某所でこみやさんと議論になったのでそれについて書きます。

多くの人にとっては、「こみやさん」との議論も読めませんし、「こみやさん」も知りませんし、意味がわかりにくいでしょうが、主としてこみやさんへの返答を意図しています。



テーマは、「心的なもの(あるいは命題的態度)は原因になりえるか」です。

わたしは「心だって物事の原因になる派」。こみやさんは「心は物事の原因にならない派」です。


正確に言えば、こみやさんの結論は、「行為の説明は因果関係による説明になっていなければ説明として完結していないというデイヴィドソンの主張はおかしい」という部分にあるようです。

これについては、わたしはまだ主張の要点がよくわかっておりませんので判断は保留します。


ただ、その結論を述べる過程で、こみやさんは、「心は原因にならない」という立場をとっておられるようです。また「彼は怒ったので急に立ち上がった」のような日常的な文は、「因果関係を述べるものではない」と主張しておられる。

一方、わたしは、「心だって原因になることがある」派であり、

  • 「彼は怒ったので急に立ち上がった」

のような文は、

  • 「彼が怒ったこと」を原因として
  • 「彼が急に立ち上がったこと」が生じた

という因果関係の言明であると見なしています。この点が対立しています。


「彼は怒ったので急に立ち上がった」は因果関係の言明だよ派
  ├─「彼は怒ったので急に立ち上がった」は適切であるよ派 --> わたし
  └─「彼は怒ったので急に立ち上がった」は適切でないよ派
「彼は怒ったので急に立ち上がった」は因果関係の言明じゃないよ派
  ├─「彼は怒ったので急に立ち上がった」は適切であるよ派 --> こみやさん
  └─「彼は怒ったので急に立ち上がった」は適切でないよ派

正確に言えば、「彼は怒ったので急に立ち上がった」は「間違った因果関係の言明である」という立場もありえると思うのですが、こみやさんのとっておられる主張は、「これは因果関係以外の何か別のことを述べている」というものです。

なお、上の図を作成するために「派閥ジェネレーター」を利用しました。

http://howdyworld.org/habastu/



一方わたしはこみやさんが「因果関係の言明であるために必要な条件」としてあげているものは強すぎて、あまりに多くのものが因果関係の言明と見なせなくなってしまうと考えています。これについては後述します。





ケース: 殺意のある男

心的なものが原因にならないという主張のために小宮さんが持ち出したケースがあります。


ある男がいて、何かの薬を買ってきて毎日少しずつ妻の食事に混ぜている。男は妻を殺そうと意図しているため、毎日少しずつ薬を妻の食事に混ぜている。


このとき、「男は妻を殺そうと意図しているので、妻の食事に薬を混ぜる」という文は、

  • 「男が妻を殺そうと意図していること」を原因とし、
  • 「男が妻の食事に薬を混ぜる」を結果とするような、

因果関係の言明なのでしょうか?


わたしはイエスと答えます。

一方こみやさんはノーと答えます。こみやさんがノーと答える理由は、わたしなりに再構成すれば以下のようなものです。

  • 男が妻を殺そうと意図していることが脳の物理状態のような、特定の物理状態のタイプに対応するという想定は疑わしい。
  • 男が殺そうという意図を持っていた期間が、たとえば1ヶ月であったとしよう。
    • この一ヶ月の間、男の脳が特定の物理状態にあったと言えるだろうか。そう考えるためには、寝ている間も、他のことを考えている間も、男の脳内である物理状態のタイプ(殺意スイッチがオンであるというような状態)が実現されていなければならないように思われる。
    • なぜなら、われわれが「その男が殺そうという意図を持っていたのはいつからいつまでなのか?」と問われたならば、「その一ヶ月の間ずっと」と答えるであろうから、「殺そうという意図」に対応する物理状態があるなら、それはその一ヶ月間ずっと続いていたのでなければならない。
    • しかし、そのようなことはありそうにない。
  • ゆえに、「男が妻を殺そうと意図していること」に対応する物理状態は存在しない。
  • 対応する物理状態が存在しないのならば、その出来事は原因となることはない*。
  • ゆえに、「男が妻を殺そうと意図していること」は原因ではありえない。
  • しかし、「男は妻を殺そうと意図しているので、妻の食事に薬を混ぜる」はこの場合正しい文であるように見える。
  • ところが、原因ではありえないものを原因の位置に起く因果関係の言明が正しいはずがない。
  • ゆえに「男は妻を殺そうと意図しているので、妻の食事に薬を混ぜる」は因果関係の言明ではない。

