数日前に以下の記事を掲載したつもりだったが、掲載されていなかった。
■ 最近
土日になると、「会社に行きたいなあ。早く月曜日がこないかなあ」と思ったりしているので、これは会社員として理想的ではないか、と思った。
でもこれにはちゃんと理由があって、同人誌をまたつくろうとしているのだが、自然言語で文章を書くのがいやで、逃避して「自然言語やだ。プログラムが書きたいなあ」と現実逃避のまっさいちゅうであり(無駄に正規表現インタープリターをつくったりしているのもその一環といえよう)、会社に行けばプログラムが書けるとわかっているので、そう思ったのだった。
このように、あらためて自分の状況を書くことで「逃げちゃダメだ」という気持ちを新たにした。
■ 読書
田中 ロミオ (著), 山崎 透 (イラスト)
風邪で寝てるあいだにようやっと3まで読んだ。
風評や雰囲気や諸々の直観からして「おもしろいんだろうなあ」と思っていたが、やっぱりおもしろかった。
竹本泉みたいというのは誰でも思うだろうが、竹本泉よりはこっちの方がSF色が強いかも。個人的には「ドラえもん」を思いだした。なぜ「ドラえもん」かというと、2巻の2話のタイムスリップの話(「ようせいさんのじかんかつようじゅつ」)が「ドラえもん」だからなんだけど (ほら、あの5分後のドラえもんとか10分後のドラえもんを呼んできて、宿題を手伝わせる話)。
おそらくほとんどの読者が追いていかれるだろう複雑さだが、このタイムスリップネタは好きだった。
あと2巻の1話の『ぽっぺん先生と帰らずの沼 (単行本)』みたいな話もすごくよかった。今のところ外れなしで全エピソードおもしろい。
どっかで、近い雰囲気と紹介されていた↓このシリーズもいつか読もうと思った。
あと、ゼロの使い魔も読んだ(今3巻の途中)。
結構おもしろかった。ヘキサゴン。
篠房 六郎 (著)
さっき読んだ。
「これはきっと自分が好きなものだろう」という直観が働くことってあるじゃないか。
世の中におもしろい漫画や小説なんて腐るほどあるんだけど、おもしろいだけじゃなくて、そんなにすごい作品じゃなくても自分にとってのツボを強く刺激するような作品があると思うんだ。そして、そういう作品って、風評とか語られ方を見ているだけで、「あ、これはきっとおれが読むべき作品」という勘がはたらくことがある。
『人類は衰退しました』もそうだったんだけど、この漫画もそうだったので、買って読んでみた。あたりだった。
↓twitterから再掲。
- おもしろすぎて続きが読めない本ってあるよな。
- 読書という行為には一定の平静が必要であるにもかかわらず、ある種の本はおもしろすぎるがゆえに興奮をかきたて、読書をつづけられなくなってしまう。
- わたしはこれを「おもしろい本のパラドクス」と呼ぶ。
- 読みつがれる本には一定程度のおもしろくなさが必要なのだろうか。
- 何が言いたいかというと、『百舌谷さん逆上する』がおもしろすぎて、なかなかつづきが読めない。
(ちなみに、見沢知廉『天皇ごっこ』などもおもしろすぎて読めなかった。百舌谷さんはなんとか1巻を読みおえたが、こっちはいまだに最後まで読んだことがない)。
なんだろう。Amazonのレビューなどでも、「ぜんぶ1人の人が喋ってるみたい」と書いている人がいたが、それはなんとなくわかるな。一応主要キャラクターはぜんぶ小学生の設定なのだが、ときどき素の本音みたいなものがでるのがおもしろい。
百舌谷さんは一応ツンデレという設定になっているのだが、ツンデレの症状が単に病気なので、あまりツンデレじゃない。「ツンデレ」というか「メンヘル」の人みたいだ(ヤンデレ?)。
あんまりうまく説明できないが、↓こういう台詞などがいちいちツボに入ったりする。
「ありがとう樺島君 私ずっと誤解してた / 私絶対 樺島君にはいやらしい下心があるんだとばっかり思ってた / 自分がモテない ウスラデブの童貞でも 私みたいな独りぼっちの哀れな病気の女の子相手なら 優しくさえしてりゃ そのうち自分になびくだろうと小賢しい計算をしてるんじゃないかって」
確かにそういう男とか、薄々それを知りながらかまわれるのを良しとする病気の子とかいるような気がするが、小学生はそんなこと考えないだろ、と思ったり。
痛々しさと諧謔と自虐と、その辺のいろいろが小学生のコミカルな話に昇華されて、適度に毒を抜かれているあたりがポイントなのだろうと思う。
コメント(1)
コメントする
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 雑記2008年7月6日(日)2
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.at-akada.org/mt/mt-tb.cgi/933




KZDpYi
』 (2009/07/14 13:54)