田中 ロミオ (著), mebae (イラスト)
小学館、2008
■ 最初に
こんなタイトルだしサブタイトルだしあんな序章だし、こんな表紙だしあんな帯なので、この小説がどんな話か知る前に「あー学園でファンタジーで悪と戦ったりするラノベなのね」と読まない人がいるのではないかと思う。
なので、最初に謎を解いておきたい。
まずタイトルの
- AURA
は、作中では、「クラスの目立つ奴などから感じられる圧迫感(人間力)」という意味で使われている。
サブタイトルの
- 魔竜院光牙最後の闘い
というのは、主人公の妄想脳内設定である。序章も同じ。
ヒロインは魔女服を着ているが、これはヒロインの脳内設定に基づくコスプレである。帯には、ヒロインの不思議なセリフが書かれているが、これはヒロインの脳内設定である。
要するにこれは、ファンタジーな要素など一切ふくまない、厨二病 / 邪鬼眼妄想 / 脳内設定 / 戦士妄想をテーマにした小説なのである*。
■ 邪鬼眼について
邪鬼眼妄想については以下などを参照されたい。
中学の頃カッコいいと思って
怪我もして無いのに腕に包帯巻いて、突然腕を押さえて
「っぐわ!・・・くそ!・・・また暴れだしやがった・・・」とか言いながら息をを荒げて
「奴等がまた近づいて来たみたいだな・・・」なんて言ってた
クラスメイトに「何してんの?」と聞かれると
「っふ・・・・邪気眼(自分で作った設定で俺の持ってる第三の目)を持たぬ物にはわからんだろう・・・」
と言いながら人気の無いところに消えていく
テスト中、静まり返った教室の中で「うっ・・・こんな時にまで・・・しつこい奴等だ」
と言って教室飛び出した時のこと思い返すと死にたくなる
■ この小説
基本的には、過去を忘れて高校デビューした主人公が、邪鬼眼妄想まっただなかのヒロインに会い、クラスでの地位を下落させたり、イジメなどの問題に直面したり、でもいろいろあって乗り越えて、クラスでの権力闘争を戦い、ハッピーエンド、みたいな話である。
テーマはアレだが、とてもよくできた学園小説でいい話なので、邪鬼眼でグっとくる人などはぜひ読むとよいと思った。
あと完全にあっち側の世界にいっちゃってるヒロインがちゃんと魅力的に描かれているのはすごいなあと思った。
痛さとボーイミーツガールとハッピーエンドという意味で、私が思い出したのは
などでした。
■ 邪鬼眼とラノベ
ところで「不思議な物事があってほしい」「自分は選ばれた特別な存在であってほしい」「不思議な能力を行使したい」などなどという思いは邪鬼眼妄想の種であり、ライトノベルを読む主たる動機の1つであると思う。なのでしばしばライトノベルというメディア自体邪鬼眼妄想のすくつであるわけだが。
この「不思議な物事があってほしい」という思い自体を主軸に据えたラノベと言えば、『涼宮ハルヒの憂鬱』である。しかし今にして思えばハルヒ自体は、この手の妄執のアクと痛さを脱色することに成功していたと思う。
たぶんこの「痛さ抜き」の過程では、「宇宙人、未来人」という言い方の素朴さが重要なんだろう。
「普通の人間に興味はありません。この中に、この宇宙を支配する情報統合思念体によってつくられた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェイスがいたら今すぐわたしのところに来なさい」とか
「《鏡面界》最強の剣士魔竜院光牙がいたら今すぐわたしのところに来なさい」
だとだいぶ救いがたい感じがする*。
そういった意味では、AURAのヒロインの妄想はそれなりに考えられているのだが、SFなのかオカルトなのかよくわからないあたりがよくないのではないかと私には思われた(少なくとも主人公の妄想設定よりはよくできている。これは中学生と高校生の差かもしれないが)。むしろこのヒロインの場合、設定の痛さよりは、それを本気で日常生活にとりいれようとする精神面のヤバさの方がきわだっている気もしないでもない。
一方AURAの場合、むしろ徹底してこの痛さの部分に向き合おうとしている点で、裏ハルヒ的な位置付けになるかと思った。
というか、ヒロインの脳内設定はもろにハルヒ(長門)であるわけだが。
↓そういった意味で、このスレなどは非常にAURAに近いのではないかと思う。
■ 邪鬼眼と私
人文系の大学院には意外に邪鬼眼の人が多いのである。
わたしが院生時代に出席したあるゼミでは、
「ボードリヤールで言うと、透明な悪に犯された状態ですね(自己紹介で)」
「すべての意味を剥奪されるっていうのはそんな甘いものじゃないんじゃないかなあ」
などの過激な発言が多く、笑うべきところだと思わる状況なのに誰も笑わない (真面目に聞いてるやつすらいる) という状況に頭を抱えた。
このように、意外と大人になっても抜けないというところに邪鬼眼妄想の難しさがある。
というより、「不思議な物事が起ってほしい」「特別な力を行使したい」という思い自体は下手をすれば一生残存するものなので、なんとかそれと折り合いをつけて生きるしかないのではないかと思います。
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