* ちなみにここでこみやさんは実際には「出来事ではない」と述べていますが、これはわたしと「出来事」という言葉の用法が違うためだと思われます。わたしは、そもそも日本語で「...こと」と書かれるような語句はすべて(トリビアルに)出来事を指示するという前提で、「出来事」という概念を使っています(というか、その手の語句が指示するもののことを「出来事」と呼んでいます)。


さて、以上の論証の過程でこみやさんは次の条件を用いています。

条件C: 「xがFこと」という出来事について、Fに対応する自然な物理状態のタイプが存在しないならば、「xがFこと」は他の出来事の原因となることはできない。


わたしは、この条件は強すぎると考えています。これを認めなければならないとすると、われわれが日常的に因果関係の言明であると考えている多くの言明が、実は因果関係の言明ではなかったことになってしまいます。



反例: 傾向性

条件Cは、ある出来事が原因となるために必要な条件としては強すぎます。

これは、「心」をどう捉えるか以前の問題であり、心以外の様々なものがこの条件によって原因の地位を奪われることになってしまいます。


ひとつの例は、「傾向性」です。

傾向性について詳しくは説明しませんが、「可塑性」「弾性」「赤さ」「脆さ」など、反事実的条件文によって表現されるような性質のことです(「一定の力をくわえれば変形する」「一定の速さで衝突すればはねる」「一定の光のもとで見れば赤く見える」「一定の衝撃を与えればこわれる」...)。


こみやさんが利用した条件Cが正しいなら、傾向性に言及する出来事は、原因であることができません。

  • このボールは弾性をもつので、地面に落ちたあと高く跳びあがった。
  • 壁が黄色いので目がチカチカする。
  • このグラスは脆いので、倒れただけで割れてしまった。

...

どれも通常の因果関係の言明に見えます。

しかし、「このボールが弾性をもつこと」「壁が黄色いこと」などに対応する物理状態のタイプは存在しません。

ゆえに条件Cのもとでは、これらも因果関係の言明ではないことになります。


なぜ「壁が黄色いこと」に対応する物理状態のタイプは存在しないのか?

たとえば、壁がy化鉄という物質を表面に含んでいるために黄色いのだとしてみましょう。

「壁の表面がy化鉄を含む」は「壁が黄色いこと」に対応しません。

なぜなら、壁はy化鉄を含まなくても、(他の適切な物質を含んでいれば)黄色いからです。「男が妻を殺そうと意図する」に対応するケースをつくるなら、「途中で構成物質が完全に入れ替わるが、一ヶ月間ずっと黄色い壁」というものを考えることもできるでしょう。

わたしは一ヶ月間あるオフィスに通い、オフィスの壁が黄色いせいで目がチカチカし、目の痛みに悩まされるのですが、その一ヶ月の途中に工事があって、オフィスの壁はまるまる他の材質に変えられているのです。


「y化鉄を含む」は「壁が黄色いこと」に寄与するかもしれませんが、「y化鉄を含む」と「壁が黄色いこと」はぴったり対応しません。そもそも「黄色い」という性質は、人間のような感覚器官を持った生物がいて、はじめて意味をなす性質です。そのような性質にぴったり対応するような物理状態のタイプというものが考えられるでしょうか?



「対応する物理状態が存在しない」というのは言葉のあやであり、「y化鉄を含む」が「壁が黄色いこと」に寄与するだけで、原因であるための条件としては十分なのだと主張することもできません。

もしそう主張できるなら、「男が妻を殺そうと意図すること」についても同じことが主張できます。

「男が妻を殺そうと意図している」が適切であるためには、様々な事実が必要ですし、多くの物理的な性質もそれに寄与しています。

「男が妻を殺そうと意図している」が適切であるのは、たとえば男が手を動かしサイフからお金を取り出して薬を購入したこと、男はその薬が毒薬であるという文を読んでいたこと、男が自分の手を動かし薬を朝食に混ぜたことなどの事実があった場合です。そこに物理的な性質が一切関与していないなどということがあるでしょうか?




わたしの立場

以上で、こみやさんの反論としては十分であると思いますが、わたしの立場についてももう少し説明しておきます。



出来事が原因でありうるためには、どんな条件を満たすべきなのか?

