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GCOEワークショップ フィクションの哲学
http://www.carls.keio.ac.jp/2010/03/gcoe2010327.html
昨年末に清塚邦彦氏が上梓し、大きな注目を集めている
フィクション論『フィクションの哲学』(勁草書房、2009年)をめぐるワークショップを行います。
参加無料・登録不要ですので、ぜひご参加ください。
日時:2010年3月27日(土)14:30~18:00
場所:慶應義塾大学三田キャンパス東館4階セミナー室
【提題者】
清塚邦彦(山形大学人文学部 教授)
森功次 (東京大学大学院博士課程)
鈴木生郎(慶應義塾大学大学院博士課程)
【司会】
飯田隆 (慶應義塾大学文学部 教授)
万難を排して出席することにしました。
■ 感想
ふだんのゆるふわ形而上学読書会メンバーと数名で開催。
本の性格を考えると、文学系の人が来てくれたのは大変よかったですね。わたしも文学理論や文学の哲学の話は元々の関心ではあるんだけど、ふだんあまりその話をする機会がないので、そういう話がいっぱいできて満足。
なお、3月には著者さまを呼んで開催する公式検討会もある予定だよ!
■ 『フィクションの哲学』について
- 前半「作者と語り手の分離」という定式化は二つに分裂してないか?
- 1つは、物語的な語りの特徴として捉えられた「視点の分離」(あまりうまく表現できない)
- もう1つは、単純に「わたし」が誰を意味するか。および真偽の追求先が誰にあるか
- ノンフィクションは前者は満すけど、後者は満さないよね。
- この本は、重要な主張が変なところにさらっと出てくる。
- しかもかなり大胆な主張してるよね。
- この本の特徴付けだと、私小説って扱いがたくない?
- ウォルトン+清塚の立場って、なんで非主張説のバリエーションじゃないの?
- 作者の関与を認めないから?
- ウォルトン+清塚的には、フィクションというのは「想像を指定する道具」で、使用目的に沿った「公認の想像」が作品の内容とされる。
- 道具の目的は何によって決まるの?というところで、作り手の意図を持ち出したくならないのだろうか?
- ウォルトン+清塚的には、「岩に入ったひび割れがフィクションの機能を持つかもしれない」(スワンプテクスト by kugyo)
- しかしたとえば、アマゾンの奥地で、「鉛筆の機能を持った木の枝」が発見されたとして、それを「鉛筆」と呼ぶか?
- (言わなかったけど)最近の慣習論とか機能論だと、機能を意図に還元しないで、「機能は複製元となった祖先との因果作用によって決まる」という説もある。ただその場合でも、清塚+ウォルトンの「岩に入ったひび割れがフィクションに見える」(スワンプテクスト)は、フィクションの機能を持たないはず。
- あと、岩に入ったひび割れがフィクションに見える例って、アニミズム信仰みたいな話であって、「擬人化」してないか?というのも気になる。「想像を指定する作者を想像してる」のでは?
- conchucame氏の「語り手を想定するのはなぜなの?」という話。
- フィクションの読み方がわからない読者というのも、かつてはたくさんいたはずで、近代読者の誕生みたいな話とも無関係ではないよね、とか。
- あと、最終的には「慣習」を持ち出して、説明が打ち切られるんだけど、慣習って何?って話はもう少しつめたいかな。「規約」だとすると、明示的な合意が必要なので、結局意図に訴えるしかないんじゃないか?とか。
■ 打ち上げにて
- ベタに「本質主義」(に見える立場)を擁護しており、しかも勝てると思ってる人たちがいるというところで驚かれる(主にわたしですが))。
- 分析哲学は「本質主義」を恐れない。
- なぜか?(以下「本質主義」という言葉はとてもルーズに使います)
- 論理実証主義以来、ずっと対決してきた。分析美学の人たちも、「作者の死」を云々するヨーロッパ系の人たちとずっと対決しつつ作者や意図みたいな概念を復活させてきた。
- あと、論理実証主義がある種の「形而上学批判」を徹底させた上に、失敗して派手に死んでくれたおかげで、形而上学批判の問題点がクリアになったという側面もある。
- 論理実証主義は歴史上はじめての「間違えることができた哲学運動」。
- 間違えることができるくらいに明晰な主張をし、しかも研究プログラムをしっかり遂行しようとした(そして頓挫した)。
- そのおかげで、「検証主義」「知覚への還元主義」「規約主義」などというひとつひとつはもっともに見える哲学的主張の問題点が明らかになった。
- 間違えることができるというのは自信につながった。
- (このときは言わなかったが、あとで考えると)自然言語の扱いが単純に進歩したというのもあるよね。「自然言語は曖昧であり、明確な定義や真偽はない」って言われたときに、「それは単純におまえが努力してないからだ。様相文の分析も、時制の分析も、行為文の分析も、反事実的条件法の分析も、みんなできるようになったじゃないか」と言えるようになったというか。
- 一番素朴に見える立場をきちんと批判するのがいかに難しいかというのを噛みしめる日々なので、こういう風にふだん会わない専攻の人と話すと新鮮。
- 「いやわたしは全然勝てると思ってるので」ということで、テクスト論との対決をちょっとする。
- 擁護したい主張は、「解釈に関する言明は真理値を持つ」「その際作者の意図は真偽を左右する」「意図に関する言明も真偽を持つ」などであった。
- 懐疑主義への対応よろしく、「何でもあり派」「複数の矛盾する解釈を許す派」「読者を変数にする派」などに分けて対応する。
- しかし改めて考えると、ほとんど教科書的な懐疑主義への対応に近いものになった。「相手は過剰な不可謬性か極端な懐疑の二択を要求してくるので、そもそも不可謬性は必要ないことを確認する。可謬的な主張の中でよりましなものを選べばよいことを確認する。しかも極端な懐疑はなかでも特にもっともらしくないものであることを確認する」とか。
- この辺の話は、それぞれの業界においていろんな常識があるよねみたいな大人な対応とか、ベタに論争しようとする人とか、対立点をずらそうとする人とか、いろんな言説戦略があっておもしろかった。
- というか、「本質主義」の否定として持ち出されていたのは、繰り返し何度も見たような「柄谷行人が流行らせた過剰に懐疑主義的な観察決定論(行為の事後決定論)」だった気がする。「端的な主張というものはなく、観察者によって主張とされているものだけがある」みたいな。
- kugyo氏は、「解釈に真偽はなく、おもしろい解釈とつまらない解釈があるだけ」という立場らしい。
- 『こころ』を読んであきらかにまったく関係のない小説の内容を読み取る読者(『こころ』を読んでるのに『ももたろう』だと思ってしまう人)は、間違ってるのではなく、極端におもしろくない解釈である、のか?
