2008年10月
理系っぽい読書会と、文系っぽい読書会を1つずつやりたい。
ときどき理系の人で、「文系の人がすなる読書会というのはよくわからない」という人がいるけど、計算機系の人は結構読書会してるよね。
あとこのあいだ会社のCTOが「計算機っていうのは論理で論理っていうのは哲学だから、コンピューターは文系の学問」と言っていた。わたしもときどきそう思わないでもない。
ジェラルド・ジェイ サスマン (著), ジュリー サスマン (著), ハロルド エイブルソン (著), Gerald Jay Sussman (原著), Julie Sussman (原著), Harold Abelson (原著), 和田 英一 (翻訳)
ピアソンエデュケーション、第2版、2000
有名な本です。こっちはもう動き出しているので参加したい人はすぐ名乗り出てください。途中参加も可能。
今のところ、smoking186という博士の学生と、有名私立高校のふきだまりから生じた精気のない学部生3人組とわたしの同僚のスーパーハカーなどが参加を希望しています。
こっちの方はだいぶふえたのでぼちぼち締切ります。
あともう1つ哲学系の読書会をしたいなあと思っているのだけど、まだ何も決まっていない。
1人読書会をしたいという人を見つけたので、やるかも、というだけ。
個人的にはカルナップとか読みたい。とにかく分析哲学系で何か読みたいなあと思うんだけど、まだ何も決まってません。「やりたい」というだけです。誰か他にもやりたい人はいないのだろうか。
■ このブログとか
サイトの運営方針について最近よく考えている。考えているだけであまり実行しないけど。
最近哲学ネタを書いたりしているといろいろリアクションがあったりしてうれしいので、ここはもう読書ブログにしてしまおうかと思っている。
わたしはエンジニアでもあるので、何かプログラムを書いてものをつくって発表したりしたいなーとか、技術ネタをいろいろ書いたりしたいなーとも思うのだが、このブログにそれを混ぜていくのはもう止めようかなーと思わないでもない。思うに、技術ネタを期待する人は私の読んだ小説とか哲学書の感想は別にそんなに聞きたくないんじゃないかと思うんだ。まあ受け手がどう思うかは想像の範囲外だが、エンジニアとして人にあって、「わたしはエンジニアなのでエンジニアとして技術情報満載のブログを書いています」とこのブログを紹介するのはちょっとなーと思うし。いや、そもそも何も紹介しなくてもいいんだが、エンジニアとしてのプレゼン用のブログがあってもいいなと思う。カオスなのもいいんだけど、機能を考慮するとそろそろ分けたくなってきたなーと。
なので、技術系の話はそれはそれで分けて別に運営しようかと思う。あとこのサイト自体いろいろ恥かしくてアレなので、もっと機能を最小限にして、www.at-akada.orgは同人誌の紹介とブログを置くだけの場所にしようかと思う。ということをだいぶ前から考えていて、自己プレゼン用のサイトをつくるために本名でドメインを取ったりもしているのだが、まだ実行していないというだけ。
■ 小ネタ - iTunes
iTunesを目覚しに使いたいというのが長年の悲願でありいろいろとフリーソフトを試してきたのだが、最近iTunesを操作するスクリプトが意外に簡単に書けるのを知ってすべてが解決しつつある。
iTunes操作用COMオブジェクトの仕様が公開されていて、JScriptなどを使ってiTunesを操作するスクリプトを書ける。
Component Object Model - Wikipedia
あんまり日本語の情報がないのだが、以下からドキュメント(英語)を落せる。
http://developer.apple.com/sdk/itunescomsdk.html
とりあえず作った目覚し用スクリプト。
//morning.js
