意味と様相(上)

飯田 隆 (著)

勁草書房、1989


言語哲学大河入門書(?)シリーズその2。

実は3しか読んでいなかったので2もはじめて読んだ。

本巻では、論理実証主義、初期ウィトゲンシュタイン、クワインの言語哲学が解説・検討される。


目次

  1. 序章 必然性小史―アリストテレスからフレーゲまで
  2. 分析的真理と言語的必然性(論理実証主義の言語哲学)
  3. 規約による真理
  4. 分析性の退位―「経験主義のふたつのドグマ」

2章「規約による真理」はかなりの難物。むずかしかった。

「数学的真理は規約によって真である」「論理的真理は規約によって真である」という主張がそれぞれに検討され、さまざまな困難が指摘される。

結論としては両者とも「かなりのブレイクスルーがないかぎり無理」というところだろうか。

言い方を変えれば、「数学の哲学、論理学の哲学においてプラトニズムを避けることがいかに困難であるか」*。

ここで「プラトニズム」とは、「自然数」「集合」「命題」のような抽象的なものが、端的に存在するという立場**。

* なお多少誤解を招く書き方になってしまったが、『言語哲学大全II』の扱っているテーマは「規約による真理」であり、「プラトニズム」ではない。「規約による真理」説が敵視する立場の主要な1つとして「プラトニズム」が部分的に言及される形となっている。

** 「端的に存在する」というのは説明しづらいが、それこそ椅子や机が存在するのと同様にとにかく存在するのだという立場。


Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy)

Theodore Sider, John Hawthorne, Dean W. Zimmerman

Blackwell Pub、2007


ちょうど勉強会で読んでいた論文が「抽象的なものは存在するか」というテーマだったせいもあって、これについて考えていたが、なかなか難しい。

当初の印象では「これは疑似問題ではないのか?」「よほど特殊な立場でないかぎり簡単に片がつきそう」「こんなこと考えて何になるのか」という思いもあったのだが、考えれば考えるほど迷宮入りしてくる。個人的には「存在する派」も「存在しない派」もどちらも直観に合う部分と合わない部分があって、態度決定しがたいなどと思っていたら、考えている内に本当にわけがわからなくなってきた。

飯田氏自身も、論理的必然性については何らかの言語的規約によるものだと考えたいらしいのだが、規約による真理説は、ここでの議論で完膚なきまでに叩きつぶされているように思える。著者自身「哲学のなかに『決定的な』議論といったものがありうるとするならば、それにきわめて近いもの」であるとまで言っている*。

* なお、また誤解を招く書き方になっているが、以下などで紹介している議論は「2.2」の数学的真理の規約説であり、飯田氏が「決定的」と言っているのは「2.3」の論理的真理の規約説である。


「ウィトゲンシュタイン的」な根源的規約説なるものは、しりぞけられていないことになっているが、これはほとんど反則技というか、規約という概念を無意味なまでに空虚にすることで成り立つ説であるように思える。言っていることは「規約はあるけど、実態としては何でもあり」に近いように見える。直観に反するという点では、プラトニズムとあまり変わらないのではないか。

明示的な規約に替えて、「暗黙的な慣習(convention)」を導入すれば、議論の全体像が少しは変わるのではないかと思わないでもないが、いずれにせよ難しい問題である。


以下、どうして抽象的なものが存在すると考えたくなってしまうのか、簡単に書いてみる。

「自然数」を例にあげる。

トリビアルな意味で自然数が「存在する」のはほぼ問題ない。「自然数が存在する」などという形の命題が取り上げられることは滅多にないが、それは日常的にも受け入れられている多くの命題にとって論理的帰結であったり前提であったりする。

黒いカラスが存在する。

から

カラスが存在する。

を導くのは、妥当な論理的推論だろう。

同様に、

2以上10以下の自然数が存在する。

から

自然数が存在する。

を導くのは、妥当な論理的推論だろう。

また「自然数が存在する。」が偽なら、「2以上10以下の自然数が存在する。」も偽でなければならない。


トリビアルに存在するからと言って本当に存在するわけではないよと言いたい気もするのだが、トリビアルな側を認めつつ、うまいこと抽象的なものの存在だけを除去しようとしてもなかなかうまくいかない。この「トリビアルな意味では存在する」が意外と手強い。