- じゃあ『こころ』を読んで、全然別のストーリーを読み取ってしまうんだけど、そのストーリーがすごくおもしろかったらどうする?
- 『こころ』についての言明であるということを確保するのが、まずかなり大きな問題になるらしい(細部はよくわからなかった)。
- 意図に言及しないで、どうやってあるテクストを個別化するの?
- 徹底したテクスト論者なので、『こころ』を文字の途中とかで切ったものも『こころ』のテクストらしい。厳密に一致はしないんだけど、一致する部分がかなりあるので、何とか同じテクストについて語ってるように見える?
- 最終的には、独我論 + 心に関する機能主義 + 汎テクスト主義みたいなものになるらしい...。そんな過激な立場だったとは知らなんだ。
- 解釈言明が真理値を持つとして真理メーカーはどこにあるの?と言われる。
- そういえば、David Lewisの"Radical Interpretation"は、デイヴィドソンの話はあまりしないんだけど、「根源的解釈」を「意味に関する事実は物理的事実にスーパーヴィーンするか」問題への解答として理解するという感じの内容だった気がする。
- http://philpapers.org/rec/LEWRI
- 善意の原則とか、いろんなルールを駆使して、欲求、信念、意味に関する事実を相互に決定していくイメージ。
- 細かい部分はともかく、わりとこんな感じで決まるんじゃないかというイメージは持ってるかなー。このプロセスって結局最終的には、本人の生物学的状態とか行動(not 行為)から決まるはずなので、それが真理メーカーになるかな。いや、正直そんなに自信はないけど。あとこれはもちろんフィクションにそのまま適用できる話ではない。
- うまくいくかどうかわからないこの手の試みをあげるより、もっと、なぜ(現状では、有効な真偽の決定手順など無いのに)「それでも真偽はあるはずだと期待するのか?」という話をした方がよいような気もする。
- 人がふだん行なっている解釈(解釈という言葉もあまり好きではないので別の言い方をすれば理解)は、おもしろさではなく、真偽を問題にしているように思える。「この文書で太郎はpと主張している」は、「この文書で太郎はpと主張しているという解釈はおもしろい」ではなく、「この文書で太郎はpと主張していることは真である」と言っているように見えるし、その否定、「この文書で太郎はpと主張していない」は、「この文書で太郎はpと主張しているという解釈はおもしろくない」ではなく、「この文書で太郎はpと主張していることは偽である」と言っているように見える。
- そして、それらの言明と、それらの言明に対する判定が、まったく何の合理性も持たない行きあたりばったりの判定を行なっているようには見えない、というあたりがポイントか。
- あと「解釈のおもしろさ」が問題になることがあるのはわかるのだが、それってかなり限定された特殊な文脈であって、常にそうではないよねと思っているかな。
哲学若手研究者フォーラムいってきました。
肝心の発表はそれほどたくさん聞けなかったのですが、いろんな人と話せて楽しかったです。最近仕事がいそがしいのもあって、勉強もさぼりがちだったのですが、やはりよい発表を聞いたり人と話すことは刺激になりますね。
http://www.wakate-forum.org/data/2009/forum-schedule.php
あと↓ここでの議論が地味につづいています。
学際オントロジー09、2日目の一部だけですが、参加してきました。
いろいろ考えさせられるおもしろい会でした。感想はいずれ。
(最近まとまった記事を書こうとして時間がなくてなかなかアップできないことが多いので荒書きでもとりあえずアップすることにしようかと思って)。
ちょっとだけ感想追加。
哲学の人や工学の人や医療の人がより集ってオントロジーを論じあうカオティックな国際シンポジウムだった。
個人的にはSimonsやB.Smithなどといった存在論界のビッグスター(何)を間近に見れてミーハー的に感激。
一応わたしもエンジニアなので、工学系の発表も興味深く聞いたが、哲学者との志向の違いをわりとまざまざと見せられ、考えさせられるところは多かった。
たまたま見たのがそうだったのかもしれないが、工学系の発表は、「すでにある体系を応用してみた」みたいな思いつき成分高めのものが多く、ハイレベルでアブストラクトな理論的対決を期待した身としてはちょっと肩すかし。
個人的には、どっちかというと工学者・実装者という立場からどんどん理論をつくり出していくようなものを見てみたいなあと思う。
もっと「マイノング主義の体系を実装してみた」とか「OWLが唯名論に基づいてなくて気に入らんので、トロープ説バージョンをつくってみた」とか、そういうのが見たい(どんな工学者だ)。しかしいかんせん日本で工学者が存在論のことを知りたいと思っても、手軽に手に入るようなところに知識は転がってないだろうし、難しいなあと思った。
しかしそういうことを考えるにつけ、「おまえはエンジニアなんだからおまえがやれ」という声がどこかから聞こえてきて、今後がんばりたいと思ったものである。
あと哲学系の発表ではフッサールが大人気。某発表では、フッサールは、マイノングやデイヴィド・ルイスと近い存在論をとっているという発表があったりして、「え、フッサールってそんなばりばりの実在論者だったんだー」と現象学をまったく知らない身としては驚き。
Simonsも「存在論のヒーローは、フッサールとアリストテレスとオッカム、悪役はウィトゲンシュタインとかダメットとか」と言っていた(うろおぼえだけど)。
あとわりとどうでもいいけど、Simonsが発表の最初で俳句を読んでおり、サービス精神旺盛だと思った。
↓Simonsの著作。流行りの(?)メレオロジーです。
Peter Simons Parts: A Study in Ontology
