2009年3月


とりあえず読んだので記事を書く準備をする。

内容はこれから。


様相次元主義(modal dimensionalism)というのがでてくる。何かと思ったら、宇宙には時空にかかわる四次元にくわえて、様相の次元があるという説らしい。

「Ω ΩΩ< な、なんだってー!!」聞いた瞬間にそれは無いだろうと思った。その後しばらく考え、「待てよ、時制論理というのもあるし、時間と様相は似てる。だから様相を次元と見なすこともできるのか?」と思ったが、すぐまた「やっぱ無いわー」と思った。






目次

  • それは何?
  • 可能世界
    • 可能主義実在論
      • 対応者理論
      • 様相次元主義
      • 同一性問題
    • 現実主義表象論
      • 入れ子問題
      • 本質による解決
  • 可能世界以外
    • 存立 vs. 存在
      • 非存在対象の理論
      • エンコーディングの理論
  • ユニコーン
  • 虚構的対象
  • 量化様相論理

立場

  • 1. U ⊆ A∩E (すべての対象は現実的であり存在する)
  • 2. U ⊆ A (すべての対象は現実的だが、存在するものとしないものがある)
  • 3. U ⊆ E (すべての対象は存在するが、現実的なものと現実的でないものがある): 可能主義
  • 4. A ⊆ E (現実的なものはすべて存在する)
  • 5. E ⊆ A (存在するものはすべて現実的である) : 現実主義

派閥 1 2 3 4 5
可能主義 × × ×
様相次元主義 × × ×
現実主義 × ×
マイノング主義 × × ×

最近現代存在論の文献などを読んでいて、もやもやした気持ちを抱えることが多かったのだが、少し整理できたので書きとめておく。

存在論の人々は存在について語る。そしてしばしば、自分たちのやっていることは「概念分析」ではないと言う。つまり、人間の思考の様式や言語や認識について語っているわけではないと言う。

しかし哲学者は別に物理学者が宇宙について語るように、宇宙の経験的な事実を語ろうとしているわけではない。

じゃあ存在論は何をしているんだろう?

わたし自身も、それらの文献を読みながら、「確かにこれは、ある意味では、言語や認識や概念の話ではない。でも何が違うのかをうまく言いあらわせない!」というもやもやを感じていた。



以下のような言い回しを思い出そう。

「彼の頭の中には何があるんだろうね」と言われたとき、われわれは、

物理的な意味では、脳があるよ」と答えることがある。


饅頭の中には何があるか? 物理的な意味では、餡がある

腹の中には何があるか? 物理的な意味では、臓器がある

テレビの中には何があるか? 物理的な意味では、機械がある



わたしが気がついたのは、こういうニュアンスの「物理的」を「存在論的」に変えても違和感が無いということだ。

少なくとも、現代の(分析哲学的な)存在論は、「頭の中には脳がある」という意味での現実について語りはじめているように思える。


じゃあこの「物理的」ってどういう意味なのだろう。

必ずしも、自然法則や「物理学的」なもののことではないだろう。

言い換えを探ってみると、日本語の「物質」や英語の"material"はちょっとしっくりくる。

時間と空間、ひいてはリアリティの中に場所を占める「マテリアル」にかかわることを「物理的」と言っているような気もする。



たとえば現代存在論の文献には以下のような問題が登場する*。

  • 脳と胃を足したものもまた「物理的な物」なのか?
  • 「物理的な物」には、空間的な部分だけではなく、時間的な部分もあるのか? 言い換えれば、「過去の物」や「未来の物」も「物」の一部なのか?

* 下の『四次元主義の哲学』などを手に取ってみるとよくわかると思う。


また、存在論や現代形而上学の文献を読んでいると、よく「端的にsimpliciter」とか「生のbrute」とか「内在的intrinsic」という語彙がでてくる。ex.「物が端的に持つ性質」

こういう言い方をされると、「わかるんだけど、わかるんだけど、端的にって何だよ!」と言いたくなる。

セオドア・サイダーは、もう少し洗練された言い方を選んでいて、世界に備えつけられた「すべての対象から成る単一の対象領域D」について述べる(それでもまだよくわからないけど)*。

* 以下の本の序文を参照。


また、デイヴィド・ルイスは、"On the Plurality of Worlds"の序文に、自分がこの本で述べたのは「意味論的能力」や「真理の本質」や「二値性」や「知識の限界」にかかわるテーゼではなく、「ネス湖の怪物がいる」とか「CIAに共産主義者のスパイがいる」とか「フェルマーの予想の反例がある」とか「熾天使がいる」という種類の主張であると書いた**。ある意味では、これが一番わかりやすい。

** 意図的にうさんくさい例を選んでいるのだと思うが、「変に認識論的なテーゼと誤解されるくらいならうさんくさい主張と一緒にされた方がましだ」というルイスの姿勢は素敵だ。


これらの問題が何を意味するのかを考えるとき、またこれらの語彙が何を意味するのかを考えるとき、「物理的」という語のニュアンスを思い出すと少ししっくりくるなと思ったのだった。


