涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)


涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)


涼宮ハルヒの退屈 (角川スニーカー文庫)


涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)


涼宮ハルヒの暴走 (角川スニーカー文庫)


涼宮ハルヒの憤慨 (角川スニーカー文庫)


涼宮ハルヒの分裂 (角川スニーカー文庫 168-9)


このあいだハルヒの読んでなかった巻をまとめ読みした。

ようやく最新刊に追いついたわけだが、こんな状態でみんな放置されているのか、大変だなーと思った。



地味さについて

とりあえず長門が全面的によかったのだが、それはもうただの信仰告白にしかならないので、後に回すとして。

いろいろあってハルヒは、一時代を画したオタク系コンテンツとしてもうずいぶん有名になったわけだが、改めて考えると本当にぜんぜんメジャー感の無い作品だなあと思う。


「どうして世界にはファンタジーが無いのか。どうして現実には宇宙人も未来人も超能力者もいないのか」というメタライトノベル的な設定が主軸にあって。イーガン『万物理論』で言うところの「基石」であるヒロインがいて(思いが世界につながっている人)。そんで毎回タイムワープとか時間がループしたりする話だ。

ヒロインがたくさん出てきて、毎回コスプレさせられたりするのはそれなりにラノベっぽいなあと思うのだが、この人の文章って「インテリががんばってラノベを書いている」っていう感じがする文章だなあといつも思う。何だろう。わたしのイメージでは谷川流は早稲田の文系学部を出てそうな気がするんだが(本当のところは知らない)、長門が読んでる本が『ゲーデル、エッシャー、バッハ―』だったりする、そしてそういう情報を地の文でほのめかしたりする、微妙な人文系インテリ的自意識が*。

* わたしがはっきり元ネタがわかったのは『ゲーデル、エッシャー、バッハ』くらい。あと、文庫だけど厚いというのはハヤカワさんでもネタにされていた『啓示空間』かなあとか、分裂の最後で長門が読んでた「機械が戦争しつづける話」はSFの名作だった気がするけど何だっけ?みたいな。


SFファンがよく読んでいる(レーベル的には)ラノベの『ある日、爆弾がおちてきて』という「時間」をテーマにした作品集があるんだけど、そしてこれを読んでいるのはSFが好きな人とちょっととうの入ったラノベオタだけで、悪く言えば地味な本ではあるなあと思うんだけど、ハルヒも実際のところそれとあんまり変わらないよなあと思う。

わたしがプロデューサーだったならばあらすじを聞いた段階で、「それはおもしろいけど一般の読者には受けないでしょうねえ」とコメントしそうだ。


わたしは『人類は衰退しました』がどれくらい売れているのか知らないが、中高生はこれ読むのか?読んでおもしろいのか?(いや、ちょっと早熟で読書好きの子は読むと思うが、そういうのじゃなくて、もっと普通の電撃文庫の読者とかが)と思うので批評的に成功して、ブログなどで取り上げられたとしてもあんまり売れてなさそうな印象があるんだが、ハルヒだってそういうポジションの作品であったとしてもおかしくはないと思う(田中ロミオの方が構成とか文章とかが洗練された印象があるので、最初からある程度年上の人をターゲットに選んでそうだけど)。

メインターゲットの中高生じゃなくて、ちょっと年の入った読書好きのオタクとSFファンが好んでそれで終わりみたいな作品になりそうなんだけど、そうならなかったのは不思議だなあと。

しかしよく考えるとガンダムでもエヴァンゲリオンでも同じことなのでアレだけど(エヴァンゲリオンのどこにメジャー感があるのかという話であるが)、そういったものじゃなくて、こういうものが人気になるのはすごく現代っぽいかなあという気がしなくもなくもない。時間とタイムパラドックスの話だけだと、メジャー感が無く「地味ですねえ」という印象になりそうだけど、メタ構造と「主観と世界」みたいな方向に行くと「お、なんか受けそうですね」という気がなぜかわたしはするんだが、それはわりと不思議な感じだ。

あとはまあキャラクターかなあ。ハルヒ人気って実際には京都アニメーションの演出とか伊藤のいぢの絵が受けた部分も多いと思うんだけど、あれは結局それぞれのキャラクターが魅力的につくられていて、その功徳ということなんだろう。



パラレルワールドの話

あとハルヒについては不思議な部分があって、この小説ってよくパラレルワールドの話をするんだけど、話をほのめかすだけほのめかして、本編には絡めないんだよね。

映画つくる話で、キョンが「自分もまたフィクションみたいな存在であるかもしれないわけだが、それがフィクションをつくる意味とは? 自分もまた平等に存在するあらゆる可能性のなかの1点なのかもしれない」みたいな自問自答をはじめて「おっ」と思ったらそれだけで終わったり、館に閉じ込められる話で、古泉が「われわれは本体からコピーされた可能性の一端なのかもしれない」と言い出して、「おおおっ」と思ったらそれだけで終わったりとか。

そんだけほのめかして、話に絡めないとかおかしくね?と思う。


そんで今回分裂の最後でようやく世界が分岐しはじめた、と思ったら続編が出なくなっちゃうわけじゃないか。

あーこれはやっぱり描けないのかなあ。パラレルワールドの話はなぜかこの作者のなかで鬼門なのかなあとか思ったりした。

個人的には、『順列都市』みたいに「あらゆる可能性が平等に存在する!」みたいな大風呂敷を広げてほしいところだけど、それやっちゃうとダメなのかもしれないなあ。あらゆる可能性の1つだと思うとキャラクターに対する愛着などと矛盾するし、谷川流はもっと深くそれぞれのキャラクターに愛着があるのかなあとか、そういうことを思った。