あと最近ちょうど機会があって、可能的対象について調べていたこともあって、マイノング主義の存在論に関する発表が興味深い。
マイノング主義というのは、「言及の対象になるようなものは、とにかくどんなものでも存在する。現実には存在しない可能なだけの対象もあるし、丸い三角みたいな矛盾した不可能な対象もある」というすごく極端な立場。そんなに人気がありそうな気はしないけど、結構理論化もされていて、T.Personsという人とZaltaという人の理論が代表的らしい。
これはとにかく変な理論で、私も三浦俊彦の著作やスタンフォード哲学事典の解説を通じてしか知らないのだが、半端な存在をあっさり、しかも大量に認めてしまうなかなか魅力的な体系だと思う。
というわけでここにPersonsの著作を貼ろうと思ったのだが、もう廃刊になっており代わりにWebで無料公開されていたのを見つけたのでリンクを貼っておきます。
サークル参加はせず、同人誌を見に行っただけ。
宇宙飛行士が温泉に行くマンガを買った。
説明しづらいんだけど、2001年宇宙の旅の宇宙飛行士が宇宙旅行の果て、なぜか実在の温泉に行く話だ。
つげ義春的な描写で実在の(と思われる)温泉旅館の描写が淡々と描かれ、なぜか主人公だけ宇宙飛行士というシュールさ。
売っている人に聞いたところ、秋にはまた別の温泉を舞台にした続編がでるらしい。あー、そういうシリーズなんだ、一発ネタじゃないんだ、というところも驚き。
何というか、こういう「絶対売れるわけねえ。そもそもその企画の意味がわからねえ」みたいな変なものを見つけるのは同人イベントの醍醐味かと思う。
mmwwが書いているモサモサパサパサ社もよかったですね。キモシュール?なうさぎの絵がすげえよかったんだけど、こっちはさらに口では説明しづらい。グッズとかつくったらまかりまちがって売れたりしそう。コピー誌なんだけど、ガロとかに送ったら即デビューできそうな感じだった(ガロ限定で)。
あと、タイトル忘れたけど、手足を切り落された魔法少女などがでてくる悪趣味な魔法少女ものの漫画を買った。「うわあこれは実に悪趣味だなあ」と思った。
どれも商業誌ではとてもやってけそうにないが素晴しいセンスなので、ぜひ今後もがんばってほしいと思った。
他に「売り子がかわいい」という理由だけで買った同人CDが意外とよかったのでよく聴いている。
今回は「音楽部」という同人音楽のコーナーができていたんだけど、次回からは同人音楽、同人ゲームが正式なジャンルとして認められるらしい。同人音楽もだんだんメジャーになってきたのかなあと思う。
全然関係ないけど、同人音楽をやっている人は、事情をよく知らない知り合いなどには「インディーズのバンドをやっていて」と説明するんだろうか。別に嘘じゃないし、インディーズと同人音楽の違いって、流通の違いくらいしか思いあたらないけど(あーでも商業とインディーズだって、結局は流通の違いだし。流通の違いは大きな違いかもしれんと今思った)。


■ 販売について
- 遊びに来てくれた人、買ってくれた人、どうもありがとう。
- 写真にモザイク入れたら卑猥な感じ?になった。くまちゃんはオリジナルのくのいち衣装をつくってくれた上、いろいろ手伝ってくれ、非常に助かりました。
- 期限ギリギリになって増刷したのですが、印刷が間に合って良かった。
- となりのブースの人に本を一冊贈呈するなど、コミケ的な交流を試みていたら、フランス書院美少女文庫を頂いた。
- 002と001と合わせて30冊ほど売れた。なかなかよかった。
- 旧刊(001)の在庫が見つかったのでひっぱりだして売っていた。
- id:mmwwがブログにゼロアカヲチ記事を書いていたらゼロアカの人が取材に来た。売名行為成功
- http://d.hatena.ne.jp/fujita_xamoschi/20080817/1219001776
- その3の最初の方。mmwwがメイン。わたしも後ろの方にうつっている。
- http://www.nicovideo.jp/watch/sm4331265
- はからずも(あこがれの)ニコニコデビューしてしまった......。
■ その他いろいろ
- 渦状言論のブースに行ったら、隣がPLANETSのブースで、東ひろきがPLANETSのスタッフにしきりに絡んでいたのがおもしろかった。
- 宇野常寛はいなくて、スタッフがちょっと困った風だった。
- ペーパーを配っていたのだが、「やっぱ狂ってないとダメだ」って書いていて「なるほど」と思った。
- くまちゃんにコスプレの衣装づくりの話を聞いておもしろかった。そもそも現実にありえない服をいかに再現するかというところにいろいろな苦労があるらしい。
- 同人誌はそんなに買ってない。CDを買ったりしていた。
- イノウエ『乙女トリガー』おもしろかった。
- 乙女にあこがれやまぬ思いがありつつ、乙女ではない自分に対する絶望をかみしめつつ生きているので、すばらしさを感じた。あとこれのおかげで森ガールという言葉を知った。
渋谷駅でおにごっこをする企画に参加しました。
おにごっこというか、しっぽをこっそり抜き合うゲームなので、HUNTER×HUNTERのハンター試験みたいな風情です。
結構ルールがよくできていて、はじめしっぽを3本持っていて、最初のしっぽを守り切ると5点、予備のしっぽを守り切ると1つ1点、他人のファーストしっぽを盗ると3点、他人の予備しっぽを盗ると1点といった感じのルールでした。
20人くらい参加してたかな。
わたしはハンターハンターを思い出しつつ「このゲーム、待ち戦略が有利!」「敵をねらう一瞬に隙ができる!」などと思い、他の人を追いかけている人や他の人とお見合い状態になっている人からしっぽを奪っていました。
結構健闘したのですが、shimにしっぽを2本奪われ、結果は3位入賞となりました。

これから鉛筆を1000本折ります

もう鉛筆しか見えません

緑色の鉛筆が一番やわらかい

鉛筆が折れる瞬間の喜びは何ものにもかえがたい

折れた鉛筆とshimの本棚