var itunes = WScript.CreateObject("iTunes.Application");
var pl = itunes.LibrarySource.Playlists.ItemByName('目覚め');
itunes.SoundVolume=100;
pl.PlayFirstTrack();
目覚めという名前のプレイリストを実行するだけ。
これをmorning.jsとかそんな名前で保存。ダブルクリックすると、プレイリストが再生される。あとは毎朝7:30に実行するように設定するだけ。
Windowsのタスク・スケジューラというものに登録すれば、毎朝定期実行させられる。タスク・スケジューラの登録は簡単だが、スクリーンショットなどを取って説明するのが面倒なので検索してください。
■ いろいろ
長らくはてブを非公開で使っていたがこのたび見せブクマをつくってみた。アンテナの使用をやめたので旧id(yoru_hikaru)を使う機会も少なくなってきたのでこちらに移行することにして、ついでに公開してみることにした。
はてブは、タグを増やしすぎないようにするのが難しいと思う。
自分でつくったなかでわりと気に入っているのは「傾聴」というタグで、「おもしろい意見だなー」とか「その発想はなかった」というのはぜんぶこのタグですむので使い勝手がよい。
http://b.hatena.ne.jp/at_akada/
ついでに使ってるWebサービスをさらしてみる。
蔵書をすべて登録しようと思っているのだが、最近さぼりがち。
Webサービス? 42問で止まっている。ユーザーじゃないとprofile見れないらしい、ごめんなさい。
旅行中にミラー-ラビン素数判定法が理解できた気がするので早くProbrem 42を解こうと思う。
Twitterですよ。
使ってない。
最近話題のウェブカレ。
アニソンしか聴いてないのでbonsensに小馬鹿にされた。
■ 京都行った
維新派の「「呼吸機械」《彼》と旅をする20世紀三部作 #2」を見ました。
- 維新派の舞台は、ストーリーはよく理解できなかった(前半少し寝てしまったせいもある)が、舞台装置が派手でおもしろかった。
- フランソワに行った。
- 京都では偶然友達の送別会が開かれており、そこで古い友人にまとめて会えたのでよかった。
- 旅行中は主に「どうすればモテるか」という話をしていた。以下のような意見が出た。
- 味噌をつくる男はモテる
- 有名になればモテる
- 旅の思い出(@清水寺)。写真これしかとってない。
谷川流(著), 蒼魚真青(著)
メディアワークス、2003
ハルヒおもしろいなーって言ってたら、人からたびたび学校を出よう!も読めと薦められるので、読んでる*。学校を出よう!1は「あー、ハルヒよりふつうにラノベっぽいかなー」というくらいでそれほどでもなかったのだけど、2はめちゃくちゃおもしろかった。1とは設定、世界観を共有してるみたいだけど、主人公その他も別なので、いきなり2から読んでも大丈夫だと思う。
■あらすじ
神田健一郎は気がついたら血のついたナイフを片手に3日前にタイムスリップしていて、しかもこの6日間の記憶が失われていた。部屋に帰ると、今度は3日前からタイムスリップしてきてしまったもう1人の自分に遭遇する。
2人(1人?)は同級生の女子を巻き込み、
- (1)なぜ自分たちは時間を移動したのか
- (2)かすかに記憶にある誘拐事件
の謎を解こうとする。
時間移動もののSFミステリですね。
■ ドラえもんだらけ
作中でも言及されているけれど、元ネタはドラえもんですね。1時間後、2時間後の未来のドラえもんをつれてきて宿題を手伝わせる話。「ドラえもんだらけ」(5巻収録)です。
『人類は衰退しました』でも、言及はされてませんでしたが、同様のネタは使われていました(「妖精さんの、じかんかつようじゅつ」)。わたしはドラえもんのこの回の話が大好きなので満足ですね。