四次元主義の哲学―持続と時間の存在論 (現代哲学への招待―Great Works)

セオドア・サイダー、中山康雄(訳), 小山虎(訳), 齋藤暢人(訳), 鈴木生郎(訳)

春秋社、2007

Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy)

Theodore Sider (編集), John Hawthorne (編集), Dean W. Zimmerman (編集)

Blackwell Pub、2007


ゆるふわMetaphysicians勉強会で読んだ論文2つ目。

ずいぶん時間がかかってしまった。

1つ目の論文に関する記事は以下。

http://www.at-akada.org/blog/2008/12/chris-swoyer.html


一応、論文の要約くらいは毎回載せようかと思っているので感想やまとめなど。

(ずいぶん遅れてしまったので、実はもうこの次の論文も読み終わっている)。

本書は、様々なテーマについて対立する立場に立つ2人の著者が文章を寄せた論集。

1章のテーマは、「抽象的なものはあるか?」。

こちらは「抽象的なものは無い」派の人の論文。



感想

世の中には、悪夢のような論文というものがある。

これは悪夢のような論文であった。まず英語が難しくて何を言っているかよくわからないし、仮に英語が理解できたとしても内容が難しくてよくわからないし、仮に内容が理解できたとしても問題関心がぶっとんでいるので理解しがたい。この論文については、本当に、全員で頭を抱えながら苦しまされる日々であった。


学んだことを強いてあげるとするならば、現代形而上学の争点はこんな感じなのかなーと。

  • 現在の自然科学の成果を所与とした上で、じゃあそこから結局どんな世界観が導かれるのか考えてみよう
    • 科学者はいろいろ言ってるが、結局のところ何が存在するのか? 自然法則って何か? 究極的なリアリティは何なのか?
  • ひと昔前の分析哲学というのは、いろんな文を分析していこうという言語哲学的なものが主流だったわけだが、形而上学の場合、むしろ言語哲学的技法を使って、世界の究極的リアリティを明らかにしようという方向が目立つ。

(具体的には、文のパラフレーズを使って唯名論の擁護をする、などの事例を想定している)。




まとめ

というわけでまとめようがないわけだが、何とかできる範囲でまとめてみる。


  • 数が存在するとか、性質が存在するとか、ありえんよ。
  • 確かにみんな「数が存在する」とか「性質が存在する」とか言っている。
  • でもそれは表面的な意味で「存在する」って言っているだけで、基礎的な意味で「存在する」って言ってるわけじゃないはずだ。

  • というわけで、科学者などが抽象的なものに「存在する」って言ってるとしても、それは本当は別の意味で言っているはず。
  • こういう「存在する」はガンガンパラフレーズしていくよ。
  • 実在論派の人は、「抽象的なものの存在を仮定して、いろんな現象が説明できるなら認めていいんじゃないか」と言う。
  • わたしはガンガンパラフレーズするので、そんな説明の能力なんて認めないぞ。
  • さて、Tというのが、数学的概念など抽象物の存在にコミットしているように見える科学理論だとしよう。以下のような反事実的条件法を使ったパラフレーズができるはずだ。

T*: もし数学的公理が正しく、具体的世界が今の通りならば、Tは正しいだろう。

  • これを使えば、Tの正しさは今のままで、余計な存在論的コミットはしなくて済むってわけ。
  • この後、このパラフレーズはダメなパラフレーズに似てるがダメじゃないという議論がつづくがよくわからない。


  • 科学理論については、これでいいとして、哲学理論についてはどうしようか。
  • 上のようなパラフレーズを適用しようとすると、哲学理論はそもそも反事実的条件法に対して分析を与えたりするので、そのさらに反事実的条件法によるパラフレーズになってわけがわからないことになるよ。
  • これについては3つのオプションがある
    • (1)そういう分析を受け入れた上で、「あ、それがこういうタイプの文の意味なんだ。じゃあこの文は抽象物が存在するって言ってるわけだから、基礎的な意味では偽だね」と考える。
    • (2)別の分析を提示する。
    • (3)分析は不可能であり、問題になっていたのはプリミティブな概念だと主張する。

  • というわけで、唯名論的な哲学的分析のパラフレーズを提示する。
  • 「ベーシックな物理学的述語」の問題を扱う。
    • 今ある物理学の概念っていうのは、たいてい他の概念から定義されたりするけれど、もっともっと科学が進めば、それ以上他のものに還元できないベーシックな述語がでてくるだろう。そういうものがでてきたときに、「それでも性質は存在しない」という立場を唯名論は護れるだろうか。
  • とりあえずここでは「xは電子である」というのがそういうベーシックな述語であるということにしておくよ。