新しい鉛筆の折り方を工夫するshim

「これは新しいスポーツとして通用するかもしれない」とM山は語る

鉛筆を1000本折ったところ

勝利のシャンパンをあける

しばらくは折れた鉛筆以外の筆記用具を使わない覚悟です
各方面から批判やたしなめを受け伏せ字になった。日時は今週末日曜日に決定しました。
9/9(日) 13:00 池袋周辺に集まります。
参加希望者は連絡ください。
批判については真面目に反論文も書きかけていたのだが、真面目に反論文など書くと、くだらない企画がしたいという当初の趣旨が失われてしまうのでやめる。
代わりに寸劇と赤田ブログ生成器からの引用をまじえ、ダイジェストでお伝えします。
課長「××くーん、どう? 最近、こっちの方はー?」
ゴルフクラブを振るジェスチャー
××「課長こそ、こっちの方はどうですか? 」
両手で鉛筆を折るジェスチャー
では、なぜ鉛筆を折ることには抵抗を感じ、ゴルフに行くことには抵抗を感じないのか。
それは、ゴルフがすでに人々の間で了解を得られた活動であり、「ゴルフをしたいからゴルフに行く」という説明も、共感まではできなくても即座に理解できるものだからだ。この社会では通常、「ゴルフに行く」と言って、それ以上理由を求められることはほとんどないし、そこには正当化は必要とされない。
横溝正史も、ただの嘘つきだ。のフォルダを示す図のことだ。むずかしい。受験参考書のようにはすでに実現していることと、フランス語ができる。どんな素晴らしい小説であるという話だとわかった。
一方鉛筆を折ることはそうではない。鉛筆を折ることは、まだ誰にも認知されていない遊戯なので、「鉛筆を折ろうと思う」と言うと理由を聞かれるし、なぜそんな破壊が必要なのかと正当化を求められる。
課長「××くん、ひさしぶりに、どう?」
杯を持ちあげるジェスチャー
××「課長こそ、どうですか?」
ひざを使って鉛筆を折るジェスチャー
しかしこれは鉛筆を折ることの方が大規模な破壊だからではない。単に理由が理解できない・説明を求められるような新奇なふるまいだからだ。
単に雑草を抜くのだって、ちぎり捨てただけではまた生えてくるので効果がない。丁寧に根から抜かなければきちんとした破壊を遂行することはできない。効果的に森林を破壊するためには、ブルドーザーを用意して掘り起こすとか、木を切りたおすとか、火の管理をした上で燃やしつくすとか、そういった手段をとるための手間や予算が必要になる。目的のない人間にはそんなことはとてもできない。
ざっくりと整理するのが環境問題にしている。「作品」はそもそも無理だろうから、これまでは検閲できませんとか絵で構成できる。
ショートケーキのイチゴが重要。明子という名前がつく以前からうすうす勘付いてはいるわけでは言いづらいが、すぐに寝たのでそれほど違和感はなくなった...。->間違えたあとに再び<コピー>たる自分の概念で【ありうる】。
これはきわめて微々たる破壊であると私は考える。
鉛筆を無駄に1000本折ることに対する抵抗感は一応理解はできるつもりだが、少なくともそれは、何か外界に対する影響に由来するものではなく、純粋な「抵抗感」であると思う。
意見を変えるためには、説得や感化というプロセスが必要だ。
「エクストリームおしっこ我慢大会」
「水の入った長靴を履いて一日すごす」
「鼻息だけでカラオケ大会」
最近心がとても荒んでいるため、「人を集めてとてつもなく無意味なことをしたい」という衝動が心のヒットチャート第1位をかけぬけている。あと昨日あまり寝ていないため現在思考力が極端に落ちている。昼間仕事(バイト)で打ちあわせをしているさなかに寝てしまったくらいだ。
そういった様々な要因を鑑み、「鉛筆を1000本折るオフ」を開催したいと思う。
目的は、両手を真っ黒にし飛び散る黒鉛に咳こみながら鉛筆を1000本折ることです。
現在考えている会の計画は以下のようなものです。
(1)全員でお金を出しあい、鉛筆を1000本買います。
(2)しかる後に、それを1本ずつ折り、1日かけて1000本の鉛筆を折ります。
(3)皆で力を合わせて鉛筆を折っていくうちになんとなく交流がなされたりします。
(4)たぶん途中でグダグダになります。
(5)見どころは、苦労して鉛筆を1000本折ったあとにはたして達成感が生じるのか?というところです。
念のため確認しておきますが、1人1000本ではなく、全員で協力し、合わせて1000本の鉛筆を折ります。
現在、id:shimという人が家を提供してもよいと申しでているため、場所は確保できています。
あと、shimに相談したところ、「遊究(舍|社)の企画として名前をだしてもよい」と言われたため、一応遊究(舍|社)という団体の企画ということになっています。
しかし、見知らぬ人もお気軽に参加をお申し出ください。
理想を言えば、わたしの見知った人が4~5人くらいいるなかにわたしの見知らぬ人が2~3人いるような状態になると、見知った人に囲まれた安心感と見知らぬ人に対する好奇心のいいとこどりができてよいのではないかと思います。
日時は、参加を申しでた人の都合を聞いて適当に決めることにします。
参加を希望する方は、以下のアドレスにメールをだすか↓のコメント欄で参加を宣言してください。
nightly[at]at-akada.org
誰も参加を申しでなかった場合、おそらくわたしとshimとM山氏の3人でつらい思いをしながら鉛筆を折ることになると思います。
かわいそうだと思った人はぜひお気軽に参加をお申し出ください*1。
「折るという字は祈るという字に似ている」
(今考えたコピー)
- *1: ここで一番かわいそうなのは、まだ参加するとも何とも言っていないのに勝手に数に入れられているM山氏です
■ もよおし
今回はあまり行くつもりはなかったのだが、毎日曜日にやっている英語学習会の後、「今日はコミティアらしいから行くか」という話になった。先週もコミケットに行ったので毎週東京ビッグサイトに行っている感じだ。
