Theodore Sider (編集), John Hawthorne (編集), Dean W. Zimmerman (編集)
Blackwell Pub、2007
1.1 Chris Swoyer "抽象物(Abstract Entities)"
わたしはレジメ担当者じゃないのでレジメはつくってません。簡単な要約と感想だけ。
この本では、形而上学の様々なテーマについて、賛成反対それぞれの立場に立つ論者が議論を戦わせます。
1章のテーマは「抽象物は存在するか否か」です。1.1は「抽象者は存在する」という派閥の人の論文。
■ あらすじ
- 抽象物っていってもいろいろある。定義はむずかしいけど、『数』とか『性質』とか『命題』とかが抽象物の典型としてあげられる。
- これらの対象は、時空間のなかに位置をもたないとか、通常の因果関係の連鎖からは外れているなどなどの特徴がある。
- ここではこいつらの存在を擁護する議論をとりあげる。
- でも、抽象物っていってもいろいろあるから、「数は存在するけど、性質は存在しない」とかいろんな立場がありえるよ。
- とりあえず何か抽象物の存在を擁護するときの典型的な議論の仕方を紹介するよ。
- 昔の哲学者は、公理からの演繹で抽象物の存在を証明しようとしたよ。
- しかしこのやり方は全然成功しなかった。望みはないと思う。
- 最近のトレンドは、妥当な証明に訴えるのではなく、説得によるラフな議論を利用すること。
- 何かの現象をとりあげ、それを説明する理論をつくる。
- 説明がうまくいっていて、しかもその説明が抽象物の存在を必要としているなら、「やっぱこの抽象物は存在するよ」という説の説得力が増すはず。
- もっとも何がうまくいく説明なのかというのも、厳密な基準はないし、むずかしいんだけどね。
- 基準の1つは有名な「オッカムの剃刀」だけど、オッカムを持ち出して解決することも滅多にない。
- いずれにせよ、抽象者が存在するかどうかというのは、現象をうまく説明できる理論はどれ?というより広い枠組みの中で決まるよ。
■ 感想
序文のレジメで、「究極理論はないけど最善理論はある。なので最善理論の中の存在について語れば存在について語ることができる」みたいなことを書いた。
この論文はもろにそういう話だったので、「お、おれの理解は結構よい線いってるんじゃねえか?」と思った。
しかし「何が存在するかという問題は、結局『何が最善理論なのか』によって決まる」という話であれば、もう最初から理論的説明に飛び込んでいけばよいのであって、「抽象物は存在するか」という問い自体が微妙なんじゃないかと思った。議論の仕方の紹介としては親切な論文だったが、「抽象物は存在するか」という問題の立て方をしてもあんまり盛り上がらないんだなあという印象。
一方後編の「抽象物なんて存在しねえよ」論文がこれにどう応じるのかが興味深い。
あと、できれば個人的には、「存在っていってもいろんな存在の仕方があるよね。『椅子が存在する』のと、『100以下の素数が存在する』のは何か違うでしょう」という問題をもっと取りあげてほしかった。「抽象物は存在するか」と聞かれて、わたしの率直な感想は、「存在するって言ってもいろんな意味があるんだから、それを限定しないと議論にならなくない?」というものだったりするので。
もちろん「存在の意味が違うっていうのは『抽象者はある意味では存在する』って認めてるのと一緒だよね。抽象者が存在するかどうかがここのテーマなんだから、それを認めるならもう『存在する』で決定だよね」と言われれば、確かにそれまでなんだが。
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