プラトニズムに反する説として次のようなものがある。

「数学が扱うのは抽象的な構造にすぎない。」であるとか「数学は便利な虚構である。」という言い回しに見られるような考え方だ。これはよくある考え方であるし、個人的にはこれが実感に合う気もするのだが、以下の議論には唸らされた。


「抽象的な構造」説、つまり数学とは「もしもこれこれの公理を満足する構造が存在するならば、その構造はしかじかの性質をもつ」ということだけを確立する営みであるという説を取り上げ、飯田氏は以下のような議論を展開している(p146-)。


数学がこうした意味での抽象的な構造を扱うものだとしよう。自然数とは、「自然数論の公理を満すもの」という抽象的な規定にすぎない。

しかし、ここで言う「これこれの公理を満足する構造」は空集合であってはならないはずだ。もしこれらの公理を満たすものが1つもないならば、理論は空虚に真であり、理論の妥当性はどうでもよいことになってしまう。

問題は「そんな公理を満たすものが本当にあるだろうか?」という点である。何しろ、自然数や集合論や実数の公理を満たすものは無限でなければならない。しかし、自然界にそんなものが本当にあるのだろうか? 数学的対象以外に無限なものなんてあるだろうか?

(カントは時間と空間を無限の例としたそうだが、現代においてはそんなことは物理学者の研究によって明らかになることであって、哲学者が勝手に「アプリオリに真」などと決めつけるべきことではないだろう、とも)。


これに対し、うまい答え方はないものかと思うのだが、まったく思いつかない...。


唯名論者の側もすごい。

ハートリー・フィールドという人は、唯名論を擁護するために『Science Without Numbers』という著作で、自然数の存在を前提せずにニュートン力学を再構成したそうだ。詳細はわからないが、とてつもない作業に思える。しかしこれを聞くと逆に、唯名論というのはそんな努力を踏まなければ擁護できないのかと不安になる。



個人的な感慨以上のものではないが、プラトニズム(実在論)の問題点は、仮にそれが正しいとしても、それがどういう意味なのかよくわからないというところにあるのではないか。

「自然数は(or実数はor集合は)存在する」という主張が正しいとしても、「直接目で見ることもできないし、触れることもできないし、時空間のなかに場所を持つこともないけれど存在する」というのはいったいどういう意味なのだろう。天上にイデア界のような場所があり、そこには自然数が鎮座していて...などと考えると少しイメージが湧くが、メタファー以上のものではないだろう。

どういう意味も何も、その通りの意味だよと言われてしまいそうだが、腑に落ちないものは仕方ない。

たとえば命題「自然数は存在する」を認めると、結果としてどんな世界観を持つことになるのか。

そこまで含めて展開されないと、なかなか納得しがたかったりする。


たとえば「自然数や集合は存在するか」という問いを「数学はいかなる意味でリアルであるか」という問いに変えることはできるだろうか。

どうしてこの宇宙の中で自然数論や実数論や集合論を使った議論がうまくいくのかという方向で考え、「ほら、この宇宙ってこういう自然法則が成り立つからさ、だから数学の応用可能性がなりたつんだよ」とか。

いや改めて考えるとこれじゃダメかもしれない。自然数論とかそこまで応用可能性があるわけじゃないようだしなあ。

むしろ人間の認知や実践の部分に自然数を「使いたくなる」ような傾向があると考える方がよいのだろうか。しかしそうなると、「自然数」は人間にとって便利なだけの虚構であり、「数学的真理は文字通りに真であり、自然数がトリビアルに存在する」という直観の方は捨てなければならないかもしれない。

...などといろいろ考えるが、迷宮入りするばかりで、さっぱり考えがまとまらない。



文献

コメント(4)

# さいとう

記事とはまったく関係なくて申し訳ないが、先日君が生まれた気がしたので、おめでとって言いにきた。

(2009/01/ 8 19:04)
# at-akada

ありがとうございます。

(2009/01/ 8 22:13)
# Ativan

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And at the end don't forget to say thanks amigo

(2009/06/ 4 21:38)
# Ywkvjuvp

1BmYjq

(2009/07/14 19:44)

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