やっぱりコミケットとはずいぶん雰囲気が違うなと感じた。コミティアでは、男性の場合、ニット帽を被り、体はひょろひょろだけど妙に眼光だけが鋭い美大生風のお兄さんが売り子をしているイメージ。あとちょっと年齢層が高めの女性の売り子も多いのだが、この手の人は8割以上の確率で和服を着ている。若い女性はロリータ服かバンギャル(死語?)風の服を着ている。
■ まとめ
今日は1日中でかけていたので2chはほとんど見ていません。
UNIX(的なもの)に慣れようと思っているので、2chを見るときは、emacs(正確には使っているのはMeadowだけど)上で動く、navi2chというものを使うことにしました。これを使えば、わたしが2chを見て堕落のままにつき進んでいるだけなのにどんどんemacsの操作に慣れていくという寸法です。
昨日だったかどうかは忘れましたが、最近見たなかで印象に残っているのは、「妹の部屋が飛んでいった」というスレッドです(基本的にいつもそうなのでわざわざ書かないですが、スレッドのタイトルはすべてうろおぼえです)。オズの魔法使いのような現象が起こり、妹の部屋が家から離れて飛んでいって妹が行方不明だから探してくれという趣旨のスレッドでしたが、開始5分も立たないうちに早くも釣り宣言をして人々を混乱させていました(つまりつくり話だったという宣言をしたわけです)。少し前に、コミケに行った妹が行方不明だから探してくれというスレッドが散々人を協力させたあげく釣りだったという事件があったのですが、それを意識していたのかもしれません。当然誰も真に受けていなかったため、わざわざ釣り宣言をする意味がまったくわからず、「いやそれはわかっているから」「この5分の間に何があった」などと動揺を隠せない人々がいい感じでした。
他、「俺が練習するスレ」というのが立っていました。>>1が、「ここは俺の練習用スレッドだから書き込まないで」などと傲慢なことを言い、アンカー(他のレスへのリンク)やリンク、トリップなどを練習したあげく、「もう練習終わったので使っていいです」などと無駄な親切心を発揮していました。
ニュース速報(VIP)板ばかり見ているのもどうかと思うので、シベリア超速報板も見に行ってみました。わたしは北国出身なので、シベリア風の意匠で統一されたこの板はなかなか雰囲気の良いところだと感じました。
■ メタ
日常にひそむメタ。
「厨厨」という言葉を見た。何に対してでも「厨」「厨」と言う人のことらしい。
厨厨言うから厨厨というのは、チャウチャウちゃうんちゃう?のようだ。
■ 名人伝
この話は自分の中(だけ)でおもしろかったのだが書いておかないと忘れそうなので書いておく。
以前id:shimに聞いた話なのだが、shimがシンガポールで講師をしているとき、生徒に「辞書を持ってきて」と言っても通じなかったので、"dictionary"というと、「あ!」とわかった様子で電子辞書を打つ手まねをしたらしい。つまり、今の子供にとって辞書というのは本ではなく、もう電子辞書のことになりつつあるんだねという話なのだが、おもしろかったのは、この話が中島敦の『名人伝』に妙に似ているところである。
(「名人伝」は、弓をきわめた達人が弓矢なしでも的を射られるようになったあげく、弓矢を見て「これは何というものですか?」と言う話)。
■ 感想
- 「オタクとデザイン」第2号
http://www.balcolony.com/otakudesign/otakuto_design/
時間があったので先週のコミケットで買ったものを読んだ。おもしろかった。美少女ゲーム業界でデザイナーをしている人のインタビューが載っていたのだが、自分の知らない業界の人の(つまり業界人の)インタビューはおもしろい。
■ メモ
田中ロミオ(著)
小学館、2007
先月のSFマガジンにレビューが載っていた。竹本泉の漫画を小説にしたような感じらしい。
早川書房、2006
こっちは竹本泉の元ネタらしい。
■ もよおし
手塚氏主催の晩餐に行った。中近東の人らしい陽気な店主が客を煽りまくっており、わたしは「そこの貧乏くさいお兄さん」と言われた(じゃんけんの時間になっても、「貧乏くさいお兄さん、じゃんけんして」と言われたので、それで定着したらしい)。
■ 女神なんてなれないまま生きざるをえない
相変わらずわたしはおっぱいうpに関心を持っているわけだが。
(一応最初にことわっておくと、わたしが「おっぱいうp」と言うときは、「唇うp」「足うp」なども含めておっぱいうpと呼んでいるつもりだ。だって他になんて呼んでよいのかわからないんだもん)。
とりあえず自分でうpしてみたら良い気がしてきた。
と思ってvipを見たらちょうど「25歳♂がおっぱいうp」というスレッドが立っていた。
「あれ、俺もうスレたてたっけww」とwktkしてのぞき、応援のレスをしておいたのだが、すぐに落ちてしまった。
あわよくば>>1に乗じて自分もうpしようと思っていたので残念。
しかし改めて考えてみると自分でスレをたてるのはプレッシャーなので、
「12:00までに1000逝ったら18歳♀がおっぱいうp」
→>>1逃亡
→「おれ男だけど>>1のかわりにおっぱいうpするよ」
→「勇者あらわる! 男だけどおまえのおっぱいはいいおっぱい!」
→「( ゚∀゚)o彡゜オッパイ!オッパイ!」
という流れが理想的かと思う。
しかし、やるやる言ってやらないのはかっこ悪いなと思い(心の中で「うpする」と決めたときにはすでに行動が終わってなければならない)、流れを待たずにさっそくうpした。
暇だから質問に全レスしてる人に「乳輪でかくね?」と言われた。
■ 認識を修正
「おれ、早口だから」と言ったら笑われたので早口ではなかったらしい。
■ 語
リア充の対義語って何だろう。リア貧? ネト充ではないよな。
(はてなキーワードには「ネット生活が充実している」とあるな。ふうん)
あと腐女子のポリティカリーコレクトな言い替え語がそろそろ必要だと思うんだ。
「BL好きの人」?