「そんな条件はない」というのがわたしの解答です。

「どんな出来事が原因でありえるのか?」「すべて!」というのがわたしの意見です。

現実に原因ではなかった出来事はありますが、原因であることが不可能な出来事は存在しないと考えます。


たとえば「三世代あとの子孫がデイヴィッドソンの読者であること」というのは、わたしの祖先に実際に起きた出来事ですが、これが何か他の出来事を引き起こしたとは考えづらいです。

しかし、「三世代あとの子孫がデイヴィッドソンの読者であること」が、他の出来事の原因であることは可能であったと思います。

わたしの祖先は、何らかの理由で「三世代あとの子孫がデイヴィッドソンの読者であること」を知り、デイヴィドソンの読者の祖先であることを積極的に引き受けようとするかもしれません。

それによって「三世代あとの子孫がデイヴィッドソンの読者であること」の内実が変化し、他のさまざな出来事がその一部になる。

「出来事」という概念はそういった事態を許容するくらい柔軟なものであるとわたしは考えます。




「...こと」という語句によって指示されているのは何なのか?

「壁が黄色いこと」

「男が妻を殺そうと意図していること」

「三世代あとの子孫がデイヴィッドソンの読者であること」

などが出来事を指示するとして、ではそれらの語句が指示するものは一体何なのか?出来事ってそもそも何?という疑問に触れます。


これに答えるのはとても難しいことです。

わたしは、これらの「こと」語句によって指示されているものがあると考えますし、それを「出来事」と呼びますが、その正体が何であるかを説明することは困難です。

これを説明するのは、「出来事に関する体系的な理論をつくる」作業になってしまうと思われます。


しかしそれを説明しないと納得感は得られそうにないので、答えることを試みてみます。


ところで、ある語句が何かを指示するというとき、われわれは語句が何を指示しているのかを説明するために言語を用いなければなりません。

わたしは、物理的性質・関係を指示する述語しか持たない架空の物理的言語を想定し、それを用いて記述するとすればこうなるだろうという仮定のもとで説明してみます。

(ややこしいですが、出来事は物理的なものだと言ってるわけではありません。物理的言語によって記述すればこうなるだろうと言ってるだけです)。



  • 「xがF」が真である場合
    • 物理的言語によって記述される事実の内で、「xがF」という文トークンを真にする諸事実がある。
    • 「xがFこと」という語句(トークン)が指示するのは、これらの諸事実の内のxに関するもの、「xがG」という形式のものの集合である。
  • 「xがF」が偽である場合
    • 「xがFこと」は何も指示しない。

「壁が黄色いこと」の場合、「壁がy化鉄を含む」という事実は(物理的言語がその文を許容するなら)、「壁が黄色いこと」によって指示される事実の一部です。

「男が妻を殺そうと意図していること」の場合、「男がある薬を購入した」「男はその薬が毒薬であると書いてある本を読んだ」という事実は(物理的言語がその文を許容するなら)、「男が妻を殺そうと意図していること」によって指示される事実の一部です。


「xがG」という形式のものだけを選ぶ理由は、出来事の主体と関係ない事実が入ってくると変だからです。

(たとえば、他の条件だけだと、男が妻の食事に混入していた薬を発明した人とか、その薬が毒薬であるという本を書いた人とか、そういう人に関する事実が混ざってしまう可能性がある。しかしそういう事実も指示されるっていうのは変じゃないかと思うわけです)。


なお、「壁が黄色いこと」と「壁がy化鉄を含む」が同じことを言っているとは言っていません。

「壁が黄色いこと」によって指示される事実の一部が「壁がy化鉄を含む」によって指示される事実であると言っています。つまり同じことについて言っていると主張しています。

すっごくわかりにくいと思いますが、「同じことを言っている」のと、「同じことについて言っている」の対比はこの場合重要であると考えています。



正直この返答については、もっと細部を詰める必要があるでしょう。

xが物理的言語に現われない名前だった場合どうするんだとか、「文を真にする諸事実」ってどういうものだとか、そういうことを明確にしなければなりませんが、この記事を書くためにそういう細部が必要だとも思えませんので以上で止めておきます。というかそれをはじめると「出来事に関する体系的な理論をつくる」はめになります。

コメント(12)

# こみや

「傾向性も原因である」という主張には、さしあたりデイヴィドソンにならって次のようにお答えしておきます。「出来事の因果的条件に言及することがその原因を与えたことになるのは、それに先行するある出来事も存在したという前提の下においてのみである」。


