2010年3月

GCOEワークショップ フィクションの哲学

http://www.carls.keio.ac.jp/2010/03/gcoe2010327.html

昨年末に清塚邦彦氏が上梓し、大きな注目を集めている

フィクション論『フィクションの哲学』(勁草書房、2009年)をめぐるワークショップを行います。

参加無料・登録不要ですので、ぜひご参加ください。

日時:2010年3月27日(土)14:30~18:00

場所:慶應義塾大学三田キャンパス東館4階セミナー室


【提題者】

清塚邦彦(山形大学人文学部 教授)

森功次 (東京大学大学院博士課程)

鈴木生郎(慶應義塾大学大学院博士課程)

【司会】

飯田隆 (慶應義塾大学文学部 教授)

万難を排して出席することにしました。

Peter Lamarque, "The Death of the Author: An Analytical Autopsy," British Journal Of Aesthetics, 40:4(1990), pp. 319-31.


Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology, ed. Peter Lamarque, Stein Haugom Olsen(Blackwell, 2003), pp. 433-41.

Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies)


Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies)


ラマルク「作者の死 - 分析的検死」という論文を読みました。

ラマルクは、分析美学(分析哲学の中の美学・芸術哲学)の研究者です。サブタイトルに「分析的検死」とあるように、本論文は、分析哲学というフランス現代思想とはずいぶん異なった学問的伝統に属するラマルクが、フーコーとバルトの著名な「作者の死」の議論を、分析哲学の流儀でまじめに取り扱ったものです。

対象となる論文は、フーコー「作者とは何か」、バルト「作者の死」の2本です。


物語の構造分析

フーコー・コレクション〈3〉言説・表象 (ちくま学芸文庫)



わたしも改めてこの2本の論文を翻訳で読んだのですが、この辺りの論文は、2人の書いたもののなかでも、特にアジテーションの色彩の強いもので、ほとんど論証しているようには見えません。

ところがラマルクは、これを非常にベタな哲学的議論として再構成し、検討と反論をくわえています。あれだけふわふわした文章をよくここまで再構成したと、個人的には非常に感心しました。


以下簡単に要約を。

まず、フーコー、バルトの論文では、歴史的に誕生し、死んだ(死ぬべきだ)と言われている「作者」は3通りに解釈できることが指摘されます。

  • 1. あるカテゴリーの人 (writer-as-author)
  • 2. あるカテゴリーの批評(author-based criticism)
  • 3. あるカテゴリーのテクスト(authored text)

これらのうち、1番目と2番目の解釈だと、彼らの主張はもっともらしく、穏当でもあるが、ごくふつうの主張になります。ところがこれは、3番目の解釈とは結びつかないし、どうもフーコー、バルトの本当の意見のようには見えません。

一方3番目の解釈で読むと、彼らのテーゼは非常に過激であり、おもしろくもあるが、非常に極端で同意しがたい意見となり、あげられている議論も失敗していると、ラマルクは主張します。


20年前、10年前にとっくに紹介されているべきものだったと思います(発表は1990年)が、今読んでも十分におもしろいです。

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