■ もよおし
- コミックマーケット72
3日目だけ参加。人大杉。
やっぱティアの方が好きだなあ。人大杉問題もあるが、レイヤーがいるかどうかというのも雰囲気を大きく左右している気がする。コスプレなしで人大杉らしいサンシャインクリエイションに行ってみると、コスプレの影響がわかってよいかもしれない。
関係ないけど、なぜ「コミケット」と「コミケ」両方の略称が通用しているのだろう。正式略称(?)はコミケットで、人口に膾炙しているのが「コミケ」? 究極超人Rではコミケットと呼んでいた印象がある。
■ 集めてみた
- ニート
http://www.nicovideo.jp/watch/sm181163
IOSYSのやつ。
- 残酷なニートのテーゼ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm802225
おれこのあいだ札幌で、喫茶店の他の席の人がこの曲の話してるの聞いたよ。
- 『宇宙戦艦ニート』を歌ってみた [いさじ]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm809651
これはランキング1位になってたからみんな観てるだろうと思ったが、ニコニコのランキングを皆が毎日観てるとはかぎらない。
- キューティハニート
http://www.nicovideo.jp/watch/sm465781
- 楽しくなる ニートの歌
http://www.nicovideo.jp/watch/sm575123
出落ちだな。最初だけでいいかも。
■ 現代(の)美学を大いに盛り上げる人たちの団3回目:「グッドマンの美学」
http://plato.stanford.edu/entries/goodman-aesthetics/
最近参加している勉強会。レジュメをここにもあげておくので興味ある人はどぞ。
(長いので、「つづきを読む」のところにあげておく)。
ちなみに内容は、ほとんどただの箇条書きによる要約。
以下、勉強会後に気づいたことをメモ。自分用。
「例示exemplification」はしばしば「象徴symbol」と呼ばれる記号概念に似ている。
- 例示とは
- 「性質の所有」プラス「指示」である。例: 布見本。見本は、ある性質を持つと同時に、その性質のラベルを指示する。見本にとっては、一部の性質のみが関与的relevant。例えば布見本の場合、例示されているのは、「色」と「質感」だけであり、大きさや形は関与的でない。
- 象徴とは
- 記号と指示対象が一体化しているとき、その記号が象徴であると言われる。例は、「神の像」が神を象徴する場合や、天秤によって「公正」を象徴する場合。
後者の「象徴」概念はソシュールに由来する。他方グッドマンはパース由来の「symbol」概念を用いているため、グッドマンの「symbol」は単に記号一般のことを指す(2つの象徴概念の違いについては、佐々木健一『美学辞典』などを参照)。
単にこの2つって似てるよねってことに気がついただけ。
グッドマンの「体系sytem」概念は、ローカリティを含まない。
たぶん含まない。グッドマンの記号体系は弱い意味でのコンテクストであるが、「今ここ」と呼ばれるような強い意味でのコンテクストの話ではない。ただし、「今ここ」的なコンテクストの話を含めて考えようとするならば、「投射projection」の概念と「例示」の概念を利用できるかもしれない。
グッドマンには関与性relevanceの概念がある。自分の概念として用いているわけではないかもしれないが、発想としてはある。特に「例示」は関与性に関わる概念として設定されている。
http://socinfo.g.hatena.ne.jp/contractio/20070428
不安な気持ちで出かけたのだが、ためになる話もいろいろと聞け、よい会であった。
- 劇団俳優座 LABO 21『地獄の神』
http://www6.ocn.ne.jp/~haiyuza/Pages/god.html
■ あらすじ
アメリカウィスコンシン州の片田舎で暮らす老夫婦が、ヘンな男を匿ったところ、その男を追うヘンなセールスマンがやってきて、謎の国家的陰謀に巻き込まれひどい目にあう。
■ 感想
経緯: zucasa 氏にチケットを譲り受けたため、新劇の公演を見に行くことになった。自分ではまず見に行く機会がなかっただろうから、よかった。
最初に悪いことを書く。
全体に漂う戦後民主主義的雰囲気 (?) というか、とにかく「社会が悪い」的世界観はかなり気に障った。具体的に言うと、パンフレットに書かれていた演出家の文章が「環境問題が悪化して地球はもう終わりだ。なぜ環境問題が悪化するかというと人々が環境より経済合理性を重視するからだ。しかしこんなことを書いている私もグローバリゼーションの恩恵を受け、おいしいコーヒーを飲んでるので云々」といった趣旨のものであり、かつそれとあいまって SE に原発批判ソングなどが流れていたことが私の心をだいぶなえさせた。