「ボールが弾性を持つ」はボールが跳ねたことの因果的条件ではありますが、ボールが跳ねたという出来事の原因となる出来事は、一定の速度によって落下したボールが地面と接触したという出来事でしょう(同じボールが地面にそっと置かれたならば跳ねない)。


「壁が黄色い」は目がチカチカしたことの因果的条件ではありますが、目がチカチカしたという出来事の原因となる出来事は、なんらかの性質を持った光が目に入ったという出来事でしょう(同じ部屋にいても電気が消えていて真っ暗ならば目はチカチカしない)。


「グラスが脆い」はグラスが割れたことのは因果的条件ではありますが、グラスが割れたという出来事の原因となる出来事は、グラスが倒れたことで一定の衝撃がグラスに加わったという出来事でしょう(同じグラスがそっと横向きに置かれたならグラスは割れない)。


傾向性への言及が因果説明に見えるのは、まさにその因果説明がなされるとき、特定の傾向性の下で生じた特定の出来事の存在を私たちが自明視しているからであるように思います。


このことは、「弾性を持つ」「黄色い」「脆い」等の傾向性に対応する物理状態のタイプが存在するかしないかという点からは独立に言えることです。それぞれの傾向性は物理状態としては様々であっても、それだけではその傾向性は因果的条件であるに過ぎない、ということに変わりはないからです。


なお、ひとつ補足しておくと、私の主張は「心は原因にならない」ではなく、「意図や動機や理由は行為の原因ではない」です。このように限定しても、「殺意」をめぐる目下の議論には影響はないと思われます。

(2009/12/14 11:51)
# at-akada

ええと、ごめんなさい。因果的条件って何でしょう?
デイヴィドソンが使ってる概念なのでしょうか?
ちょっと参照先などを教えてくれるとうれしいです。

わたしは、「ボールが地面と接触すること」と「ボールが弾性をもつこと」の間には、時間の持続の長さ以外の質的な違いは特に無いと思ってるのですが。
(「ボールが弾性をもつこと」だけでは「ボールがはねることは起きず、「ボールが地面と接触すること」も必要だと言うなら、反対に「ボールが地面と接触すること」だけでも「ボールがはねること」は起きず、「ボールが弾性をもつこと」も必要だと言えるように思うのですが。その意味では両者は対等ではないでしょうか?)

(2009/12/15 0:19)
# at-akada

ええと、あとこみやさんの論点を批判するだけではなく、「意図が原因であること」の積極的な理由を書いた方がいいと思うので、それに触れます。


ただし因果関係の定義については、定説も無いのが現状だと思いますので、なるべく因果関係の定義なしで書けることを書きます。
意図が原因であることを必然的に帰結するような強い根拠はあげられないので、弱い根拠をあげます。


-(理由1) 特別な理由がないかぎり、「AのでB」という言明については、「Aこと」が原因、「Bこと」が結果であるような因果関係の言明として捉えるべきである。


この理由は、日本語の「ので」が原因と結果をつなぐ接続詞だからです。
もちろん、例外もあります。しかし、特に理由が無い場合、「AのでB」は「Aこと」が原因、「Bこと」が結果の文だとするのが簡潔な立場でしょう。
そして、「対応する物理状態のタイプが存在しない」は理由にならないというのがわたしの主張です。
ゆえに、「彼は妻を殺そうと意図しているので、妻の食事に薬を入れる」は、「彼が妻を殺そうと意図している」ことを原因とする言明であると主張したいと思います。



-(理由2) 反事実的条件文
「AのでB」という因果関係の言明を「(この状況で)もし仮にAでなければ、Bでないだろう」という反事実的条件文によって分析する説があります(デイヴィド・ルイスが提案するものです)。
仮にこの説を受け入れないとしても、「(この状況で)もし仮にAでなければ、Bでないだろう」を因果関係のテスターとして利用することはできるでしょう。


「彼は妻を殺そうと意図しているので、妻の食事に薬を入れる」
=> 「(この状況で)もし仮に彼が妻を殺そうと意図していなければ、妻の食事に薬を入れないだろう」
この反事実的条件文への変換は成立しているように見えます。後者も成り立ちそうに見えますし、前者を述べる人は後者のようなことも述べなければならないように思えます。
そして後者のような反事実的条件文が帰結するということは、一つめの「ので」文は、「彼が妻を殺そうと意図していること」が「妻の食事に薬を入れること」の成立に寄与していることを述べているのではないでしょうか。


