同人誌の新作をつくろうと思っており、mmwwと「そもそもわれわれは何をしたいのか」というブレストをした。
電子化しないとすぐ忘れるのでここに記す。
- 文学フリマ申し込みにあたり、PR文を書きたい
- 前回のPR文は、
- 「何者なのか」
- 「何がしたいのか」
- がまるでわからなかった。
- 文章が悪いというか、そもそもサークルに「何がしたいのか」というコンセプトがない。
- 単に友達を集めただけなので、コンセプトがないのは仕方ないとも言えるが、何もないわけではないだろうし、今後のために明確化してもいいだろう。
- 改めて何がしたいのか振りかえってみよう
- 忍者小説を出していたので、よく「忍者好きなんですか」と聞かれたが、それは何か違う。
- どちらかと言えば忍者は好きだが、別に忍者小説をずっと書きたいわけではなく、たまたま選んだテーマだっただけ。
- 「手垢のついたモチーフを使いたい」という嗜好があって、その1つとして忍者がでてきたという感じ
- 改めて基本的な目的を振り返ると「小説」「よい小説」ということになるだろう。「よい」の中身が何であるかは別にして。
- (mmwwから「革命」という意見が出たが、わたしはちがうと思う)
- 理想の読者は?
- わたし(赤田)としては、
- 特に何の先入観もなくやってきて手にとり、
- 「変な小説だな」「おもしろいな」と思ってもらえること
- 基本的な対象は小説が好きな人ではあるんだろうと思う
- やりたいことではないのは何か?
- 純文学ではない。
- 文壇に乗り出したいわけではない。
- 特定のジャンル小説にこだわりがあるわけではない。
- SFがやりたいとかミステリがやりたいとか、そのつどそのつど手を出すことはあるが、1つのジャンルに強いこだわりがあるわけではない。
- 二次創作とかモロにオタク文化なことがしたいわけではない。
- 同時代性は特に出そうと思っていない。ゼロ年代はどうでもいい(カイジは好きだが)。
- 大体最近の批評とか文学などは、ごくごく狭い同時代性にとらわれすぎだと思う(わたし(赤田)の意見としては)。
- もっと100年とか1000年のスパンで考えたい。
- 100年前からあるようなものが好きだ。
- 大事にしたいものは何か?
- mmww曰く「教養」
- 「教養」という言葉がふさわしいかどうかは別にして、
- 古くからあるもの
- 陳腐なもの
- 紋切り型
- などに対する愛はある
- といって、陳腐なものそのものがしたいわけでもないが、手垢のついたモチーフを使いたいという意志はある
- (ただしわたし(赤田)はどっちかというと、陳腐なことをそのままやるのでもよいと思っている)。
- あとエンターテインメント志向ではあるかもしれない
- でも別に本気でエンターテインメントがしたいわけでもない
- 先鋭的だったり何かしら新しいことをめざしたいという気持ちもないではない
- 「新しいエンターテインメント」っていうとwiiとかだよね
- 別にwiiみたいなことがしたいわけではない
- わたし(赤田)としては、「変なことがしたい」という意志はある
- 「変」とか「新しい」というのは、何を標準とするかで変わってくる
- あと100年前からあるようなものを使いたい(古典主義)
- 新しいものというのは100年前からあるもののつづきだと思う
- 100年前からあるものを使わないと新しいものをつくれないとも思う。
- それはちょっと一般論すぎる
- ただ紋切り型に対する愛は、意味も何もなく、「ただ愛している」という部分もある。
- しかし古典のルールに従いたいというよりは「使いたい」の方に近い
- そもそも紋切り型って何か
- 神話?
- 神話よりは、大衆文芸とか。
- 具体的には「ゾンビ」とか。
- そもそも紋切り型に目をむけることで何がしたいのか?
- 小説とかお話が好きだからという部分はある
- でもあまりブッキッシュになるのは違うのでは。
- あんまりボルヘスみたいな方向に行くのはどうかなあ。
- お話自体に着目するよりは、お話をつくりたい。
- わたし(赤田)としてはボルヘスは好きだが、そもそもこれまでそういうことをしてきたかというとしてきてないし、確かにそれをやりたいわけではないのは賛成
- ところで小説は何にむいているのか
- 小説の小説ならではの部分とは何か
- mmww曰く「しくみを説明すること」
- しくみって?