脚本自体はイヤな話だがおもしろかったと思う。上のあらすじだとどこがおもしろいのかわからないと思うが、次のような部分がおもしろかった。この劇では、最初から最後まで老夫婦が巻き込まれた陰謀がどんな陰謀だったのかは明かされない。匿われた男は何かに汚染されているらしく、「彼は保有者です」「汚染されています」と何度も言われる。あと彼がほかの人や植物に触れると、強力な静電気のような稲妻が走る。途中プルトニウムの話も出てくるが、核と関係があるわけでもなさそう。とりあえず汚染されているらしいことと、なにかの軍事作戦に利用されようとしていたことだけがわかる。
また「ロッキービュート」という地名が繰り返しほのめかされる。前半では、匿われた男が、ロッキービュートと聞くたびに、動揺して口止めしようとする。後半では、男を連れ戻しに来たセールスマンが「ロッキービュートへ行くぞ」と言う。ロッキービュートがどういう場所で、そこには何があるのかは最後までわからない。
要するに、陰謀の「陰謀っぽさ」をうろ覚えで再構成したような印象派的陰謀描写がおもしろかった。ちなみに、豆知識だが、こういうのを「マクガフィン」というのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%AC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3
マクガフィンという言葉はアルフレッド・ヒッチコックによって考案されたとされる。
「あの棚の上の荷物は何だ」と聞く。
もう一人が答えて「マクガフィンさ」
「何だそれは」
「スコットランドでライオンを捕まえる道具さ」
「スコットランドにはライオンはいないだろ」
「じゃ、あれはマクガフィンじゃないな」
ほか、アメリカの老夫婦の「アメリカの田舎の老夫婦っぽさ」などもそれっぽいのでおもしろかった。
前半の「社会は悪」的世界観を見て、「これは世の中をよく見てないし、想像力がまずしいのではないか」と思ったが、演劇はさすがに演劇なので、陰謀のそれっぽさや老夫婦のそれっぽい台詞などは世の中をよく見てる感じだった(「あー、こういう人いるわ!」)。しかし逆からみると、この戯曲のマクガフィン的陰謀描写は、「国家というのはなんだかわからない不条理なもので、理不尽な理由でひどい目にあわせてくるものだ」という世界観にもあっているのかと思った。つまり総合すると、会話などのレベルでは世の中をよく見ているが、国家のようなレベルの物事については、「なんだかわからないが、家族などの相互行為に干渉してきてひどい目にあわせてくるもの」といいうくらいの認識しか持っておらず、おお、これは要するにミクロ - マクロ断絶演劇だと私は思った。
だまし絵とか幻想画とか寓意画とか60年代アングラの香りとか、私は好きなので楽しめた。あと機関車がたまらん。円筒が機関車みたいになったヘンなオブジェーがぐわーって感じで好きだった。
初期の高橋葉介の絵を思わせる部分がちょっとあったので、実はこの辺に元ネタが?などと思ったが全然関係ないかもしらん。
M川と行った。バーミヤンでだらだらご飯を食べた後展覧会を見て、それから新宿に行った。
しゃべったこと。
ニコニコ動画は何に似てるか。あのコメントはギリシア悲劇のコロスや、コメディのラフトリックのような鑑賞者の代弁者を、鑑賞者自身がつとめるというものである。
三角関係について。漫画や小説における三角関係がいかに重要かという熱弁を聞く。最近のおすすめは『さくらんぼシンドローム 』だとか。「数学史における三角形と、文学や漫画における三角関係の流れにはあまり関係がなさそうだ」ということに最近気がついたらしい。
ルーマン・フォーラム宗論構想発表会
■教訓
形式はきちんとふまえよう。目的/先行研究の紹介/批判/代替案という形におさめないとまず評価の対象にしづらいよ。レトリカルにごまかさず、形式にのっとった上で「なんか新味」を出すのが大事だよ。ということをおもに言われたのだと思った。
確かに、「どうやったら社会学に見えるか(どうやってごまかすか)」よりは、そっちの方が大切かもしれないと感じ入った。
■反省と展望
- ある文字列をフィクション(小説)だと同定すること。
- 同定されたものを、フィクションとして扱うこと(フィクションの読者になること)。
この2つはまったく別のことだ(読む段階ではふつう同定は終了している。また、同定された小説を「フィクションとして」以外のやり方で扱うこともできる)。
と言いたかったが、なんだかもごもごしてしまい、いまいちうまく説明できなかった。原稿を書いている段階で、きちんと整理できてなかったのが悪かった。
しかし、これは日本語に対応する表現がないので、言い分けるのがむずかしい。「フィクションというジャンルに属するテクスト」と「フィクションすること」?