わたしは、これを「彼は妻を殺そうと意図しているので、妻の食事に薬を入れる」を因果関係の言明と見なす理由のひとつにあげたいと思います。


(2009/12/15 0:48)
# こみや

「因果的条件」はデイヴィドソンが「行為・理由・原因」の中で用いてる言葉です。彼はその論文の中では、状態や傾向性と出来事を区別し、状態や傾向性それ自体への言及だけでは原因を与えたことにならない、と考えているようです。


「出来事とは何か」などという問いには私も入りたくはありませんが、さしあたりボールや壁やグラスの「性質」と「出来事」とを区別することは、両者をともに出来事だと言うよりは自然な言葉使いのように思います。


また、両者を何と呼ぶにしても、「原因を与える」という点において、「どちらも必要である」という点からは「両者が対等である」という主張は導けないと思います。「そのグラスは脆かったので割れた」はグラスが割れたことの因果説明として不十分に感じます(「なぜ割れたのか」とさらに聞きたくなります)が、「そのグラスは倒れたので割れた」は必ずしも不十分には感じません。そのかぎりで、「因果的条件」と「原因となる出来事」を区別する議論には妥当性があると感じます。


いずれにしても、殺意の例が傾向性言明の例と対応しないなら、私の議論への反論としては不適切に思います。私の用いる因果の概念が狭いというのであれば、適切な因果の概念のもとでは目下の殺意の例も因果説明でありうる、と主張されるのでなければ、私の議論の反論にはなりません。


また、at_akadaさんの「出来事」概念はデイヴィドソンのそれとも異なるようですので、私が反論を目指すデイヴィドソンの主張とat-akadaさんの主張の差異が明確にならない限り私も応答しづらいです。


よって「傾向性も原因である」という主張へのお答えはさしあたりここまでにして、「積極的な理由」への反論に移ります。

(2009/12/15 10:21)
# こみや

■理由1に対する反論
・因果説明ではないような「AのでB」という言明はありふれたものである。


・ソロホームランを打ったので1点入った
・夏休みなので授業がない
・法律で認められているので同性同士が結婚できる
・1個100円のリンゴを5個買ったので500円支払った
どれも「ので」の用法の「例外」と呼べるような特異なものではなく、極めてありふれた言明に思いますが、同時にどれも因果関係の言明ではないでしょう。


つまり、「ので」という接続詞は因果関係の言明としてだけでなく、規則や規範についての言明としても頻繁に用いられるのであり、それゆえ前者がデフォルトで後者が例外ということはできないと考えます。


以上により
「AのでB」という言明は(特別な理由がないかぎり)因果関係の言明として捉えるべきである
という主張に私は反対します。


理由2に対する反論は、書いていたら長くなってきて出かける時間になりましたので、また後ほど。

(2009/12/15 10:36)
# こみや

■理由2に対する反論
・目下の例の場合、反事実的条件文は因果関係のテストにならない。


反事実的条件文を因果関係のテストとして用いることをめぐる議論について、私はよく知っているわけではありません。しかし素朴に考えて、at_akadaさんの書かれた
・(この状況で)もし仮にAでなければ、Bでないだろう
は、(少なくともそれだけでは)因果関係のテスターにはならないと考えます。


at_akadaさんの書かれた反事実的条件文をクリアするけれども、明らかに因果関係の言明ではない例をひとつ挙げます。
・法律で同性婚が認められているので同性同士で結婚できる
という文について
・もし仮に法律で同性婚が認められていなければ、同性同士で結婚できないだろう
という反事実的条件文は問題なく成立するように思います。しかしだからといって、元の文が因果関係の言明であるということにはならないでしょう。


したがって、少なくともat_akadaさんの書かれた反事実的条件文のテストをクリアすれば、「AのでB」は因果関係とみなせる、とは言えません。


以上が、理由2に対するミニマムな反論です。


以下はもう少し積極的な考察ですが、おそらく反事実的条件法が因果関係のテストとして持ち出されることができるのは、at_akadaさんが書かれている内容に、いくつかの条件を加えたときなのだと思います。たとえば
・AとBはともに出来事である
・AとBはそれぞれ独立したことがらである
等々。


そうした条件を加え
・AとBがそれぞれ独立した出来事であるとき、Aが生じなかったならばBも生じなかっただろう、と言えるなら、AはBの原因である
というような書き方をするなら、このような反事実的条件文を因果関係のテスターとすることに私もとくに異論はありません。