東浩紀という人は、同時代的になんとなく流行っているオタクコンテンツの特徴に名前をつけて、ガッとアジテーションするコピーライター的な才能がある人だと思うけど、「データベース的消費」につづいて、「ゲーム的リアリズム」というのも、こういう「あらゆる可能性が並列に存在する! そんななかプレイヤーとしてのわたしの実存とは!?」みたいな、ある時代のある作品群の特徴をうまく捉えた表現であると思う。

まあアンドレ・ブルトンみたいな人だよねえ。イデオローグと思われているけど、実際はアジテータなんだと思うんだ。そう思って見直すと、よく人と仲違いしているのもブルトン的であるな。


わたしも昔は(というほど昔でもないが)、作品論などをちょっと書いてみて、「あ、おれひょっとして批評書けるかも」と思った瞬間などもあったのだが、結局エンジニアリング的な興味しか湧かなくて、「やっぱ向いていないかも」と思った。作品論はいまでも書いてみてもいいなあと思うけど。「これってどうやって動いているのかなあ」とか、そういう技法論的な部分にはすごく興味があるんだが、アジテーションは難しいし性格的にも合わないとは思う。いずれにしてももっとつきつめるまでやらないと意味がないし、そこを突き進むだけの体力が無いが今後はいろいろとがんばりたいと前向きに言っておこう。

しかし改めて考えると、それはわたしが社会学についていけなかった部分と一緒だな。「コミュニケーションの形式的なモデルつくって応用して自動翻訳機とか人工知能とか話し方教室とかつくればいいじゃん? なんでわざわざ世の中に物申さないといけなかったり、同時代の空気を読まないといけなかったり、己の暴力性とか社会を支える幻想とか素朴な前提とかそういうのをふりきって悟りを開け!みたいな話になんの?」と思ってしまう。あ、気がついたらハルヒと全然関係ない自分語り。



長門について

そこで改めて技法論的に長門について語る。

長門の描き方にはずるさがあって、長門はほとんど無反応、ノーリアクション、無口をつらぬいており、感情表現のために為す努力は「2ミリくらい頷く」とかだけなのだが、きちんとそこで何を考えているか、何を感じているかが読者(と主人公であるキョン)にはわかるような描き方になっており。結果として、「この子は感情表現が苦手だけど、違うんだ。おれにはわかる!わかるんだー!」という感慨をもよおされるような仕掛けになっていると思う。

「オタクがコンピュータの気持ちを理解できるのは、他人に理解されない孤独を知っているからだ」と山形浩生も言っていたが、そういった何かに訴えかける部分があるんだと思うんだ。素直に感情を表現できず、行動に表わせないその気持ち、わかるよ、わかるよ!とか、そういうアレだ。だからやっぱ「チューリングマシンの中の人」なんじゃないかと。

よく綾波レイと比較されるが、綾波と長門の大きな違いはそこだと思う。長門は、好きなものとやりたいことがあって、「こうしたい」という意志があって、あときちんと成長もするんだよね。綾波は無口でかつ何を考えているかわからないミステリアスさを中心に押し出しているが、長門は無口だけど「何を考えているかわかる」ということを中心に押し出している、と言ってもよい。


それはそれとして、わたしが何となく長門に抱いていた共感と好感が、崇敬の念に近づいたのはコンピューター研との対決の話であった。ゲームに本気で取り組むというのは素晴しいことであると思う。「長門、コンピューター、好きか?」という展開も感動した。行き場のないわらわらとした思いが湧き、「おれも長門のようなスーパーハカーを目指そう、そのためにはまずアセンブラだ、アセンブラを勉強するんだ!」と思って、アセンブラ入門的なサイトを探したりした。まだあんまり勉強できていないけど。久渚友にはあまり憧れないが長門のようなバイナリハカーにはなぜか憧れるなあ。

コメント(4)

# mikan3

>長門
私は昔、たしか犬が出てくる話だったと思うが、魂についてきょんと話しているくだりで
「それは禁則事項」
と長門が冗談を言うシーンが好きだ。ああ、冗談だよな、コレって。

私はakada氏に比べコンピュータへの思い入れがないが、しかし、ハルヒはやはり長門の(成長?)物語として読んでしまう。

(2008/08/24 19:52)
# at-akada

あー、誰かが長門の冗談について触れていたな、と思ったけど、mikan3氏だったか。あれは確かに、みくると長門の関係に思いを馳せるといろいろ感慨深いシーンであるな。


>長門の(成長?)物語
ハルヒは災厄を招くだけで、何が起っているか理解しておらず影が薄いし、みくるは微妙に役立たないので、どうしても長門の話になりがちなんだよね。
いや、わたしもハルヒは長門の成長物語だと思いますよ。

(2008/08/24 22:22)
# ぎをらむ

はじめまして。

>あーこれはやっぱり描けないのかなあ。パラレルワールドの話はなぜかこの作者のなかで鬼門なのかなあとか思ったりした。

うーん…ネタバレになってしまうので詳しくは書けませんが、「ハルヒ」を読んで言えることはあくまで「ハルヒ」の範疇のことであり、作家としての谷川流さんについて言及されるなら、他の谷川流さんの作品を読まれた後からでも遅くはないと思います。

(2008/08/26 0:09)
# at-akada

>作家としての谷川流さん
そりゃそうですね。
以前から「他のも読まなきゃなー」とは思っていたので読んでみます。

(2008/08/26 0:18)

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