■ 感想
ドラえもんという元ネタはあるものの、気がついたら血のついたナイフを片手に3日前にいたというところからはじまって、最後の謎解きまで含め、タイムスリップものとして非常によくできていたので、わくわくしながら読みました。この年の星雲賞がこれでもまったくおかしくない。むしろ何で受賞しなかったの?と思った。
これは次巻も大いに楽しみ。
デイヴィッド・ルイス (著), 吉満 昭宏 (翻訳)
勁草書房、2007
この本ずっとトイレに置いていて半年くらいかけて少しずつ読んでいたんだけど、少しずつ読んでたら途中でついていけなくなってしまった。それから少し戻って読んだりパラパラめくったりしてたんだけど、これ以上内容を把握できずにパラパラめくって読む行為に意味を見出せなくなってきたのでいったん感想を投げてけりをつける。世界の集合を使った理論の概要は何となくわかったので、また体力のあるときにでも挑戦してみることにする。
基本的には、数学的理論をつくって「反事実的条件法(もしもカンガルーに羽があれば、みたいな)」を分析する本です。
ルイス自身について言えば、『形而上学論文集』に入っていた「普遍者の理論のための新しい仕事」がわりと自分のなかでのターニングポイントになっていて、これを読んだおかげで、「形而上学おもしろいなー」と感じるようになった。今思い返してみても、これはかなり密度が高くおもしろい論文だったと思う。タイトルが『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事 』に似ているところも好きだ。
とりあえず「これは同意できるなー」と思った部分だけまとめておく。様相論理に詳しくなったところでまた読めばおもしろいかもしれない。
なるほどと思ったポイント1。哲学は常識を体系化する。
見解の蓄積を既に持ち合わせている者が哲学に携わる。これらの先立つ見解を大半において貶めるか擁護することが哲学の本文なのではなく、先立つ見解を整然とした体系へと広げていく仕方を見つけようとすることこそが哲学の本文なのである。
形而上学者による心の分析は、心についてのわれわれの見解を体系化する試みである。それは、
- (1)その分析が体系的であり、そして
- (2)その分析が、われわれが強固に持ち合わせている前哲学的な見解の蓄積を重んじる、という限りにおいて成功する。
p144
哲学の仕事は素朴な信念を懐疑したり批判したり擁護することではなく、素朴な常識的見解を体系化し理解することである。
断片的にしか把握されていない日常的信念を命題の形で表現することで、どの命題がどの命題を含意し、どの命題がどの命題と矛盾するかを理解できる。つまるところ哲学の仕事はわれわれの常識的世界観がどんな部品から成り、どんな風に組み立てられているかを理解することである。
変な考え方をぶつけて常識を解体し、それが「よいことだ」と考えるような傲慢で懐疑主義な「哲学」や「啓蒙」はあまり好きではないので、こういう考え方には好感を覚える。
デイヴィド・ルイス自身はぶっとんだ発想で有名な人だが、意外と基礎はしっかりしているというか、あくまでも一定のルールを守った上で挑発的な発想を提出している点は好きだ。
ポイント2。曖昧な概念だからといって形式化をあきらめる必要はない。
(ルイスの用いている「類似性」という概念が曖昧だという指摘について)
たとえ可能世界には我慢できるとしても、世界の比較可能な全体的類似性という概念は未だ絶望的に不明瞭であり、よって反事実的条件法やその他のものの解明にとってはまったく確固たる基礎となっていない、と言われるかもしれない。
私はその批判は間違っていると思う。「不明瞭であるunclear」ことが不明瞭なのである。
つまり、それは「不当に理解されたill-understood」ことを意味するのか、それとも「曖昧であるvague」ことを意味するのか?
...