- ビジネスとか
- そういえば経済小説とか経営理論の啓蒙小説っていっぱいあるよね。
- 馬鹿にされがちではあるが、啓蒙は重要だと思っている(わたし(赤田)は)。
- 空間的ものは苦手
- とりわけアクションとか殺陣になると、漫画や映画には勝てない
- 行動の理由を説明したりするのが得意ではないか
- 心情の描写とか
- わたし(赤田)としては小説のよいところは「不純なところ」だと思う。
- 小説には何でもつめこめる
- たとえば蘊蓄を延々と語ってもいい
- 無駄な部分がたくさんあってもいい
- 音楽や詩の名作というのは、無駄な部分を削ぎおとした凝縮されたもの
- 一方、小説の名作は、無駄がたくさんあって物量的にも大きなもの
- たとえば『ドンキホーテ』などを想像されたい
- 過剰さであり量が多い
- 過剰さは重要だなあと思う
- 隙だらけなものがいいと思う
- 「お話より」「文章より」でわけると、いわゆる文学は「文章より」のものを評価しがち
- 戦後文学自体がそういう方向に向っていった部分はあると思う
- 密度の濃いものであったり、文体などを評価しがち
- 世の中にそういうものがあってもかまわないが、われわれがしたいのはそういうことではないと思う
- もっと「おもしろいお話」とか「魅力的なキャラクター」をつくりたい
- 「話の筋論争」においては芥川ではなく谷崎につく。芥川がストーリーテラーでないとも思わないが。
- わたし(赤田)の個人的な趣味になるかもしれないが、わたしが特に「おもしろい」とか「こんなことがしたい」と思うのは、
- 頭を使った作品
- アイデアを使った作品
- 工夫とかしかけとか、悪い言葉で言えば「作為」のあるものの方が好き
- 「作為」とか「ねらっている感じ」というのは、見ようによっては、自然で内発的な表現ではないという言われ方もするが、個人的にはそっちの方が好きだ。
- この場では言わなかったが、個人的に「アイデア志向」ということで理想とするのは藤子・F・不二雄とか吉田戦車とか、作家で言うとG.K.チェスタトンなどである。
- なんかもっと「素」で「自然体」なものは、憧れはするが、自分でしたいとは思わないなあ
- 叙述トリックとか、読者の期待を裏切ったりとか、読者の期待とたわむれるようなものは好きだ(作為的だから)
- 要するに、ゲーム的なものが好きだ
- どんなゲームが好きなのか
- ゲームそのものはあまり好きじゃないけど、パズルは好き
ブレストを機に、以下サークルの方針ではなく、ここ数年の自分の嗜好を振り返ると「普通の人のための」「積み重ねられたもの」が好きだなあと思う。
J.L.オースティンは、哲学史のことを「独創の不毛な反復」と非難し、哲学を「蓄積の効く科学」にしようとしたという話を聞いたことがある。
哲学にかぎらず、小説でも何でもそういうものであるべきだとわたしは思う。もっと「特別でない普通の営み」になってほしいと思う。
普通の人が、過去の蓄積をもとに、少しずつ新しい成果を残せるようになること。チームで作業ができること。オープンに議論ができること。わたしにとっての理想はそういう状態だ。
天才がやってきて、すべてぶちこわして新しいことをしました、というのはあまり好きではない*。
本当に重要な仕事というのは、100年後のために、100年前からあるものに何かを付け加え、数年数十年の後に乗り越えられるものだと思う。
原理主義が好きなのも同じ理由だ。スポーツマンシップだと思うんだ。ゲームで負けたからと言って、命を取られるわけでもないし、尊厳が傷つくわけでもない。変に「みんな正しいみんな正しい」みたいなことは言わず、全力でゲームに取り組み、全力で相手を叩きつぶそうとして、勝ったり負けたりして、終わったら握手でもすればいいじゃないかと思う。
もちろん、世の中そんなゲームばかりなわけじゃないのは知っているけれど、わたしにとっての理想はそういう状態であるかと思う。
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いいことを言っていると思う。
完全に主観だが。
』 (2008/07/27 23:24)私も短歌を書きたいので、
テーマ決まったら教えてくれ。
むむむ、実はすでに決まっていて、宇宙を舞台にした連作短編になる予定なんだ。
』 (2008/07/27 23:30)短歌かー。載せるなら、特別寄稿という枠で載せてもいいかもしれん。
まあ興味があるなら、資料を送ったり説明したりするよ。