「とても言葉では言い表わせない」について

「とても言葉では言い表わせない」などという表現について、よく「『とても言葉では言い表わせない』という言葉で言い表わしている(んだから矛盾している)じゃないか」という物言いがある。これは矛盾した表現なのだろうか、とわたしも思っていたのだが、最近ちょっと気が変って、そうじゃないんじゃないかと思った。

あんまりうまく説明できないが、「とても言葉では言い表わせない」という表現が、その他の表現と違う独自の意味を持っているならば、それをもって「とても言葉では言い表わせない」という状態なんだと考えてもいいんじゃないかと思った。


たとえば「青い」とか「白い」とか色を表わす述語がある。

それら通常の述語と、「とても言葉では言い表わせない色だ」という述語を比較し、後者の側に特別な性質があるならば、これは必ずしも矛盾した表現ではないんじゃないかと思う。

いずれにしても、「でも、『とても言葉では言い表せない』という言葉で表わしているじゃん」という突っ込みの余地はあるわけだが、そこは「これ以外の言葉では言い表せない」とか「通常の言葉では言い表せない」と微修正すれば解決する程度の問題なわけで。「とても言葉では言い表せない」がちゃんと独自の意味を持っていて、しかも「通常の言葉では言い表せない」などの微修正を施すことで見かけ上の矛盾がなくなり、恒常的にそれらの意味を伝えるために使われているのだとすれば、それは矛盾しておらず、そういう意味の表現だと考えていいと思うんだよ。

たとえば「きつねうどん」にきつねは入っていないわけだが、それを矛盾とは言わないように、「とても言葉では言い表せない」は「通常の言葉では言い表わせない」の省略表現だと考えてもよい気がする。


問題は「とても言葉では言い表せない」はどういう意味であるかということだ。

それがいまいちまだわからないので周りくどい書き方になってしまい申し訳ない。


1つ気がついたのだが、とりあえず「とても言葉では言い表せない」は二階の述語であるな。

「青い」「白い」は単にそういう色を持っているという意味だ。

「とても言葉では言い表わせない色だ」は、ある色を持っているのだが、その色というのが、言葉では言い表せない種類のものなのだという意味だ。

要するに「とても言葉では言い表せない」は性質を帰属させるだけではなく、その性質がどんな種類の性質であるかまで述べる表現である(性質の性質を述べる表現である)。


じゃあここで言う「とても言葉では言い表せない」が持っている「性質の性質」はいったいどんなものなのだろう。

それを考えよう、というのが問題の1つ。とりあえず眠いし特に結論はないのでこれは断念した。


もう1つ問題があって、「とても言葉では言い表せない」は人の側に属するのか、世界の側に属するのか。

単純に考えると人の側に属するように思える。つまり「とても言葉では言い表せない色」という色が存在するのではなく、「わたしにとってこれはとても言葉では言い表せない」と考えている人がいるだけのように思える。

(わたしは、ふつうの色、たとえば「黄色」は世界の側に属すると思う。もちろん、「色」というのは人間の視覚をベースにした概念なので、他の生物にとって黄色という色は感覚できないものであるわけだし、そもそも光が無ければ色も見えないわけだが、それでもそれは世界の側にあると考える。めんどうなので理由は説明しないが)。


しかし、何かまかりまちがって、「とても言葉では言い表せない色」というのが現に存在し、しかもわれわれの日常表現にある「とても言葉では言い表わせない色」という表現はそのような色のことを指していると論証できるかもしれない。

そこまでを示せたとすると、もはや誰にも「とても言葉では言い表せない」という表現について文句を言われる筋合いはない。理論武装は完璧と言えよう。



だんだん自分でも何を言っているのかよくわからなくなっているが、こんなことを考えたのは、「となりの801ちゃんアニメ化中止のショックはとても言葉では言い表せない」と思ったせいである。


  • となりの801ちゃんアニメ化中止のショックはとても言葉では言い表せない
  • =>「とても言葉では言い表せない」って変な表現だな。誰かに文句を言われたらどうしよう。
  • =>理論武装で正当化するんだ!

という順番ですね。


参考



わたしと日常語

ちなみにわたしはこういう風に日常語の意味をあれこれ考えるのが割と好きである。

改めて見直すと、何となく特定の学問をベースにしているような書き方だが、こんなことを研究する学問は存在しないのでこれはオリジナルな芸風であると思う(言語学とか言語哲学の一部に似ているし、そういったものにも影響を受けているのだが、客観的に見直すと何かがちがう。誤解の余地がないように断わっておくが、こういう芸風で日常語彙を分析する学問は存在しません。わたし理論です)。

オリジナルであっても、わたし以外の誰も喜ばない/おもしろくないのが難しいところだ。


ブログでは、自分の書いた過去記事を頻繁に紹介するとよいとどこかに書いてあったので以上の記事を探してきた。

「ので」の3つの用法については、われながら結構良いところに目をつけたと思う。ツリー状の図を書けば大分わかりやすくなったはずだが、無精して図を描かなかったので、3つの用法の違いがわかりにくくなっていると思う。


「個性について」はちょっと小難しい書き方になりすぎているのが気に入らないが、読むと「個性」という言葉の意味がますますわからなくなるところが気に入っている。というか今回読み返して思ったが、個性という語の意味は本当にむずかしい。

「個性を表現しなさい」と言われると、

「『個』であることをアピールしなさい」

「ハイ! 普遍ではありません! この通り手足がついた実体であり個でございます!」

みたいな応答を想像してしまうが、そうじゃないんだというところに個性の難しさがある。

コメント(2)

# 貴子

良い芸風をお持ちですね。
私も、矛盾した表現だとは思わないな。
私、はじめて外国人が、英語で「とても言葉では言い表せない」っていっているのを聞いたときに、なにか、言語の種類の壁を越えた、共通の言語感覚のようなものを感じたよ。

(2008/09/ 9 10:52)
# at-akada

あんまり褒められなさそうな記事なのに褒められた!
チョムスキー曰く「宇宙人が地球を見たら、この星には1つの言語しか存在しないと言うだろう」と。

(2008/09/ 9 23:30)

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