しかし、この場合には、同性婚の例がそもそもこのテスターにかけられる対象から外れる(「法律で同性婚が認められている」「同性同士で結婚できる」は、それぞれ独立でもなければ、出来事でもないように思います)のと同様に、私が挙げた殺意の例もテスターにかけられる対象から外れることになるように思います。私が挙げた例では、「夫が殺意をもつこと」は、(少なくともデイヴィドソンの言う意味での)「出来事」ではないからです。


先のミニマムな反論に以上を加えて、私の挙げた例に対して反事実的条件文の成立をもってそれを因果関係の言明とみなせる、という主張に私は反対します。


(この後さらに別のことをもうちょっと書いていたのですが、長くなったうえに、今少し考えたいことも出てきましたので、さしあたりここでボールをお返しします。)

(2009/12/15 19:12)
# at-akada

ええと、とりあえずあんまりいそがなくてよいですよ。
わたしもすぐにお返事できるとはかぎりませんし。


一応、細かい補足から。
わたしは「性質」と出来事はわけています。
性質というのは「赤いこと(赤さ)」のように、主体から抽象化されたあり方のことです。
一方、わたしが主張しているのは「このトマトが赤いこと」のような「S V こと」という語句が出来事を指示することです。


(2009/12/15 22:56)
# at-akada

ちょっと思ったのですが、こみやさんが「長く持続するような状態は出来事ではないし、原因でもない」という立場をとっている以上、「意図すること」のような、持続する状態は原因ではありえないですよね。
しかしその場合、心がどうかという問題以前のところで、「意図することは原因ではない。なぜなら長く持続するような状態だからだ」ということになってしまいます。


それもどうかと思うので、少し補助線を引いておきます。
この場合重要なことは、「ぱっと現われて、すぐ次の出来事を引き起して去っていくような出来事である」かどうかではないと思います。もし日本語の「出来事」とか「原因」にそういう意味しかないというのなら、それらの概念にこだわる必要もないでしょう。
問題はむしろ、「因果的効力を持つかどうか」にあるのではないでしょうか。


たとえば、「重さ」を考えてみてください。重さは因果的な力を持ちます。重いものは簡単に動かすことができませんし、衝突すれば衝撃を与えます。
われわれは単に空間を移動する場合にさえ、物の重さに関心を払わずにいられません。


争点になるべきは、「原因と呼べるか」というラベルの問題ではなく、そのような因果的な力を「意図すること」が有しているかどうかでしょう。
(因果的効力を定義するのはやはり困難なので、イメージを伝えるだけで失礼しますが)。

(2009/12/15 23:05)
# at-akada

この辺はさらにいっそううまく伝えられる自信がないのですが、わたしは「妻を殺そうと意図すること」はそういう因果的な力を持っていると考えます。
以下、論証にはなってませんが、ちょっとネタもつきてきたので、わたしの抱いている直観的なイメージを描いてみます。


何度か確認しているようにわたしは「妻を殺そうと意図すること」という物理的な状態があると思っているわけではありません。
わたしの考えでは、心に関する言明は、きわめて文脈に依存的なものであり、そのつど違うことを指示しえます。
「妻を殺そうと意図すること」という表現が使われるたびごとにその内実は千差万別でほとんど共通点はないかもしれません。


しかし、それらの表現は、人の状態を指示します。それが指示するのはたとえば、「こう問われたらこう答えるだろう」という男の状態であったり、「妻に会うときどんな反応をするか」という男の状態であったり、どんなきっかけで怒るかという状態であったり、どんな行動を起そうとするかという状態であったりする。

そんな風に物理的なものも感情的なものも論理的なものも入りまざった状況を前にして、人は「男は妻を殺そうと意図している」というラベルをあてがう、という見取り図をわたしは描いています。
それらの個別的な状況に置かれた人の(個別的な)状態は因果的な力を持ちうるのではないでしょうか。
(そこに見出される「因果」は単に経験則的なものかもしれませんが、それでも因果の表現であるだろうと思います)。


そして「男は妻を殺そうと意図しているので、妻の食事に薬を入れる」のような、「意図すること」が「ので」による説明の役割を果たすのは、そのような種々の事実に支えられた男の状態が実際に「妻の食事に薬を入れる」のような結果の成立に寄与している場合であると考えます。
(あんまりデイヴィドソンの主張を参照せずに述べていますが、一応「トークン同一説」からそれほど遠くない説を述べているつもりでいます。「行為・理由・原因」は読み直してみます)。