比較可能な類似性は不当に理解されたものではない。それは正しく理解されるなら、曖昧――非常に曖昧――なのである。従って、それはまさに、それ自体明白に曖昧なものに関する正しい分析を与えるのに使用しなければならない類の原始概念である。
p149-150
私は固定された区別を、それを支持することがまったくできない基礎の上に立てようとする哲学者の一人ではない。私はむしろ、
- 揺らいだ基礎の上に
- 固定されていない区別を
立てたいのであり、その際にその双方は独立にではなく、むしろ一緒になって揺れ動くと主張するのである。
p151
元々曖昧な日常概念をその曖昧さを保持したまま形式化するのは非難されるべきことではない、と。むしろ形式化によって曖昧さの分析が可能になる。
曖昧さと形式化は必ずしも矛盾するわけではない、というのは共感できる立場だ。形式化というと、曖昧さを排除して明晰な定義に置きかえることだと考えられがちだが、そうではない。第一に考えるべきことは、曖昧なものを形式的でソリッドな定義に置きかえることではなく、曖昧な世界観を、曖昧さを保持したままで(それでいて体系的に)理解することだ。そう考えるなら、これは哲学は常識を体系化するという論点とも関連するだろう。
よりいっそうアブストラクトナンセンスな感じになるために、形而上学の教科書など探してみる。
『環境のオントロジー』の参考文献など見つつ。
ハンドブック。これはさすがに買えない。
これは論文集。
これが同じシリーズの入門書みたい。
これはpubkugyoさんが言及していた。
9つのテーマについて、対立する2つの説を順に読んでいくという構成らしい。おもしろそうだ。
9つのテーマは「抽象的存在者、因果と自然法則、様相と可能世界、人格の同一性、時間、持続persistence、自由意志、メレオロジー、メタ存在論」だそうです。
http://twitter.com/pubkugyo/statuses/947226222
飯田 隆 (編さん)
岩波書店、2008
この本は、日本語で出ていて、もう買ったけど、良い本のようですね。
以下目次。
- I 形而上学の核心
- 1 なぜ世界は存在するのか 永井均
- 2 「形而上学」の死と再生 鈴木泉
- 3 もの/こと,個体/普遍 坂下浩司
- 4 必然・可能・現実 三浦俊彦
- II 形而上学の現代的位相
- 1 出来事と因果 柏端達也
- 2 無の場と創造性 田中裕
- 3 決定論と自由 美濃正
- 4 曖昧性のメタフィジックス 一ノ瀬正樹
- 探究 形而上学は(なぜ)批判されなければならないか? 斎藤慶典
■ 買った本
本を買いすぎることは病と知れ。
飯田 隆 (編さん)
岩波書店 (2008
形而上学の巻。かなり良さそう。ティブルスのパラドックスも出てくるようなのでこれで勉強します。
というかそろそろ英語圏の教科書でも読んでまじめに形而上学の勉強したいなーと思いはじめている。
石黒 ひで (著)
岩波書店; 増補改訂版版 (2003
monadoさんという人に池袋で会ったので、「じゃあせっかくなのでライプニッツでも読むか、と意味のわからない発想でジュンク堂によって購入した。モナド論も探したけど、見つけられなかった。
以前より、「ライプニッツを読むならまずこの本を手がかりにしよう」と決めていたゴリゴリの分析哲学者が書いたライプニッツ本。初版は英語で72年に出たあと、日本語に翻訳されたそうだ。名著の予感。
というか、Amazonのレビューみてびっくりしたんだが、石黒ひでって女性だったのか。
逆猫のティブルスのパラドックス
猫のティブルスのパラドックスもあまり有名ではない(Wikipediaに項目さえないし、googleでもひっかからない)ので、おもしろがる人は少ないだろうと思われるが、考えたので一応発表する。パラドックスというかショートショートですね。
ティブという少年がいた。物心ついた頃から、ティブの体は、ティブよりも大きな透明な男に包まれていた。ティブは男をティブルスと呼んでいた。ティブルスを見ることができるのはティブだけだ。ティブルスの体は透明で見えないが、ティブの体を取り巻くようにいつもそこにいることをティブは知っていた。
病気で伏せた夜、熱に冒された頭で障子の外に降る雨を見つめていると、ティブルスの体がティブをあやすように揺れる。大きな怪我をした日、ティブルスは大きな手でいつくしむように傷口をさすった。
ティブはいつも、ティブルスに守られているように感じていた。
