Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy)

Theodore Sider (編集), John Hawthorne (編集), Dean W. Zimmerman (編集)

Blackwell Pub、2007



先日行われたゆるふわMetaphysicians勉強会第1回のレジメ。↑の本を読んでいます。

最初の方歴史の話をふりたかったので、思いついたことを簡単に喋った。わりといい加減なことを言ってるのであまり本気にしないように。

感想としては、

  • 科学と形而上学
  • 記述的形而上学でいくか改訂的形而上学でいくか

の2つのトピックが重要視されているなあと思った。

↓ここからレジメ。


感想

科学の話が多い。形而上学の多くの話題は科学哲学から派生した?


メモ

歴史

  • 古代: 形而上学全盛
  • 中世: 形而上学というか神学
  • 20世紀初: ラッセルとかフレーゲとか?
  • 20世紀: 論理実証主義と言語哲学の時代。形而上学などもってのほか
  • 20世紀末から: 形而上学の復活。

形而上学はなぜ復活したのか?

  • 形而上学でないものとは?
    • =>経験主義
  • 経験主義の批判が形而上学の復活を準備した?


哲学は存在について語れない?

  • 一昔前はよく「現代哲学は存在について語れない」と言われていた。
  • こうした見解はどこにいったのか?
  • 存在じゃなくて何について語るのか。
    • 言語や理論。
    • 言語や理論は特定の存在にコミットする。
    • でも言語は取り替え可能だから、存在は相対的と思われていた。
  • 本当に取り替え可能なのか?
    • 人間はそう都合よく世界観を変えられないよね?
  • 基礎的な日常的信念には結局縛られるよね。
    • 日常的信念をベースに存在を語る可能性。
  • 究極的理論はなくても最善理論はあるよね。
    • 最善理論による存在論。


クワインとか

  • クワイン
    • 経験主義者。物理主義者。行動主義者。
    • 形而上学には否定的。
    • 存在論的コミットメント。
    • 最善理論としての物理学=存在論という立場?
  • グッドマン
    • クワインの兄弟弟子。経験主義?
    • 唯名論。
    • 多数の世界=多数の真理を認める。
  • ルイス
    • クワインの弟子。
    • 様相実在論。「ライプニッツ以来最大の体系的形而上学者」。
    • でも、唯名論で唯物論で物理主義。
    • 最善理論としての様相実在論。

↑なんかこの辺に微妙な線がありそう。



要約

形而上学ってなに?

  • 形而上学は「世界がどんな風であるか」を問う。
    • どうしてそんな抽象的な問いが成り立つの?
    • 他の科学は個別的なものの性質について問う
    • 形而上学は、そうした細部を抽象する
    • ex.「このリンゴは赤い」から個物particularsと性質propertyをとりだす。
  • Fact = Particlar + Property(Relation)
  • 「世界には個物と性質」があるというとても一般的な事実をとりだした。
  • 諸科学は、世界の個別領域で一般化する
  • 形而上学は、世界を一般化する

形而上学は何をするの?

哲学なので、ほとんどすべてのトピックは議論のまとになる。

  • ex. 唯名論者は「個物と性質の2つが存在する」とは認めない。
  • 唯名論者は"is red"という述語は認めるけど、述語は、何の対象も指示しないと考える。
    • 1章へ

↑の議論に見られるように、形而上学の仕事は

  • (1)見かけの上で多様な現象をパターン化すること
  • (2)そのパターンを適切に描写する一般化をすること


具体例

たとえば以下のようなトピックが問題になる

1)必然性
  • 科学は法則を主張する
  • でも自然法則って何だろう?
  • 物理学者は自然法則を「発見」するが、「創造」するわけではない
    • 2章へ
  • すべてが自然法則に従うとすれば、自由意志は存在するのだろうか?
    • 7章へ
  • 「電化を帯びた粒子は反発しあうはず」
  • この「はずmustness」は何を意味するのだろう?
    • 3章へ

2)時間
  • あらゆる種類の対象は時間を越えて存在する。
    • 時間を越えるってどういうことだ?
    • 子どもの頃と50歳の自分は同じ人なのか?
      • 4-6章へ

3)存在論
  • 異なった種類の科学は異なった対象を記述する。
  • 物理学者は、原子より小さな粒子(?)、生物学者は生物。
  • でも、これらの対象すべてが存在すると信じなければならないのだろうか?
  • 生物学的「対象」があるわけではないのに、生物学的「現象」があるなんて言えるのだろうか?
  • 生体システムの構成素は、生物の部分であるpart ofと言われる。
  • ↑こういう風に「部分を持った対象」について問うのが存在論の問いだ。
    • 8章へ
  • 他にも、「性質、数...etcは存在するか」と問うのも存在論の問いだ。
  • 「ある種の対象が本当に存在するか?」と調べることが、どんな意味を持って考えるのは、メタ存在論の問いだ。
    • 9章へ

よくあるパターン

形而上学にはいろんな領域があるけど、いくつかのテーマは繰り返しでてくる。

1)ex. 還元主義 V.S. 「世界をそのままに」主義
  • 1-1)ex. 自然法則
  • 自然法則は規則性regularityを保証する。
  • Jonathan Schafferは還元主義陣営のメンバー。
    • 「自然法則には規則性を越えるものは無い!」
    • 法則を規則性に還元。
  • Jhon W. Carrollは反還元主義陣営のメンバー。
    • 「法則の必然性には規則性以上のものがある!」
    • 規則性に加えて必然性が必要。
  • 1-2)ex.時間の経過
  • 時間は(過去から未来に)「動く」ものだと考えられているけど?
    • J.J.C. Smart(5.2)は、時間の経過についての還元主義。
      • 時間は空間と同様の1つの次元にすぎず、動いているわけではない。
      • 単に人間が過去しか記憶できないだけ。
    • Dean Zimmermanは、反還元主義。
      • 日常的直観の側が正しい。
      • 過去は、「離れている」だけではなく、存在しない。