  • アームストロングは、性質の存在を認めているので、「電子であることは、電子性という性質を例化することだ」と分析している。
  • こいつをパラフレーズしてやろう。
  • アームストロングの定義にはどういういいところがあるか?
  • たとえば、上のような「電子であること」の定義と、複製の定義を与えてやると、「電子の複製は電子だ」という文の分析がうまくいくようになる。
  • この文はもう見た感じ必然的真理という感じだけど、複製と電子の定義をきちんと与えると、こういう文を論理的真理として説明できるようになる。

  • ぼくら唯名論者はこういう分析に対して、以下のような反論を考えられる。
    • (1)複製の定義を別な風に与える
    • (2)電子の定義を別な風に与える
    • (3)「電子の複製が電子だ」という文が必然的であるのは、プリミティブな事実であり、説明できないと主張する
  • (1)の方向。ベーシックな述語をぜんぶアンドで結んでやる。「xがyの複製であるとは、xがクォークならyもクォークであり、xが電子ならyも電子であり...」という長い連言を使って複製を定義する。
    • とりあえずこれでもうまくいくけど、この場合、「この宇宙にはないけど、他の宇宙で成り立つかもしれない性質」などを認められなくなる。
  • (2)の方向。電子と電子の類似を使って、「電子であること」を定義するやり方など。

(この類似性ノミナリズムの理論はちょっと面白かった)。

  • (3)の方向。説明を放棄したような方針だけど、これはこれでうまいやり方だとか何とか。

以上。


学際オントロジー09、2日目の一部だけですが、参加してきました。

いろいろ考えさせられるおもしろい会でした。感想はいずれ。

(最近まとまった記事を書こうとして時間がなくてなかなかアップできないことが多いので荒書きでもとりあえずアップすることにしようかと思って)。



ちょっとだけ感想追加。

哲学の人や工学の人や医療の人がより集ってオントロジーを論じあうカオティックな国際シンポジウムだった。

個人的にはSimonsやB.Smithなどといった存在論界のビッグスター(何)を間近に見れてミーハー的に感激。


一応わたしもエンジニアなので、工学系の発表も興味深く聞いたが、哲学者との志向の違いをわりとまざまざと見せられ、考えさせられるところは多かった。

たまたま見たのがそうだったのかもしれないが、工学系の発表は、「すでにある体系を応用してみた」みたいな思いつき成分高めのものが多く、ハイレベルでアブストラクトな理論的対決を期待した身としてはちょっと肩すかし。


個人的には、どっちかというと工学者・実装者という立場からどんどん理論をつくり出していくようなものを見てみたいなあと思う。

もっと「マイノング主義の体系を実装してみた」とか「OWLが唯名論に基づいてなくて気に入らんので、トロープ説バージョンをつくってみた」とか、そういうのが見たい(どんな工学者だ)。しかしいかんせん日本で工学者が存在論のことを知りたいと思っても、手軽に手に入るようなところに知識は転がってないだろうし、難しいなあと思った。

しかしそういうことを考えるにつけ、「おまえはエンジニアなんだからおまえがやれ」という声がどこかから聞こえてきて、今後がんばりたいと思ったものである。



あと哲学系の発表ではフッサールが大人気。某発表では、フッサールは、マイノングやデイヴィド・ルイスと近い存在論をとっているという発表があったりして、「え、フッサールってそんなばりばりの実在論者だったんだー」と現象学をまったく知らない身としては驚き。

Simonsも「存在論のヒーローは、フッサールとアリストテレスとオッカム、悪役はウィトゲンシュタインとかダメットとか」と言っていた(うろおぼえだけど)。

あとわりとどうでもいいけど、Simonsが発表の最初で俳句を読んでおり、サービス精神旺盛だと思った。



↓Simonsの著作。流行りの(?)メレオロジーです。

Parts: A Study in Ontology

Peter Simons Parts: A Study in Ontology



あと最近ちょうど機会があって、可能的対象について調べていたこともあって、マイノング主義の存在論に関する発表が興味深い。

マイノング主義というのは、「言及の対象になるようなものは、とにかくどんなものでも存在する。現実には存在しない可能なだけの対象もあるし、丸い三角みたいな矛盾した不可能な対象もある」というすごく極端な立場。そんなに人気がありそうな気はしないけど、結構理論化もされていて、T.Personsという人とZaltaという人の理論が代表的らしい。

これはとにかく変な理論で、私も三浦俊彦の著作やスタンフォード哲学事典の解説を通じてしか知らないのだが、半端な存在をあっさり、しかも大量に認めてしまうなかなか魅力的な体系だと思う。


というわけでここにPersonsの著作を貼ろうと思ったのだが、もう廃刊になっており代わりにWebで無料公開されていたのを見つけたのでリンクを貼っておきます。

引越しました。

そういえばここに書いていなかったので書いておきます。

横浜市港北区民になりました。

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