むしろ以下のようにわけるべきか。
- 1)文字列
↓a)同定
- 2)「誰某の小説」として同定されたもの
↓b)利用
- 3)フィクションという営みに参与する
「テクスト」や「フィクション」という概念は、実はこの3つのレベルをごちゃまぜにしている可能性がある。その辺を整理するだけで、ある種の議論を解きほぐせそうな予感はちょっとする。
それぞれのレベルについて言えば、「a)同定」を扱うことは、それほどむずかしくない。基本的には「様々なやり方をもって同定することができます」という話だと思う。
むずかしいのはむしろ「b)利用」の方だ。これを「限定された範囲でのみ通用する知識として利用する」ことだとしたいのだが、うまくいくかどうかはわからない。「限定された範囲」を「可能世界」とは違ったものとして示せれば、それなりによい気はする。あとこれは、ひょっとしたら「場面の範囲はどこまでなのか」という話とパラレルになるかもしれないと軽く思った。
■今後
今後の道としては...。
- ケンダル・ウォルトン『メイクビリーブとしてのミメーシス』を読む。
これについて、障害は「英語である」という以外には特にない。気は進まないが、読まないわけにはいかないっぽい。
- フィクション論を網羅的に読む。
まだ読んでないやつがいろいろあるので読む。
- 「命題or記述or知識」を利用することについて考えてみる。
ウィトゲンシュタインやグッドマンをまじめに読む。議論の運びとしては一番参考になりそうな気もする。
- 現象学的美学/受容美学系の議論を読む。
この辺は「一からやる」ことにならざるをえない。しかし、やっとくと守備範囲がひろがって後からうれしいかもしれない。
- ゴフマンを読む。
直接には関係ない。が、「場面の扱い方」と「テクストの扱い方」は実はパラレルな問題なのではないかという気がちょっとしている。あと、ゴフマンを読んでると社会学っぽいのでよい。
- 物語理論を読む。
重なってくる範囲と重なってこない範囲があるので取捨選択がむずかしい。
いっぱいあって大変だなあ。絞るべきなんだろうが、絞るのもむずかしいなあ。
ルーマン・フォーラム「来年修論を出す人」の会・第二回勉強会
(M1 会ではなくなったので勝手に改名した)
可能世界意味論初等講座をやった後、「でもこれは必要ないという結論がでました」というと、「いらない部分を載せるのはどうか」と言われる。そりゃそうだとわれながら思った。せっかく勉強したからアウトプットしたかったのだが、そんな理由で修論に載せてはいけないわな。よくよく考えると当たり前のことだが、こういうのは自分ではなかなか踏み切れないので、われに返る機会があってよかった。
今日は楽しいコミティア。最近ヲタクづいている M 川に誘われて行った。
コミティアはコミケと違ってオリジナル限定なんだよ。向かう途中(例によって電車を間違えたりして遅れた)、「二次創作」/「オリジナル」を判別する方法について考えていたが、そもそも読み方が違うのでそんな問題は生じないのかもしれないと思った。二次創作にはまった経験がないのでよくわからない。
結構たくさん買ってしまった。漫画は見ただけで色んなことがわかるので話が早いなあと思った。
買った本を全部書くことにしていたのを途中まで忘れていたが、それほど恥ずかしいものを買わなくて良かった。
- 『ティアズマガジン』79
Comitia
いわゆる「カタログ」。
- 『雨のち晴れ』
ジャポニカ自由帳
- 『宇宙日和』
Matatabi Mix
- 『ComiComic』11 「まんがのソト側」特集
こみこみっく
- 『薇頭』
ゼンマイアタマ
http://zenmaiatama.seesaa.net/
荏本朋「ふたりとも」/あらいあき「円盤イクコ」
- 『Mattari』笹生那実(島田菜穂子)個人誌・4
笹生那実(島田菜穂子)
http://hitsujiza.blog23.fc2.com/
「『風と木の詩』の読み方」など
- 『愛弟子日和』愛弟子シリーズ1
- 『愛弟子の小冒険』愛弟子シリーズ4
まつかさ師匠の沈黙工房(柳田ポン)
http://matukasabeya.web.fc2.com/
- 『漫世』1
『漫世』実行委員会
http://www015.upp.so-net.ne.jp/Shimpei/
- 『ヲタク的国会図書館ガイド 2006年度版』
動画35+
ルーマン・フォーラム プレゼンツ
【( ´∀`)著者さんと】長岡克行『ルーマン/社会の理論の革命』合評会【語ろう(°∀°)その5!】
http://socinfo.g.hatena.ne.jp/contractio/20070128/p1
行った。今日は自分の可能性にびっくりだった。
- 開始時間を間違えていた。13:30からだと思っていたのだが、13:00からだったらしい。13:15頃教室変更の連絡をいただく。
- 電車に乗り間違えた。急行に乗ってしまい、目当ての駅を通り過ぎる。あわてて各駅で1駅戻る。しかし、後から考えるとこの辺りまではまだ序の口だった。
- 降りた後、10分ほど周りを探すが、東京経済大学がさっぱり見つからない。地図にも載っていない。国分寺にあるはずなのになーと地図をよく見る。「あれ? 高円寺って書いてあるよ?」。なぜか国分寺に行くつもりで高円寺に行ってしまった。
- あわてて電車に乗り直す。しばらく乗っていると終点についた。「新宿ー新宿ー」。「なんで新宿にいるの?」。逆方向の電車に乗ったらしい。
- この時点で、もしかすると自分は無意識に何かを抑圧しているのではないかと疑いが芽生えはじめる。フロイトならきっとそう言うにちがいない。しかし無意識のことなど自分自身にわかるはずもないので、フロイトのことは忘れ、改めて国分寺に向かう。3時間ほど遅れてようやくついた。もう終わりかけだった。
今回は本当に自分のボケっぷりに驚いた。ラリってんのか?と不安になる。まったく自分が信用できなくなってきた。
大野一雄 百歳の年 ガラ公演「百花繚乱」
―百歳の大野一雄に捧げるオマージュ―
於 神奈川県立青少年センター
http://www.kazuoohnodancestudio.com/japanese/perform_arc/hyakkaryouran/hyakkaryouran.shtml
行ってきた。大野一雄「の」舞台なのかと思って行ったのだが、大野一雄「を」記念した舞台だった。
私は本当に出不精なのだが、ごくまれにイベントに出かけるといつも、たまにはこういうのもいいなあと思う。今回も思った。
しかし、本当は行く前にメガネを買うべきだった。メガネがないからよく見えないんじゃないかと思ったが、やっぱりよく見えなかった。
はじめの方で思ったこと。ダンスは不思議だなあ。どうして人が動いているのを見ているだけで気持ちが良くなったり、おもしろかったするのだろう。しかし、よく考えると架空のキャラクターが生きたり死んだりするのを見ておもしろがるのも謎だし、音の組合せを聴いて気持ちがよくなるのも同じくらい謎だ。
途中から、だんだん集中力がなくなってきて、集中力を高める方法について考えていた。座禅かヨガか野口体操をはじめようかどうしようかなどなど。