2)ex. 科学と日常的信念の関係
  • 科学と日常的信念が対立したらどうする?
    • 科学を常識に合わせるべき?
    • 常識を科学に合わせるべき?
    • そもそも対立するというのが間違い?
  • 2-1) ex. 時間
    • 科学は時間を空間のように扱っている。
    • Smartによれば科学に合わせるべき
    • Zimmermanによれば常識に合わせるべき

[余談]

  • 「空間が離散的かどうか?」という例もある。
  • 「物理学によれば、空間は離散的だからアキレスと亀のパラドックスは生じない」って言われても困っちゃうよねみたいな。

[/余談]


  • 2-2) ex. 自由意志と決定論
    • 科学は、世界は自然法則に従うと言っている。
    • これは、わたしたちの日常的な発想と食いちがう。
    • Robert Kane(7.1)は、2つの描画は本当に対立していると論じている。
    • 「自由などない!」
    • Kadri Vihvelinは、自由についての信念を変える必要はないと言う。
    • そもそも対立しているというのが間違いだという意見だ。


科学と形而上学
  • 極端はよくないという話

科学に従うか日常的信念に従うかについては両極端がある。

  • 一方では、形而上学の仕事は科学をレポートすることだけ。
  • もう一方では、形而上学は科学を無視して日常的信念だけに頼ればいい。
    • どっちもどっちだ。

(1)科学原理派について。

科学は形而上学のすべての問いを解決するわけじゃない。

(2)日常信念派について

  • 科学と日常信念は「別の世界」だよ派

しかしこれだと、信念が改訂される可能性はない。

科学も信念もthe worldについてのものであるはず。

[余談]

グッドマンなども↑こういう見解に入るように見える。

複数の領域=複数の真理が成り立つかどうかはわりと重要なトピックではないか。

哲学的立場としてはアレだが、「別の世界だよ」派は、個別領域の科学にとってはとっつきやすい立場のようにも思える。

(応用オントロジーとか、知識工学っぽいのってどっちかというとプラグマティックに領域相対的な存在論をやってそう)。

↓哲学の人はもっぱら「ゆるやかな改訂主義」みたいな感じか。

[/余談]


  • 形而上学は耳を傾けるべきだけど、それがすべてじゃない派
    • 日常的信念は出発点だが、改訂されてもいい。
    • 日常的信念が相互に矛盾することもある。
    • 科学と日常的信念だけではなく。基礎的信念には重みをつけるべきだし、科学に従うべき領域の信念には重みをつけなくていい。
      • (血液型占いは信じなくてもいい、とか?)
  • 「日常的」なだけでは何の意味もない。
  • フォース理性を信じよう!

  • どっちにしても科学と対話すべき
    • 科学はとても成功している。
    • とても成功した理論!技術的優越!そして合意!
    • 形而上学の歴史は、それにくらべればガチョウのレースみたいなものだ。
    • 何千年も合意がえられないままだし、人を月に送ったりできない(笑)。

[余談]

哲学が失敗と非合意を宿命づけられているのは、成功するともう哲学じゃなくなるからという側面もあると思った。

哲学のある分野が成功すると、その成果は経済学とか数学とか認知科学とか言語学とかに引き取られていって経験科学者の仕事になる。

フレーゲとかラムジーとかケインズとかモンタギューが哲学者だったってもう誰も覚えてないよね問題。

あるいは、「昔言語学史見ててたら意味論の始祖のところに『言語学者ラッセル』って書いてあってびっくりしたよ問題」。

哲学=実験農場。

哲学=めんどうな問題に好きこのんで首をつっこむ人の集まり。

成功したものについては、「これは哲学が送り出した成果ですよ!」とか言っていった方がいいのか?

[/余談]



形而上学と経験主義
  • 形而上学なんて何の意味もないという哲学者もいる。
    • 経験主義者。
    • しかしこれは科学についてのナイーブな見方に基づいている。
    • 科学者は見たままを報告しているわけではない。
      • 科学の理論負荷性。
      • 単純さとか包括性とかエレガンスとかで理論を選ぶ。
  • もっとリアルな科学観に立てば謙遜して節度を持った形而上学の余地は残されている。
    • 形而上学は観察からはじめる。
    • そしてより一般的な理論を構築する。
    • どの理論がよいかは観察では決まらないけど。
    • やっぱり単純さとか包括性とかエレガンスとかで理論を選ぶ。

  • 科学との連続性: ペシミズムは捨てよう。
  • 科学との非連続性: 謙遜の気持ちを持とう。
    • 形而上学の観察は非直接的。
    • 理論選択の基準になるほどクリアじゃない。
    • 形而上学は思弁的だし、めったに確かさを得られない。他にどんな風にできる?
  • 経験主義をとるか形而上学をとるかはむずかしい問題だ。
    • でもそれによって形而上学について考えるのをやめるべきじゃない。
    • 「哲学はその分野の価値について問うことが、その当の分野の中心的な問いであるような分野なのである」
    • 哲学者は自分の仕事に意味があるのかどうか、いつも不安。
    • しかしメタな問いにかかずらわるのは後にしよう。
    • どうせあれこれの哲学は不可能だなんて言っていた理論はみんな失敗したんだから(笑)。

コメント(2)

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(2009/02/ 9 0:55)
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(2009/07/14 20:56)

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