(2009/12/15 23:35)
# こみや

まず最初に述べておきたいと思うのですが、「原因とは何か」や「因果的効力とは何か」といったことを可能な限り明示する責任があるのは、因果関係を主張する側にあるはずです。でなければ、目下の殺意の例が「因果説明である」と言う主張の内実がわからなくなってしまいます。


他方私のほうの仕事はと言えば、「原因」とか「因果的効力」とか言った語の与えられた用法にしたがったとき、目下の例を因果説明とみなせない、という主張をすることだと考えています。


さしあたりここまでの言葉使いについて説明しておくと、私は「原因」と呼びうるものに「出来事」という表現をあて、「因果的効力」なるものについては、日常語で「引き起こす」とでも表現できるような力を想定していました。それがどこまで適切かについてはそれほどの自信があるわけではありませんが、突飛なことを言っているつもりもありません。


心的因果について言えば、たとえば「意図」なるものを特定の心的状態のタイプや脳状態のタイプ(出来事)であると考え、それが行為の原因である(=行為をひきおこす)と言う「行為の説明」があるわけです。私の例が、まずはそうした説明への反例となっていることは、ご了解いただけていると考えているのですが、よろしいでしょうか。


その上で、「原因」という語の使用法についてもう少し述べておくと、私は時間的持続によって「原因」と「因果的条件」を区別しているわけではありません(デイヴィドソンもおそらくそうしてはいないと思います)。たとえば、
・雨が降っていたので地面が濡れている
・ずっと机が置かれていたのでカーペットに跡がついた
どちらも因果関係の言明であり、「雨が降っていた」「机が置かれていた」は、どちらも相当の時間幅を持つ状態ですが、それは出来事であり、原因であると素朴に思います。そういう意味では、私は物理的な状態は何であれ「原因」でありうると考えています。


しかし、at_akadaさんの「傾向性」の例に私が反対したのは、物理的状態が何であれ原因で「ありうる」からといって、特定の因果関係について、そこに関連する物理的な状態がすべて「等しく(対等な権利で)原因である」とは言えないと考えたからです。


「そのグラスは倒れたので割れた」という例でも、関連ある(結果の成立に必要な)物理的状態はいくつも考えられます。「倒れたこと」「グラスの脆さ」だけでなく「倒れた場所の堅さ」「重力の強さ」等々。そして通常私たちは、そうした関連ある物理的状態のすべてを「割れた」ことの「原因」に挙げたりはしないわけです。であるなら、関連ある物理的状態のうち、特定のものを他のものより重くあつかって「原因」と呼ぶことを私たちはしていることになるのではないでしょうか。


おそらく、そこにはat_akadaさんの仰るとおり、「因果的効力」についての何らかの考え方があるのでしょう。関連するさまざまな物理的状態の中には、「まさにそれによって結果となる出来事が引き起こされた」と言いたくなる特定のものがあり、おそらくデイヴィドソンはその特定のものに「出来事」という身分を与えて「原因」と呼び、他のものを「因果的条件」と呼んでいるのではないでしょうか。その区別(それを何と呼ぶにせよ)は、私には納得がいくものに思えます。


さて、この議論の含意は、もしそうであるなら、特定の因果関係について、その成立に関連ある何らかの物理的状態を挙げるだけでは、その因果関係における「原因」を特定したことにはならない、ということだと思われます。「傾向性がある」と言うことは、仮にその傾向性が当の因果関係に必要不可欠であったとしても、それだけではそれを「原因」と呼ぶことを正当化しないのではないか、ということを先のコメントで私は言いたかったわけです。


このことはもちろん、心的因果の問題にもあてはまります。「行為Aへの意図をもっている」ことが(タイプ同一的にであれトークン同一的にであれ)何らかの「状態」を指示していると考えることができる、と言ったからといって、その「状態」は(それだけでは)行為Aの原因である(つまり他ならぬその状態によって行為Aがひきおこされた)とは言えないだろう、と私は思います。だから、デイヴィドソンも「状態の出現は出来事だ」というような言い方をしていたのだと思います。


いずれにせよ、これは「原因」とか「因果的効力」といった語の用法に関わる問題ですので、私の用法が不適切であれば、より適切な用法をご教示いただければ、また考えたいと思います。

