デボン紀の海』をみつけなきゃいかんよ」などと言っていた。
■ 学習
通勤電車のなかでは数学の教科書を読むことにしているわたしです。教科書にペンをはさんで余白で演習問題を解くことにすれば、意外と計算問題も解ける。満員電車のなかで演習を解いているとはためには変な感じだが、随分慣れてきた。
あまり線形代数がわかった気はしないが、この本ももうすぐ終わる。
どうもこれくらいのレベルだと、「意味はわからんがとりあえず対角化の方法を覚える」みたいな感じで、何に使うのかよくわからないまま方法だけ覚えているので、なかなか腑に落ちない。たぶんもう少し深くやったり繰り返しやったりしないとモノにはならなさそうだ。
それはそれとして、次の通勤数学本を何にするか考えねばならない。
今考えている候補は、
- 情報論理
- クワインの『論理学の方法』
- 微積
- 圏論
- 線形代数をもう1冊
のどれか。
微積は正直あまり気がのらないが、後回しにするともっとやらなさそうなので早い内にやっておくとよい気もする。
個人的には離散系をもっとやりたいと思っているので、モチベーションが高い内に論理系をやるのもよいように思う。圏論には関心はあるが、本を新しく買わないといけないし、もっと後でもいいかなと思っている。
線形代数をもう一冊というのも後回しでよさそうなので、今のところ堅いのは、論理学か微積分だなあ。
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ポニョ、おれも公開初日に観ました。思ったことのメモ。
まず目につくのは、自然から錬金術的に抽出された〈生命力=魔法〉による変容。
フジモトがやってるのは歴史を自然化することで、退行ではなく退化。分節をシンプル化する方向の分化。これによってポニョや妹たちは半魚人という形態でバベル以前の連続性を獲得するようになる。
魔法は、魚と人間、自然と歴史の二極の分化を前提としたうえで、それがおのれの杖の下では相互に変換可能であることを知っている。だから人間という二重分節→デボン紀の魚の群れ(シンプルで豊かな生命の海)という操作が可能になる。
これはその操作の条件に対立する生命力と純愛の物語だから、ポニョは人間に恋をする。
波に乗り手足を獲得して鬼神のごとく宗介に迫ったあとの家での食事のシーンは完全に文化的で人間的なもので、内因的なものと外因的なものとの共鳴の細部をうまく表現していると思う。お茶にはちみつ?を入れ、チキンラーメンに具を入れるリサ…。
一帯(世界?)が水に沈んだ後、子どもたちは、船のおもちゃを魔法で大きくして実際に海を渡る。ミニチュアール→実用化。
おもちゃ(ミニチュア)とは、かつて真正な時間と用途に供せられる何かであったものの影、そして今はそうではないもの、というシミュラクルの時間性においてとらえられ、痕跡の指示記号でありながらそれ自身としての物質性も持つから、その二重のステータスにおいて、常識的なクロノスの時空間に対立する遊戯の時間性や異化作用を伴っている。
歴史そのものの時間性は、常識的なクロノスの時空間の内部にではなくて、〈自然/歴史〉の共鳴のシステムにこそあるから、おもちゃはその二重の侵犯の表現になってる。
ここでそれがまた実用化されるそれ自身にとって真正な時空間を獲得するわけだから、魔法の力能が前提としていた自然/歴史の分化とその変換可能性という条件も、魔法の行使自体によって壊乱させられる。イマジネールな現実こそが世界なのであって、〈関係〉という全体性においては魔法の前提力は意味をなさない。
だから「変な」時空間が立ち現れて、人々は終焉を意に介さないようだったり、お祭りじみた儀礼や遊戯に興じていたりする。世界の終わりとは、生命力の氾濫によってもたらされたこの時空間の壊乱状態に他ならない。
ところで宗介はこの二極の分化を知らない。知らないから、くちづけは、魚のポニョと人間のポニョとを区別する魔法の前提力に絡め取られることなく、その同一であるものにじかにふれる。そこで魔法は打ち破られる。
もちろん、あらゆる魔法の掟がそうであるように、ポニョは、つなぐ手と歩く足を獲得することで、魔法を失わなければならない。自然を意志する魔法は、その意志自体の根拠を打ち破られ、歴史性そのもののあたらしい表現となる。それは車椅子の老人たちが歩けるようになる日常の世界、〈関係〉の総体としての現実だ。
危機とそれを乗り越える意志の弁証法の物語(結局は冒険を経て初発の地点に回帰するような)ではなくて、生命力と純愛のモナド的な直接性が創造していくイマジネールな〈関係〉、内在的な生の共可能的世界が描かれているんじゃないか。
』 (2008/07/21 7:34)>「xxx力」というものが多い
柳田國男の論文に「妹の力」というのがあって、
』 (2008/07/21 22:10)その先見の明に「さすが」と思いました。
いいなー、私もポニョはやくみたいなー!!
』 (2008/07/22 5:05)ところで、ペネロピ見たよ。
http://www.penelopethemovie.com/
魔法が解けた後の部分は蛇足だと思ったけど、ペネロピがかわいいのと、ペネロピの家が素敵で良かった。
おお、コメント欄がなんかにぎやかだなあ。
「妹の力」はいろんな意味ですごいが、今風のタイトルにするなら「妹力」じゃないか。
』 (2008/07/22 21:42)個人的には、「針の上で天使は何人踊れるか」(中世哲学の無益な問いの例としてあげられるもの)が、意外に新書のタイトルっぽいと思いました。
fursNB
』 (2009/07/14 10:30)