いつしかティブはひとりの大人の男として成長し、ティブルスのことを忘れてしまった。ところが、ある日、ティブは、かつて感じていたティブルスの輪郭が現在の自分の輪郭に一致することに気づいた。ティブはそのときに悟った。幼い頃より自分を守っていたのは未来の自分であったのだと。
↓猫のティブルスのパラドックスは(私の理解するところによれば)こういう感じです。なぜか対話になっているのは同人誌の小説の一部に入れようと思って書いていたせいですね(入れなかったけど)。
「うん、わかってる。ところで、猫のティブルスのパラドックスを知っているか」
「知らないけど」
「だろうな。うちの惑星に伝わる昔話だ。人や物の一部に名前をつけることがあるじゃないか」
「たとえば?」
「右手に女子の名前をつけてかわいがるとか」
「気味の悪い例だ」
「人面疽に名前をつけてかわいがるとか、ミトコンドリアに名前をつけるとか、そういうのだよ。何でもいいが、ティブルスは猫で、ティプルスの尻尾以外の部分をティブと呼んでいる」
「何のために?」
「そのときは何か理由があったんだろうが、詳しくは知らん。この問題のために重要な点は1つ。ティブはティブルスの一部だけどティブルスそのものじゃない。何か別のものだ。おまえの右手がおまえ自身ではないように」
「ところが、ティブルスはある日、事故で尻尾を失しなってしまった」
「かわいそう」
「さて、問題、今やティブというのはティブルスそのものなわけだが」
「わかった、尻尾を失なったティブルスは主人の帰りを待ちつづけ」
「......土砂に埋もれ、地層の中で立派な石像になりました」
「いい話だ」
「そんな話じゃない。真面目に話させろ」
「今やティブとティブルスは物質的には完全に1つのものになりました。しかし、事故以前にはティブとティブルスは別のものだったわけで、事故のせいで2つのものが1つになった? そんなことがありえるんだろうか? というのが問題」
「ティブとティブルスが物質的に一致していたとしても『同じもの』と認める必要はなくない?」
「そう考えるなら、きみは魂と肉体の二元論にくみすることになる。ティブルスのアイデンティティはティブルスを構成する物質ではなく、どこか他の場所にある何かだと認めるのだから」
「あー、なるほど。どう見ても昔話じゃないね?」
「子供の頃、ママンが昔話だと言って聞かせてくれた」
「哲学的なママン......」
■ 近況
最近ブログを更新してないですが、更新していない間何をやってたかというと、Twitterをしていました。
同人誌の原稿締切と仕事の納期が重なって、いろいろつらく、ブログ記事を書こうとすると、
→「しまった、ブログ記事を書いている場合ではない。同人誌の原稿を書くのだ」
→「同人誌の原稿もつらい。ちょっとTwitter見よう...」という塩梅です。
他にも何かプログラムを書こうと思うと、
→「しまった、プログラムを書いている場合ではない。以下略」
あとTwitterは最近運営方針を変えてオープンにしたら何か楽しくなってきたので夢中になってやっていたという感じですね。
一番やらなければならないことから逃避しているときは、二番目にやらなければならないこと/やりたいことをやろうとすると「ちがう、あれをやらねば!」と思ってしまい、しかも一番目のタスクからも逃避しているため、結局ぜんぜんやらなくていいことにリソースをさいてしまいがちになるという現象です。これをつづけていると、心の中のプライオリティと現実の時間的リソースの配分がズレていってしまい心の健康によくないのではないかと思っているしだいです。
ちなみに今は同人誌の原稿締切も仕事の納期も大体終わったので平穏ですね。平穏になりたいですね。
いそがしかった時期に本などはいろいろ読んでいたのでブックレビュー、感想などはあとでまたまとめて書きたいところです。
■ 蒼龍さん
「蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学-」の蒼龍さんが過去に書いた記事にコメントをくれました。
こんな昔の記事を見てるのはわたしだけだと思うんですが、他の人も見れると有益だろうと判断し、リンクを貼っておきます。
過去記事の内容自体は今とだいぶ考え方が違っています。
■ 新刊とか
知りすぎた男―ホーン・フィッシャーの事件簿 (論創海外ミステリ (81))
G.K.チェスタトン(著), 井伊順彦(訳)
論創社、2008
ドーン!! チェスタトンの新訳がでてた。