(2009/12/16 20:16)
# こみや

さて、以下はより積極的な私の考えです。


目下の例である
・「男は妻を殺そうと意図しているので、毎日妻の食事に薬を入れる」
について、私には、at_akadaさんはこう主張しているように見えます。


・「男は妻を殺そうという意図している」は、男の状態を指示している
・指示された「男の状態」と、「毎日妻の食事に薬を入れる」という行為が、「ので」という接続詞によって繋がれているのだから、この文は「男の状態」が行為の成立に何らかの寄与をしていることを表現している
・それは個別的な因果関係である


(「因果的効力」の話でいえば「寄与する」という表現の意味するところをより明確にしていただきたいところですが、それはそれとして)もし上記の理解が正しいなら、私は一番最初の前提
・「男は妻を殺そうという意図している」は、男の状態を指示している
に反対することで、上記の議論全体に反対します。


私の考えでは、「男は妻を殺そうという意図している」は、いかなる意味でも、男の状態を指示してはいません。むしろ、それは単に、「男は妻を殺そうとしている」の異なった表現(言いかえ)である、と主張します。そして、「妻を殺そうとしている」は、男の状態の指示ではなく、「毎日妻の食事に薬を入れる」という男の行為の再記述です。したがって私の考えでは、「男は妻を殺そうとしている」は、男の状態を指示しているのではなく、毎日の男の行為に解釈を与えているのです。


行為に解釈を与えることは、ある行為に異なった記述を与えることで、その行為をより「わかる」ものにする(つまり説明する)ことです。このとき、新たに与えられた記述に指示対象があるとすれば、それはは元の行為そのものです。目下の例で言えば、「殺そうとしている」に指示対象があるとすれば、それは「毎日妻の食事に薬を入れる」という行為そのものです。したがって、両者は同一の行為なのですから、「殺そうとしている」と「毎日妻の食事に薬を入れる」のあいだに因果関係を考えることはできません。


「殺そうとしている」が、「殺そうと意図している」とか、「殺意を持っている」とかいうように別の表現を与えられるからといって、それらの表現が行為とは独立の「意図している」「意図を持っている」といった「状態」を指示していると考えてしまうのは、言語形式に惑わされたゆえの誤謬であるように私には思えます。


このように考えるとき
・「男は妻を殺そうと意図しているので、毎日妻の食事に薬を入れる」
という文における「ので」の説明力は、行為に与えられた元々の記述と、再記述によって新たに与えられた記述との関係に依存する、と言うことができるように思います。「殺そうとしている(殺意をもっている)」という再記述は、「毎日妻の食事に薬を入れる」という記述との関係において、それをより「わかる」ようにしてくれる(説明する)わけです。他方、「なぜ毎日妻の食事に薬を入れているのか」と問われて「空を飛ぼうとしているからだ」などと男が答えるなら、その「意図の表明」を私たちは行為の説明として受け入れないでしょう。


したがって私は、意図に言及して行為を説明することの説明力は、ある対象が別の対象の成立に寄与する力(因果的効力)にではなく、同じ行為に与えられる解釈(言いかえ)の適切さにかかっている、と主張します。そして、その説明力は、「なんで窓が割れたのか」と問われて「ボールがぶつかったから」と答えるときのそれよりも、「なんで授業がないのか」と問われて「夏休みだから」と答えるときのそれに類似しているだろうと思います。

(2009/12/16 20:34)
# at-akada

コメントありがとうございます。
こみやさんの主張についてはだいぶ明確になったと思います。少し読んで考えさせてください。


一点だけ。
>まず最初に述べておきたいと思うのですが、「原因とは何か」や「因果的効力とは何か」といったことを可能な限り明示する責任があるのは、因果関係を主張する側にあるはずです
一般論としてはよいのですが、「因果関係」のような基礎的語彙についてこれが成立するかどうかは疑問です。

「因果関係がある」とか「何かがある」と言うたびに、「因果関係とは何か」とか「あるとは何か」を説明するのは事実上無理ですし、そもそもこの手の基礎的語彙の場合「原始的概念なので定義はできない」という立場もありえます。
「因果的効力」は耳なれない言葉なので説明すべきだと思いますが、これを持ち出したのは、「こみやさんは原因の概念を持続の長さと関係づけている」という前提の上でしたので、今やあまりこちらにこだわる必要をわたしは感じていません。
いずれにせよ、今日はこれくらいにして、もう少し考えます。

(2009/12/17 1:13)

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